第2話 私のspiritualな思い出(のいくつか)
どんなに社会的地位が高い方でも、話して面白くない人というのはたくさんいらっしゃいますし、また、靴磨きのおっちゃんでもスーパーのおねえちゃんでも、面白い話を聞かせてくれる(私と同じ波長)という方は、∞というくらいに存在します。
アメリカでの駐在員時代には、現地の住人以外、数百人もの(主に、日本からの半導体開発者・お客さん)とお目にかかり、インスパイア(啓発)・いい思い出を与えてもらいました。
ある取引先のマーケティング・マネージャーは、オックスフォードとケンブリッジの両方を卒業した(暇とカネのある)イギリス人貴族でしたが、この人には、ほんの数語の会話で、社会の仕組みというものを教えてもらいました。
2つの大学で何を勉強したのですか、という私の超シンプルな質問に対し「詐欺の手法だよ」。英語でレトリック(修辞法。修辞学)とは、インドを植民地にする際の「ごまかしの手口」さ、なんて。
この方は私の英語力と知識や教養ではとても太刀打ちできる人ではないのですが、当時の私が日本で戦っていた必死さ(24時間営業・真剣勝負)が伝わったのか、幾つかの機密(技術)資料まで、CEO(社長)の反対を押し切って提供してくれたりしました。
つまり、波長が合ったので「私という人間」の存在を認め(理解し)てくれた、ということなのです。
シリコンバレーのある小さな中華料理屋のオヤジさんには、厨房で一緒に飯を食わせてもらい、彼ら中国人の洗練された振る舞いや、その底にある激しいガッツ・根性というものを見せてもらいました。
南米で私が殺されかけたナイフ使いの少年とその一味からでさえ、(日本人にはなかなか見ることのできない)彼らのストレートなハングリー・スピリットとは、危機が去ってみれば、充分リスペクト(敬意をはらうこと)できる、私の魂をインスパイア(鼓舞・触発)してくれる体験だったのです。
あの世で何十億年も時間があれば、そんな彼らとも再会することができるでしょう。
もちろん、かの5人の方々(本書末<大学日本拳法的 私のspiritualな思い出>参照)には「大学日本拳法」「太極拳」というタグ(目印)があるので、あの世ですぐにお目にかかれるにちがいない(向こうが会いたくないといっても、「スタンドは引き合う」もの。スタンド使いとは、その人なりの強烈な個性・スタイルを発現することができる人、ということなのです)。
まこと、母親から「ごしょ楽(天皇みたいにノー天気でお気楽)な子」と言われて育った私らしい発想ですが。
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