重い愛

 オッサンが入院した日の夜。

 小教会の礼拝堂でブナが寝ている間に、レイアは次のアドバイスを受けていた。


「グレル湖、ですね」


 グレル湖は、大陸内で最も美しいとされている湖。

 水色の湖面は底が見えるほどに澄んでいて、木の葉の隙間から差し込んだ日光が照らす美しさは、一つの巨大な宝石と同等である。


 湖と聞いて、レイアは水中戦を予測する。

 水中の中で斧を振り回す事が可能か考えるが、結局は筋肉量をアップさせれば何とかなるか、と脳筋の考えに寄ってしまうのだ。


「そこにいるのは、プリメラですね」

「そいつは、どんな奴だ?」

「人間にとって分かりやすい例えは、……でしょうか」


 胸に顔を埋めて横になるブナを見た。

 シスターは腕を枕代わりにしているが、柔らかい膨らみを枕にしているため意味がない。

 たまに、苦しくないのか疑問に思うが、すやすやと寝ている辺り、寝心地は良いのだろう。


 気のせいか、シスターの抱擁が以前よりも感情が宿っていた。

 離さないように優しく抱きしめてはいるが、全身で包み込むように手足を背面に回している。


「聞いていますか?」

「え? あぁ、うん。聞いてるよ」


 レイアが現れてから、シスターの女の部分が強くなっている気がした。


「彼女は湖にいるでしょうが、姿を確認する事はできないでしょう」

「透明ってことかい?」

「ええ。よく見れば、ほんのりと空間の歪みが見えます。……が、素早く動き回られては、見えないのと同じ。背景に同化していますので」


 また厄介な相手だというのが、一つの情報で分かった。


「攻撃も透明なの?」

「ええ」

「……最悪だな。そもそも、居場所を探るのに時間が掛かりそうじゃないか」

「そうでもありませんよ」

「なに?」

「彼女は歌うことが好きなので、声は聞こえるでしょう」


 神話の類で聞く人魚と同じだ。

 歌が何より大好きなプリメラは、よく歌っているという。

 美しい歌声をしており、耳を澄ませればすぐに分かるとシスターは話す。


「居場所は分かっても、姿が見えないのでは討伐は限りなく不可能でしょう。ですから、塗装屋さんに出向いて、油性の塗料を買ってください。あとは、……灰もいいですね」


 とにかく視認する事を優先しろ、というわけだ。


「プリメラはする力を持っているので、くれぐれもブナを危険な目に遭わせないでください」

「本当は留守番させたいんだけどねぇ……」

「ええ」


 シスターがブナの頭に顔を埋め、丸くなった。

 姿勢が変わったことで、背中のシーツが捲れ上がり、黒い骨格が現れてくる。


 人間とは異なり、関節が倍はある。

 そのため、巨大であっても人間と変わらない大きさにまで縮こまる事ができている。


「アンタ……。その子の事が本当に好きなんだな」

「好き、ではありません」

「……ん?」


 二人の様子を見ていると、レイアは何だかを感じるのだ。

 時間の経過と共に、シスターの様子が変わってくる。

 変化のスピードは、レイアが思っているより早い。

 自我を自覚してからは、躊躇うことが段々となくなっているように思えるのだ。


「もしも、わたしがブナと変わらない人間であれば、……伴侶になる事ができました」

「お、おい……」

「他の四人のように、美しい容姿をしておりませんので」


 今まで気にしたことがなかった容姿。

 現在、シスターにとって、容姿はコンプレックスになりかけている。


 人間にとっては、複雑だろう。

 誰もが振り向く美貌を持つ四人が、人間を惨殺している。

 一方で、最も醜い一人がひたむきに人間を救っている。


 果たして、人間は何も知らない状態で五人を見た時、どちらを自身の味方と受け取るか。


「自分の手で……、抱きしめたいのですが……」


 背中の感触はないに等しい。

 本来の腕は丸まり、空気を掴んでいる。

 もどかしさがあるのだろう。


 段々と様子がおかしくなっていくシスターに、レイアは頬を引き攣らせた。


(さすがにアンタを相手にしたくないぞ)


 他の四人と違って、させるための甲冑が付いていない。

 フルパワーでシスターが襲い掛かってきたら、一溜まりもなかった。


「ブナは良い子だよ。アンタが、その、本来の姿であっても、嫌ったりしないって」

「いいえ。嫌いますよ」

「……何で女として目覚めちゃったんだ……」


 レイアは握り拳で何度も額を叩いた。


「そこで考えたのですが」

「……なんだい?」

「わたしは、全てが終わったら、自分の死体を作ろうと思うのです」

「どういうこと?」

「腐らない、今の死体を作れば。この子が愛してくれるのではないでしょうか。いつだって、温もりを与える事ができます」

「…………」

「実は、試作段階に入っておりまして」

「なあ。病むのはやめてくれ。心臓に悪い」


 人類が滅ぶとしたら、それはマリアが暴走した時だろう。

 誰も生き返れず、やり直しがきかない。

 世界の中核が、今目の前にいるのだ。


 レイアは渋い顔で、祭壇に飾ってあるマリア像を見つめた。

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