一か八か
重厚な金属で作られた堅牢な大扉。
高さは10m。
厚さは20cm。
扉の表面には、ブツブツとした模様があり、扉の中央には教会のシンボルが描かれている。
大扉を二つ閉じた時に、一対になるよう蜘蛛の顔が描かれているのだ。
歴史的な建造物を見上げ、オッサンは渋い顔をした。
「うおおおおおおッッ⁉」
扉一枚が、豪速の弾丸をいくつも受け続けることで、奇怪なダンスを踊っていた。
扉の大きな蝶番が外れたことで、下の部分が地面についていた。
衝撃を受け続けることで、ガタガタと左右に揺れた扉は、両角を地面に激しく擦り付ける。
扉一枚を見つめるオッサンの表情には、半ば諦めの感情が宿っていた。
「おい! オッサン! 手伝えって!」
「もう、……無理だよ」
「お前、オスだろ! 女一人に支えさせんのかよ!」
重厚な扉のおかげで、弾丸は凌げている。
だが、これはレイアの腕力があってこそ。
彼女が力尽きれば、みんな扉の下敷きになってしまう。
ブナなんて、ただの子供なのだから持ち上げる力などあるはずがなく、平べったくなるだろう。
対して、オッサンは仮にも人外の類。
使族と呼ばれる人間以外のオスだ。
分厚い皮下脂肪に隠れたインナーマッスルに期待をしているのだが、肝心のオッサンは、相手の正体が分かると戦意喪失。
食われる前のナマケモノみたいに、全身から力を抜いていた。
「はーやーくっ!」
「無理だよ!」
「くっ。この、……殴りてぇ……ッ!」
「だって、相手は宇宙の意思だよ⁉ 絶対なんだよ! あいつらは、オラ達を作り、奴隷にした! おっぱいを吸わせてくれるって言ったのに! 吸わせたのは泥水だった!」
オッサンは号泣し、地面を何度も叩く。
自我が芽生えた子供は厄介だった。
そうこうしている間に、扉の上部分が傾き、レイアは支える位置を変える。
「おおおおい! 後がないぞ!」
レイアの後ろは、断崖。
あと少し下がれば、滑落するのは見えている。
ブナは大きく目を剥いて、真上にある扉に叫んだ。
「あいつは――、疫病をまき散らすんだ! 圧縮した病を一つ水源に落とす! そして、この星から人間を抹殺するために遣わされた宇宙の意思なんだよ! くそ! 美人なのに! クソおおおおおッ!」
怒りの矛先がいよいよ怪しくなってきた頃、ブナは扉の側に転がる杖が目に留まった。
教会の中は、何もかもが圧縮されたはず。
なのに、杖だけは無事だった。
(あれ……。確か……)
大爆発を起こした杖だ。
ギシギシと両側から狭まっていく教会の中で、ココンは片腕を押さえて、床に座り込んでいる。
扉の向こうにいるレイアが憎たらしいのだろう。
注意は自分に向いていない、と分かると、ブナは目の色を変えた。
「お、おい! ――んぐうう⁉」
扉から這い出たブナは、急いで教会の中に入り込んだ。
聳え立つ尖塔はどこかに消えてしまったが、残る教会は壁がくの字に曲がるなど、あり得ない現象が起きている。
天井からは小さな破片がいくつも落ちてきて、扉は片方が外側に倒れたが、もう一つは内側に倒れている。
その上をブナは走り抜け、近くにある杖に手を伸ばした。
(これさえあれば……)
扉と扉の隙間に落ちた杖に手を伸ばす。
しっかりと握り、立ち上がった。
次の瞬間だった。
弾丸の一つが、小さな胴体に減り込んだ。
「ご……ッ、ぇ……」
貫通こそしなかったが、内臓は潰れた。
腹を圧迫された衝撃は、一気に脳まで達し、呼吸を禁じさせる。
久しい感触だったが、ブナは杖を離さなかった。
「げほっ、……お、こほっ、……はぁ、ふぅ」
おかしい。
僅かな間、意識が飛んでいたのに、また久しい感覚が体を包み込んだ。
お腹がじんわりと熱くなり、血でも出たかと服を捲れば、皮膚が赤くなっているだけで何ともない。
「少年!」
ドスドスと、重たい足音を立ててオッサンが駆け寄る。
すぐに体を起こされ、オッサンがお腹を擦ってきた。
「こんな子供にまで、……手を出すのか」
「いや、げほっ。オッサンも、まだ幼体でしょ」
オッサンは奥歯を噛み、教会の中で蹲るココンを睨む。
「野郎……。これだけは許せねえ」
オッサンには、オッサンの感情があるらしい。
最早、使族でありながら、どっちの味方か分からないオッサンだが、ブナの肩を強く握りしめ、熱い闘志を瞳に宿らせる。
「うおおおおおおお!」
「おい! 何する気だ⁉」
オッサンは立ち上がった。
全力で立ち上がり、とにかく体を動かして、ブナを抱えたまま回れ右を実行する。
その動きに、迷いはなかった。
弾丸が尻に命中したが、オッサンは全力でレイアの陰に隠れ、奥歯を噛みしめる。
「ふぅ、危なかったな」
「あ、ありがと……」
「てん、めぇ! 手伝えって!」
尻を押さえ、申し訳程度に膝立で扉に両手を突く。
いいポイントに当たったらしい。
尻に力を入れると、この世のものとは思えない激痛に白目を剥いた。
「姉ちゃん! これ!」
「杖か……。いや、待て。今、あたし両手塞がってる……」
両手どころか、背中をピッタリとくっつけて扉を支えている。
衝撃が加わる度に、扉は原形を崩していくので、もう後がなかった。
「少年! 君がやるんだ!」
「お前、さっきから、初めに会った時と態度が違うぞ」
「どうした? ハァ、くそ、ケツ……いって……っ。フーッ、フーッ、キミは、いで、そこで立ち止まるために産まれたのか? あ、ダメだ。血出てる……。絶対、ケツに穴空いてる……」
小刻みに震えるオッサンは、苦悶の表情だった。
脂と汗と鼻水、涎で顔をグチャグチャにして、必死にブナの背中を押した。
「もう、……子供じゃないだろ!」
「さ、さっきは子供扱いしてたのに……」
「躊躇うな! 自分がこれだと感じたものは、キミの心が動いてる証拠なんだぞ! 自分を信じるんだ!」
杖を見つめて、ブナは扉から出ようとする。が、さっきので警戒されたらしく、無限に降り注ぐ弾丸の雨は広範囲に広がっている。
その証拠に、さっきまでは届いていなかった弾丸が、橋を滅多クソに壊し始めたのだ。
「どうやって、使えば。それに、出れないよ」
額から滑り落ちる汗の滴で両目を閉じ、レイアは長く息を吐いた。
一か八か。
もう子供だから、とは言ってられない。
「そいつは、太陽の光を当てりゃいいんだ。当ててから、あいつに杖を触れ」
「でも、攻撃が止む気配がないよ」
「おい。オッサン」
「はぇ⁉」
「アンタ、啖呵切ったんだ。一瞬だけ。本当に一瞬だけ。全力で動いてもらうぞ」
オッサンは真剣な表情で、汗に濡れる胸の谷間を見つめた。
一粒の滴が谷間の奥深くに落ちていく。
褐色の大地に雨が降り、朝露が葉から零れ落ちるような幻想がそこにあった。
「しゃぶりてぇ……」
「おい! こっち見ろ!」
「あ、はい」
「どうなんだ⁉ やんのかよ⁉」
「やります! ヤラせてください!」
「ブナ。こっちにこい。オッサンと一緒にいろ。いいか?」
一か八かの賭けを話すと、ブナは大きく頷く。
オッサンだけが戸惑っていた。
レイアは額に太い血管を浮かばせ、ゆっくりと扉の傾きを直していく。
「せー……、のっ!」
扉は――真横に倒れた。
太陽の明かりが教会の中へ直に差し込んでいく。
入口は下半分が扉で隠され、上だけが外の景色を見通せるようになった。
当然、隠れているであろう扉に攻撃が集中していく。
「体が、こんなんじゃ、なけりゃ……。もっと、上手く飛んで、あいつらをギタギタにできるのにぃ!」
ココンは両手を広げ、天井を仰いだ。
黒い大目玉を閉じて、静かに呼吸をする。
意識を研ぎ澄ました途端、ココンの周りからは教会がなくなった。
レイアを守っていた扉さえ消えてしまい、孤島の大地だけがそこにある。
隠れていたレイアは置いていた斧を手に持ち、肩で息をする。
「みんな、消えちゃえばいいのよ」
目を開き、対象者を睨みつける。
ココンの頭上には、圧縮された教会が出現した。
サイズは、中くらいの本棚ってところか。
子供と同じくらいの高さだ。
しかし、重さは変わらない。
建物一つを持ち上げるほどの怪力などあるはずがなく、レイアの頬には冷たい汗が流れた。
「さっさと失せろ! 筋肉女!」
圧縮された物体の周りでは、空間がブヨブヨと歪み始めた。
レイアは――。
「テメェがな」
悪態を吐き捨てた瞬間だった。
チカ、とココンの体が点滅を繰り返した。
「……何よ……これ」
――ズドン。
鼓膜を破らんばかりの轟音が、辺りに響いた。
白煙が上がり、爆風で土くれが細かい粒となって、四方八方に吹き飛んだ。
飛ばされないよう、レイアは予めハルバードの穂を地面に突き立てていたのだ。とはいえ、とんでもない爆風のために、重い体が断崖のギリギリにまで引きずられていく。
「ハァ……ハァ……。くそ。使者は……マジでキツいな……」
上空を見上げると、爆風で吹っ飛ぶブナとオッサンが見えた。
オッサンの背中には、脂ぎった羽が生えており、短時間だけならば飛べるのだ。
なぜなら、オッサンはハゲタカという使族だからだ。
二人の流れる方向を見ると、ちょうど橋を越した所へ落ちていくのが見えた。
残されたレイアは、舌打ちをして橋の向こうと、断崖の下を見た。
「ふぅ……。また、肉体労働か」
後ろを振り向くと、白煙の中にココンの姿はなかった。
代わりに、深く抉れた地面だけが残っている。
レイアが教会の地下室を見つけたのは、念のために死体の確認をした時であった。
海の底に繋がり、出た場所は墓地。
万が一のための逃走ルートは、作っておくのが常である。
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