聖杯は誰がために
いってきます
大町の北東は黒い跡がなかった。
悪臭に塗れているよりは、まだ綺麗な場所に住んだ方がいい。
オッサンの事を荷車に載せ、レイアはブナを連れて北東に移った。
どうせ、町の住民はどこかへ去ってしまった。
教会より設備の整っている民家にきたレイアは、オッサンをベッドに寝かせた。ブナの服を取ろうとしたが、止めておいた。
オッサンの腹は黒くなっていた。
傷口は塞がっている途中のようで、痛々しい痕だけが残っている。
アリアの力は、蘇生。
彼女の作った服は、蘇生の力がある。
だから、ブナには民家の中にある適当な服を着せて、オッサンの看病を頼む。
帰ってきたばかりで多少の疲れはあるが、悠長に構えてられない。
ブナとオッサンを寝室に残し、レイアは一人で最後の仕上げに向かおうと玄関の扉を開けた。
「姉ちゃん!」
「ん?」
寝室から追いかけてきたブナが、不安げな表情で後ろに立っていた。
「また、……行くの?」
「ああ」
「もう、……いいんじゃないかな?」
「…………」
「じっとしていれば、いつか終わるよ。だから、行かないでくれよ」
「ブナ」
斧を壁に掛け、レイアはブナと同じ目線まで屈んだ。
不安でいっぱいな所に冷たいかもしれないが、生きていくためにハッキリと言わないといけない。
「いつか終わるなんて、そんな事はない」
「……姉ちゃん……死んじゃうかもじゃん」
「アタシは死なないよ」
「分からないだろ!」
ブナの悲痛な叫びが民家の中に反響する。
子供に、この状況は酷だ。
耐え切れないだろう。
分かってはいるが、動かなければ、いずれ毒牙がブナを呑み込む。
「男の子だろ。ん?」
「……関係ない」
「ブナ。あのな。シスターは、……お前の事が愛しいって言ってたぞ」
本人不在で暴露をするのは、気が引けたが仕方ない。
「ずっとお前の事を考えてるんだ。お前のためなら、何だってするだろう」
俯く顔を覗き込み、レイアは大きな手で頬を両側から摘まむ。
いじけた顔は確かに可愛らしかった。
ひたむきに人類を支えてきたマリアが、一人の男の子に恋する理由が少しだけ分かる。
健気だ。
一途に思われることが、どれだけの支えになるか。
「シスターは、お前のために今も戦っているだろ。動けなくなっても、気持ちじゃ負けてない。なのに、お前がそんなんでどうする?」
ブナは答えられなかった。
「約束するよ。必ず帰ってくる」
「お、オイラも……」
「ダメだ」
ブナが押し黙る。
「お前を助けてくれた恩人を、見捨てるんじゃない」
強めに言ってやると、やっと目を合わせてくれた。
レイアは叱っているわけではない。
大事なことを大事な場面で教えなければ、シスターに怒られると思ったからだ。
「帰ってきたら、一緒に暮らそう。オッサンも一緒に。三人で暮らすんだ」
レイアは膝立になって、ブナを抱きしめた。
「腹は括った。……お前の面倒は……アタシが責任もって見てやる」
シスターの現在がどうなってるか。
レイアにだって分からない。
だけど、深くは考えない事にした。
「あとさ。せっかく帰ってくる場所を見つけたのに。誰もいなかったら、寂しいものだろう。ねぇ?」
「……うん」
「美味しい料理を作って待ってな。地虫をぶっ飛ばしてくるよ」
離れてからブナの顔を見ると、幼い眉間に皺が寄っていた。
子供とはいえ、一人の覚悟を前に何も言えないと悟ったのだろう。
レイアの力強い瞳を真っ向から見つめ、ブナは肩から力を抜いた。
「……いってらっしゃい」
「ああ。すぐに帰るよ」
目的地は、黒い跡を辿って行けば分かるだろう。
今度の相手は、何もアドバイスがない。
正真正銘、真っ向勝負だ。
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