筋肉は全てを解決する
礼拝堂の中は土埃――ではなく、血の雨が降った。
圧縮された人間の束が豪速で床に叩きつけられ、空中に弾け飛んだ血の飛沫が落ちてきたのだ。
「キャッハッハッハっ!」
絹を裂いたような笑い声だ。
辺り一面が血の海と化した中、レイアは動き続けた。
「こンのバケモンがよぉ!」
狂ったように笑っている所に、重厚な斧の刃を食い込ませる。
だが、またしても硬い皮膚をかち割ろうとした途中で、引っかかる感触が手に伝わってくる。
(おかしいぞ。見た目はブヨブヨしてるのに、斧が途中で止まる)
怪訝な面持ちで刃の部分を見つめる。
ぐにぃ、と刃が内側から押し返されているのが見えた。
(治ってる? そういや、さっき食い込ませた傷が見当たらない。てことは……)
自己修復している。
レイアの気づかないところで、ココンは死体の血を浴び、自らの栄養分にしている。これで、さらに修復能力が増している。
「ね~ぇ? あなた。あたちの下僕にならない?」
「あぁ?」
「くす……っ。手持ちの下僕がいなくなっちゃったからぁ。ちょうど募集中だったのよねぇ」
サナギの中で、歯をカチカチと鳴らし、ココンが誘う。
「命だけは、……助けてあげる。どう?」
斧を引き抜き、レイアは額から垂れてきた返り血を手の甲で拭った。
自己修復能力が高すぎて、傷をつけられない。
殻にこもっている間、ココンは打ち負かされる心配はないというわけだ。
この事態を見越して、エペアぺは杖を使うようにアドバイスしたのだが、そこは脳筋。
「馬鹿言うな」
「へぇ?」
「こちとら、最後の仕上げにきてんだ」
体を大きく捻じり、片足を上げる。
脇に構えた斧に力を込めると、レイアの目つきは鋭さが増した。
「下僕が欲しけりゃなぁ、神様にでも頼んでこいよッ!」
赤と黒の円盤が風圧を纏い、半円を描いてサナギに接近。
斧の端が爛れた殻にぶち当たると、踏み込みの勢いで礼拝堂が小さく揺れた。
「学習能力ないのねぇ」
「オラ! もういっちょ!」
振り切った斧の勢いは止めず、そのまま回転。
再び、サナギを叩き割った斧は遠心力が加わり、先ほどよりも勢いと圧力が増していた。
ふと、殻の表面を見ると、亀裂が先ほどとは比べ物にならないほどに、深くなっている。
ココンが浮かべる余裕の笑みは、一瞬で引き攣った。
「ちょ、待って! バカじゃないの⁉ 無駄だってば!」
「お、らぁ!」
パァン。
殻の細かい破片が飛び散り、修復しかけていた溝が破壊されていく。
溝は一度、二度、三度と斧が当たる度に、
「つまりよぉ。割っても割っても治るなら。治る前にカチ割ってしまえば、こっちのもんって事だよなァッ⁉」
回転をやめて、レイアは下半身にありったけの力を入れた。
太ももの筋肉が極太に膨らみ、木の根っこになる。
体を固定した後は、×印を描くようにして、サナギのあちこちを叩き始めた。
無茶苦茶だ。
力任せだ。
しかし、彼女の筋肉と力は、不可能を可能にしてしまう。
「オラオラオラ! 汚い顔が見えてきたぞ!」
「調子に、――乗るなァ!」
長椅子が3個分消えた。
その直後、圧縮された小さな弾丸がレイアの広背筋に減り込む。
「ッきゃはははは! 死ね! そのまま風穴空けちゃうわよ! キャハハッ!」
ずぶずぶと肉に減り込んだ茶色の塊。
骨は折れただろう。
背骨が折れたら、人間は終わる。
脆い生き物だ。
「……へぇ。何を投げたか知らないけど。この程度ね」
「あれ?」
両肘を後ろに持っていくと、ボコボコした筋肉の盛り上がりが、飛んできた弾丸を肉の壁から追い出していく。
今の衝撃と痛みで、レイアはプツっと何かがキレたらしい。
「こちとら、食っては鍛えてを繰り返してきてんだ」
重い音を立てて落ちる弾丸。
再び、振り上げられる斧を見て、ココンは青ざめた。
「てめぇら使者と違ってなぁ! 人間ってのは、体を傷つけながら成長する生き物なんだよッ! ――オラぁぁッ!」
渾身の一振りをぶちかましてやると、今まで一番深い所へ斧が食い込んだ。
「ひ、ぎっ⁉」
細かい亀裂が徐々に大きくなり、尚も食い込む斧は裂け目を広げていく。拡張された裂け目から、ボロボロと硬い殻が落ちると、青い手が見えた。
「何だ。化粧も知らないガキじゃないか」
やせ細った女が、中に篭っていた。
怯えた様子で顔を隠すが、殻が修復する前にレイアは手を突っ込む。
「出てきな。ようやく一匹目の駆除が終わる」
力任せに引きずり出すと、自分のばら撒いた血の海に放り投げた。
床に横たわったココンは顔を伏せて、小刻みに震える。
怒りなのか。
怯えなのか。
どっちでもいい。
レイアは斧を振りかぶり、止めを刺す。
「あばよ」
「……許さない……。あたちを、……汚い床に落とすなんて。絶対に……許さな――」
最後の懺悔は子守唄だ。
殺された者達が浮かばれるだろう。
全身の筋肉に意識を集中させ、レイアは勢いよく斧を振り下ろす。
その矢先の事だった。
「あんの野郎!」
「ッ⁉」
聞き覚えのある声に動きが止まった。
入口の方を見ると、息の上がったブナがココンを睨んでいるではないか。
「バカ! 来るな!」
「お前……。よくも、ウチの母ちゃんを……」
駆け出そうとしたブナの体を後ろからオッサンが抱きしめた。
「いやいやいや! 今、バチクソに交戦中ですがな!」
「離せよ! 臭いんだよ!」
「オラの吐息は
わざと息を嗅がせ、怯んだブナを両腕で抱きしめる。
汗だくの肉塊に抱きしめられるのは地獄だが、正しい判断だ。
「……どいつも……こいつも……」
パキ……パキ……。
何かをへし折るような音が聞こえた。
「黙って、あたちを崇めてればいいのよ。そうすれば、死ななくて良かったのに。……くす。ざんね~ん」
ゾンビのような肌に、白い体毛が生え始めた。
「……血が……なくなってる……」
辺り一面を汚していた血の大半が消えていた。
大の字にうつ伏せになったココンが四つん這いになり、背中が割れ始めると、中からは蝶々のように綺麗な羽が出てくる。
だが、片腕と片方の肩に不自由を感じるみたいで、起き上がる際には上手く立てなかった。
大きな黒目玉をしたココンの姿は、まるで妖精。
幼い顔立ちが憎しみに歪み、背中の羽がひらひらと羽ばたき始める。
「くそっ!」
見惚れてる場合ではない。
すぐさま斧を振り下ろし、止めを刺す。――が、捉えたのは何もない床だ。
「ああああああ! やっべええええ! 宇宙の意思だ!」
「な、何だよ、それ!」
「人間を創った、何か、その、偉い奴ら!」
「はあ⁉」
オッサンがガタガタと震え出し、ブナは宙を舞う妖精を睨んだ。
上から見下し、レイアを鼻で嗤うココンは、宇宙の意思の一人。
彼女から見れば、下等生物に見えているのだろう。
「……殺してやるよ。人間」
レイアは斧を担ぎ、舌打ちをした。
「めんッどくせぇ……」
悪態を吐いた途端、天井がいっぺんに歪み始めた。
周囲の椅子や銅像、神具の数々が消えていき、上空には剣山のようにゴツゴツとした物体が見えた。
対象者は、レイアだけではない。
歪みの範囲内には、ブナ達も含まれている。
「出ろ!」
怒鳴り声が響き、オッサンは急いで扉の陰に隠れた。
「――死ね」
斧の円盤を傘代わりに、レイアは全力で入口の方へ向かい、走り出す。
真上から弾丸の雨が降り注ぐ中、さらに追い討ちを駆けるが如く、教会自体が歪み始めた。
文字通り、最悪の展開を迎えているのである。
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