もう、関係がない

 大蛇の如く大きな五指がレイアの体を締め付ける。

 ドルトリンの手は順調に圧力を加えていく。

 肘から先を持ち上げ、橋から落としてやろうと力んでいるのが窺えた。


 だが、レイアを持ち上げる事はできなかった。


「お、もぃ……っ!」


 戦闘と移動の連続で、極度に肉体は疲労しきっているはずだ。

 けれど、レイアの肉体は、この程度で壊れるほど柔ではない。


「万力で……鍛えた事があるかい?」

「ぐ……っ」

「鉄を加工する時に、使うんだよ!」


 汗で光沢を帯びた四肢が血管を浮かばせ、膨張する。

 手の平と指の一本を掴み、レイアは肉体を締め付ける大きな手をこじ開けていく。さらに、持ち上げようとするが、片腕だけではバランスが悪い上に、レイアの体は橋床と一体化しているかのように重い。


「ふん! ――……ぬぅ、ぅぅぅうううううッッ!」


 僧帽筋(鎖骨の所)と三角筋(肩)が盛り上がり、大円筋(肩甲骨の辺り)が翼のように広がっていく。全身の筋肉が膨張する事で、乳房の根元には筋肉のうねりが見えた。


「隊長の言っていた通りだァ……。筋肉は、全てを解決する……ッ!」


 今、ドルトリンは手を離そうと逆の力を働かせている。

 なのにも関わらず、手の平がレイアに掴まれ、引き剥がす事が叶わなかった。


 指の第二関節辺りは、皮膚が潰れて、深い皺が刻まれている。

 手の平に至っては、親指の付け根を握られ、勝手に指が動いていた。


「力こそ正義!」


 ブチン、と嫌な音を立てて、ドルトリンの手の平には血飛沫が舞った。

 あろうことか、握りつぶそうとした手の皮を引き千切ってしまったのであった。


「いぎ、やああああああああッ!」

「バルクアップが足りないねぇ」


 小刻みに震える手を見つめ、ドルトリンの表情には怯えが浮かび上がった。


「やだ。マリア……。怖いよ……。マリア……」


 肩に乗せたマリアを抱きしめ、ドルトリンは泣きじゃくった。

 大きく怯んだ隙に、レイアは斧を振りかざして突進する。

 不安定な足場で走るのは肝が冷えたが、止めを逃したくはない。


 狙うは顔面。

 勢いをつけて体の軸を回転させ、振り回した斧は風を引き裂いた。


「さっさと――」


 規格外の斧は宙を滑空し、横薙ぎに大きな顔へ接近する。


「くたばれアァァッ!」


 斧の端は確かにドルトリンの頬を捉え、力任せに肉を潰し、ビリビリと激しい音を立てて引き裂いていく。

 最後の一撃のつもりで、放った攻撃。

 頬を引き裂いた時には、致命にはならずとも、それに繋がる手応えはあった。――が、斧が口の中に侵入すると、妙な感触が柄に伝わってくる。


 パァン、と白い何かが弾け飛んだ。

 最初は歯だと思ったが、違う。


「いた……っ!」


 破片が顔に当たり、振り切った体勢で足元に転がったものを見つめた。

 ドルトリンの口から出てきたのは、石像だった。

 蜘蛛の頭を見て、すぐにマリア像だと気づく。


「そんなところに……隠してたのか……」


 裂けた頬を押さえ、ドルトリンが睨んでくる。

 ただの人間だと思い、油断はしていた。

 その結果、追い詰められた。


 レイアは隕石を警戒して、彼女の傍から離れなかった。

 斧を振れば当たる距離。

 ここなら、隕石を降らせることはしないだろう。

 自滅を避けるために、どうしたって距離を取るのが先決になるとレイアは考えた。


 やがて、ドルトリンは諦めたように、目を伏せた。


「ごめんね……マリア……」


 肩に乗せていたマリアの人形を口の中に入れ、レイアは驚きに目を見開いた。


「お、おい! 何やって――」


 グチュ。

 ドルトリンは奥歯で人形を噛み砕く。

 歯で磨り潰した人形からは、果汁のように、体液が溢れてきた。


「……こ……今度は……何よ」


 大橋が揺れている。

 ガタガタと揺れ出して、立っていられなくなったレイアは姿勢を低くした。


「マズい……。こ、壊れる……」


 ドルトリンにもう一振りお見舞いしてやりたいが、それどころではない。

 レイアは必ず生きて帰るために、その場から離れる事にした。

 斧を担いで、姿勢を低く保ったまま、来た道を引き返していく。

 その矢先、甲高い音が向かう先から聞こえた。


 ピン。ピン。


 糸を弾く音だ。

 見れば、鉄橋を支えている鎖が、ボルトごと外れていた。


「や、べえええええ!」


 四の五の言ってられず、レイアは全力で橋の上を走った。

 途中で転びそうになるが、膝を突いている暇がない。

 前転をして、すぐに起き上がり、橋床を蹴った。


 そして、橋の端へ移ると、滑り込むようにして崖の上へ飛び込む。


 ほぼ同時に、大橋は二つとも崩れ落ちた。

 頭上を何本もの鎖が飛び交い、固定していた地面は抉れて、大きな振動が腹ばいになったレイアにも伝わってきた。


「ひいい!」


 斧の平で頭を庇い、振動が止むのをジッと堪える。


(初めに降ってきたやつのせいで、地盤がおかしくなったんだ)


 それに橋の上には人間より大きな生き物が這っていた。

 今の今まで支えられていたのが不思議なくらいだ。

 揺れが収まると、レイアは斧の陰から周りを確認した。


 ボルトが飛んでくることはないし、鎖が空を泳いでいることもない。

 やっと、起き上がる事ができた彼女は、崖っぷちから離れた。


「あぁ、くそ。取り戻せなかった……」


 ブナに何て説明したらいいのか考えていると、レイアの思考を強制的に止める事態が発生する。


 谷間から、何かが顔を覗かせた。

 鋭い爪を立てて崖っぷちを掴み、大きな目玉がレイアを見つめる。


「マリアぁ。すごいよぉ」


 叫んでいるわけではないのに、不気味な声が轟いた。

 吐息で土埃が舞い、咄嗟に目元を腕で庇う。

 だが、すぐに前方へ目を凝らし、レイアは生唾を呑んだ。


 体長――どれくらいだろう。

 谷間を這い上がってきたドルトリンは、下半身を再生し、四肢を使ってよじ登ってきた。


 今だに腹ばいになっているのは、上半身にハマった甲冑のおかげ。

 とはいえ、見た事もない巨人が這いあがってきたので、レイアは言葉を失った。


「わたしのなかに、……あはは。マリアが……生きてる……」

「この、野郎」

「うん。うん。一緒に逝こうね。一人にしないから」


 それは一瞬だった。

 歯を食いしばったドルトリンが崖の上まで上がってくると、全身に力を込めて立ち上がる。


 数十mの大きさだ。

 上半身の大きさは変わらないのに、他は巨大化し、歪な人型が出来上がっている。


 前にうな垂れた状態でレイアを見下ろし、ドルトリンは片足を浮かせた。


「えい」


 渓谷の一部の地形が変わった。

 レイアの立っていた場所は、緑の大地が空を浮遊し、細かい破片が雨のように降り注ぐ。


 足を取り戻したドルトリンは、隕石なんてもう関係がない。

 動けば、破壊する。


 だが、ずっとは立っていられず、すぐに彼女は腹ばいの姿勢になった。

 渓谷全体をな地震が襲い、完全に怪物と化した彼女は喜びに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る