グレル湖
女神崇拝
ブナとオッサンが買い出しに行っている間、シスターは庭先で掃除をしている。教会の周りに飢えた木から落ちた枯葉は、着火剤の足しにできるので、チリトリで集め、袋に入れている。
ぎこちなく動く姿をレイアは後ろから眺めた。
視線が気になるのか、シスターも手の動きを止める。
「あの、……何か?」
「アンタの事を考えていた」
「わたし、ですか?」
まとめると、シスター・エペアぺは、別名『マリア』だ。
宇宙の意思と呼ばれる使者の一人。
ブナをとにかく溺愛している。
そのブナがココンと対峙した際、確かに圧縮された弾丸が腹に当たった。オッサンはそれを目撃しており、レイアが筋トレ中に教えてくれたのだ。
「あの子。腹に圧縮された弾丸が、思いっきり当たったらしいぞ」
「……そうですか」
「だけど、皮膚が赤くなっただけで済んだ。今じゃ、痕すらない」
レイアの場合、当たった場所が青くなっている。
数日休めば、青い色は薄くなって完治したが、レイアでさえこれだ。
「アンタ。何かしたのかい?」
「ええ。わたしには、これくらいしかできませんから」
「傷を治すこと?」
「いいえ」
シスターが振り向き、感情のない表情で答えた。
「蘇生です」
「……不老不死……とか」
「可能ですよ」
「……っ」
「だから、わたしは一度失敗してます。教会の中にある像をご覧になりましたでしょう。あれが失敗による証です」
レイアは像について、自分が教えてもらった限りの事を思い出す。
マリア像は、マリア信仰のための物。
別の言葉で表すのならば、女神崇拝。
女神を信仰することは、旧い時代では禁止されていた。
女=悪魔という認識で、女性というだけで扱いが酷いものであった。
今では、そういったことはないが、女に対しての認識や扱いに壁があるのは、女神崇拝の名残である。
しかし、皮肉な事に人々が求めているのは、助けてくれない神ではなく、恐れる死を克服する女神だった。
性別だけで争うといった愚かな時代があれば、結局は古くからある、信仰の数々は消えうせ、人々の欲望だけが残ったというわけだ。
「わたしも万能ではありません。前は、自らの手で人々を殺す側でした。虫のように大量繁殖し、環境を破壊し、醜さの塊であるのが人間です」
「酷い言われようだ」
「ええ。事実ですから。わたしは、管理者として、あなた方の傍にいます。滅ぼすことが目的ではない。当時のわたしは、安易に考えすぎてしまった。壊したら治せばいい、と」
つまり、人間を蘇生するのが、空気を吸う事と同じくらい当たり前だった。
人が死を恐れないと、どうなるのか。
惨たらしい欲望が当たり前になるのだ。
この世が地獄と化し、旧い時代で言われる悪魔という言葉も、あながち間違いではなかった。
「荒廃した世界は、他の四人の手を借りて最悪の事態を免れました。滅ぶ直前で、子供達だけを集めました。何度も失敗して、今の世界があります」
「蘇生は封印した、と?」
「……ええ」
「ブナには、力を使ったよな」
「…………ええ」
表情は変わらないが、明らかに声の色は暗くなった。
「今さら……自我が芽生えまして……」
ひらひらと落ちる枯葉を眺め、マリアは言った。
「あの子が愛おしいのです。失うのが、怖くなりました」
母親代わりとしての愛情。
異性としての愛情。
どちらの感情も湧いてしまい、今までなかった自我にシスターは戸惑っている。葛藤はあるが、自分で自分を止められない。
「あの子が笑って暮らせる世界にするつもりです。あなたが力尽きた時、わたしは……、本来の姿で自ら出向く事でしょう」
レイアからすれば、使い走りにされてるのが複雑だ。
けれど、女としての感情は、何となしに理解できた。
自分で動きたくないのは、女としてブナの傍にいたいからだろう。
一分一秒でも長く――。
まだ幼いあの子を愛したいからだ。
「あたしを生き返らせることは?」
「できません」
「そりゃ、また何で?」
「その文様。甲冑が剥がれる際に付いた物です。予め、教えましたよね」
「ああ」
「……それ。わたし達を拒むための呪いなのです。服を着る事ができない。つまるところ、わたしの糸で包むことができない事を意味します」
ハッキリと言われて、レイアは渋い顔になった。
相手が相手なので、生きて帰れるとは思っていないが、望みが絶たれると、いっそ清々しかった。
「……そうかい」
「あの……」
教会の中に戻ろうとするレイアの背中に、シスターが声を掛けた。
「なんだい?」
「ブナに、変な事してませんか?」
「変な事?」
「最近、あの子。寝ている時に、モゾモゾとしているんです。わたしは、背中の感触が前より鈍いですから。何がどうなっているのか」
「…………」
眉間を摘まみ、レイアは黙ってしまった。
知識はあるし、シスターは薄々感づいてるから、女として忠告しているのだ。
「思春期だよ……」
今度こそ、レイアは教会の中に戻って行った。
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