久しぶりの決意

 一人旅を終えて、ドムナント大町に辿り着いた。

 レイアを迎えたのは、大町の静寂だった。


「……今度は何よ」


 町の人たちは、避難の準備をしていたし、もしかすれば別の場所に移ったのかもしれなかった。それなら、納得はいく。

 子持ちの方なら、子供を優先する。

 何かが起きる前に、安全な場所へ移るのは当然のことだ。


 レイアは破壊された垣根の残骸を踏み、町の中に入った。

 町の南側から人がいなくなったのは知っている。

 でも、静かすぎる。


 耳を澄ませれば、遠くの方から人の声や生活音が聞こえてくるはず。

 目を凝らせば、家屋から家屋に向かって、忙しなく歩く人々が見えていたはず。


 ジッとして周りを見ると、人影が全くない。

 鼓膜を刺激するのは、僅かに吹いた風の音。


 ゴーストタウン化している。

 たったの数日で、ここまでなるものか。


 奇妙な静寂の中で、特に気になるのは――。


「これ……何の跡だ? おまけに、……酷い臭いだ」


 何かを引きずったような跡が地面にベッタリと付いている。

 幅は5m? いや、7m?

 相当大きな何かを引きずったみたいだ。


 臭いは生ごみのような悪臭。

 よく見れば、引きずった跡は町の奥にまで続いている。


「げほっ。……くっせぇ」


 斧を担いで、レイアは町の北側へ歩く。

 鼻を摘まんで歩いていると、目の前の景色が段々と変化してきた。

 病院のあった場所。露店が並んでいた通り。

 全てが黒一色に染まっており、立ち込めた臭いで目がやられてしまいそうだ。


(くそ。もう終わりだろう?)


 嫌な予感がした。

 足早に小教会のある方へ向かい、レイアは先を急ぐ。


 *


 教会は――半壊していた。

 入口は何かでこじ開けられ、屋根は崩れている。

 教会の側面に立っていた木々は、屋根でへし折れていた。

 扉が内側に倒れているため、入口にはポッカリと穴が空いていた。


 礼拝堂の中は真っ黒に染まり、一歩近づくと、悪臭の酷さから顔をしかめてしまう。


「ブナ!」


 鼻と口を手で隠し、レイアは中に入った。

 祭壇の前でマリアの作った人形とブナがいたはずだが、黒い跡が残っているだけで、何もない。

 視線を持ち上げると、祭壇にあったはずのマリア像がなくなっていた。


「けほっ。……なんだよ。……これ、悪夢じゃないか」


 周囲に目を凝らし、レイアは腹の底から叫ぶ。


「ブナ! オッサン!」


 カタン。

 名前を叫ぶと、裏口の方から音がした。

 念のため、斧を両手で握りしめる。

 口呼吸をして、鼻からは臭いを吸わないように気を付けた。


 裏口のあった場所は、壁が崩れて瓦礫の山になっている。

 レイアは瓦礫を上って、首を伸ばした。

 子供一人くらいなら通れる穴が空いている。

 穴に顔を近づけ、奥を覗くと見覚えのある小さな影が小屋の中に見えた。


「ブナ!」


 もう一度呼んでみるが、相手は気づいていないようだ。


「チッ。面倒だね。向こう側から回るしかないか」


 一旦、外に出たレイアは教会をぐるっと迂回する。

 そこらかしこに瓦礫が散らばって、酷い有様だ。

 井戸のある場所は、滑車が潰れていた。

 小屋の周辺だって、地面が抉れていたり、破片が屋根に落ちていたり、見るに堪えない。


 小屋に辿り着くと、レイアは入口から首を伸ばし、中を覗いた。


「ブナ」

「……あ、姉ちゃん」


 ブナは小屋の中にいた。

 調理台の前に立っていて、手には水差しを持っている。

 一旦、斧を外に置いて、中に入る。

 ふと、ブナの足元に人影が見えた。


「……オッサン」


 片腕のないオッサンが、そこにいた。

 近寄ってみると、オッサンは生きていた。

 息をする度に、大きなお腹が膨らむ。


「何があった?」

「……使者がきて……」

「使者?」


 ブナはオッサンの肩を叩き、水差しを半開きになった口の中に突っ込んだ。少し傾けると、オッサンの口の中に水がチョロチョロ入り、微妙に喉が動く。


「シスター……盗られちゃった……」


 無念と言わんばかりに、ブナは落胆していた。

 布巾でオッサンの口を拭くと、その場で座り、ボーっとし始めた。

 ブナは上着を脱いで、上半身が裸。

 服はオッサンの腹に掛けている。


 レイアは狭い床に座って、ブナを見た。


「どんな奴だ?」

「おっきぃ、女の人」

「蜘蛛の……頭をした奴か?」


 不安だったが、レイアの予感は否定された。


「ううん。髪の長い人。腹から下がなくて、……ずっと苦しそうにしてた。オッサンが庇ってくれたおかげで、オイラは無事だったんだけど」


 ブナは膝を抱えて、顔を隠してしまった。


「シスターが盗られて、オッサンは動けなくなっちゃうし。もう、……何が何だか……」


 膝の下に腕を入れ、レイアは小さな体を抱えた。

 自分の膝の上に乗せ、震える肩を抱きしめる。

 ふと、視線を感じてオッサンの方を見た。


「起こしちゃったか?」

「……ええ。濃厚な……メスの香りに……」

「ふん。お前らしいや」


 相変わらず、女好きのオッサンは品のない事を言う。

 口先では、いくらでもだらしのない事を言うが、体を張ったのだから立派なものだった。


「オラはぁ……死にませんぞ。まだ、女を知りませんのでな。……スゥゥゥ、女の子の、……脇汗を舐めたいのです」


 死にかけてなお、こんな事を言う。

 レイアは自然と笑ってしまった。


「じゃあ、死ぬなよ」

「……ほう?」

「生きてたらいくらでも舐めさせてやるよ」


 レイアは思った。


(お前が死んだら、こいつがもっと絶望する。――……死ぬな)


 もはや、祈りに近い。

 オッサンは目をかっ開いて、レイアの脇を見つめた。


「……え、ほんとですか?」

「ああ」

「ふーっ、ふーっ。マジかぁ。おぉ、死ねない理由が、できたぁ……っ!」


 ブナを抱きしめ、レイアは何もない所に顔を向ける。

 一瞬だけ笑顔が消え、レイアは――久しぶりのを宿すのだった。

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