親仇

 礼拝堂で一戦を交える数分前。


「おごら”れ”る”ッ!」

「離してよ! 絶対にあの使者だ!」


 オッサンが橋を渡ろうとするブナを必死に止めていた。

 空間の歪みを見た後、ブナは思い出した。

 おぼろげな記憶だったが、15歳の未成熟な精神面にとっては、本当に胸糞の悪い過去だ。


「あのサナギだよ! オイラの父ちゃんと母ちゃんを殺したんだ!」

「今行ったらダメだって! 殺される!」

「何言ってんだよ! あいつの不意を突いて、仕返ししてやるんだ!」


 腹に穴の空いた父が地面に伏しており、母が寄り添っていた。

 燃える村の中で、逃げ惑う人々は突然の襲撃で、次々にナイトから取り押さえられ、食料として網に掛けられた。


 たくさんの使族が村人を襲う中、一人だけサナギみたいなのがいた。

 ナイト達に担ぎ上げられ、逃げる村人を満面喜色の笑みで見ていた。


『やれ! 捕らえろ! きゃはははっ!』


 嬉しそうな声がサナギの中で反響していた。

 ブナはサナギを睨みつけて、「くそっ! くそっ!」と、怖くて動けない体を無理に動かし、まだ小さいのに立ち向かった。


 その結果、突然目の前に空間の歪みが現れた。


 呆気に囚われていると、手の平サイズの石が目にも留まらない速さで飛んできた。


 石は、鉛玉のように硬い。


 ブナの柔らかい腹部は簡単に貫通し、母親の見ている前で地面に転がってしまった。


 ずっと嘔吐が続いた。

 吐いた物は全部赤色。

 母が涙を流して、上体を起こしたのは未だに覚えている。


 問題は、その後だ。


『宇宙の意思は――お前たちに好き放題させるために――あるわけじゃない』


 声だけは覚えている。

 声色を聞いた印象は、針のように尖ったナイフ。

 実に、攻撃的だった。


 涙で霞んだ視界には、大きな何かが立っていた。


 5m?

 もうちょっとあるか。


 巨大な何かは、骨格が剥き出しの黒い何か。

 顔は巨大な蜘蛛だった。

 紫色に光る四つの目。


 大きな蜘蛛は、腕を振ってみせた。

 一振りで10人が死んだ。

 何度、大きく手を振った事か。

 剣やら何やらで、体中をボコボコに殴られていたのに、それには全く効いていない。


『は……っ、あぐっ、――ァッ!』


 サナギを片手に握り、マリアと呼ばれた蜘蛛が振り向く。

 表情は見えないが、母を一瞥した後、大きく振りかぶった腕を今度は空に向かって振り回したのを覚えている。


 ビュン、と風を切る音が聞こえ、遠くで木が倒れる音がした。

 あるいは、地面がへこんだ音だったのかもしれない。


『マリア様……っ! う、ぐっ……』


 蜘蛛が急いで駆け寄り、母の後ろにいた使族を片手で握りつぶした。

 母は背中を切られたようだった。

 何度か切られていたみたいで、ずっと痛みを我慢し、息子を抱えていた。


『息子を……お願い……っ』


 シュル、と糸が視界を覆い、ブナは全身が温かい物で包まれた。

 それから、意識を失い、ブナは町に運ばれたのである。


 後ろから抱き着くねちっこい手を振り払い、ブナはゆるゆるになった鎖を掴む。


「ちょぉいっ! 本気ィ!? 死ぬよォ⁉」

「うっさい! あのサナギに一発蹴りをかましてやるんだ!」


 文字通り、親の仇だ。

 理性的に考えれば、他に方法はいくらでもあるだろう。

 だが、無理だ。

 生理的なレベルで、感情を抑えられないものというのが、この世にはあってしまう。


 親の仇は、良い例であった。


 落ちないよう足元に気を付けて、板を踏んでいく。


「フーッ、フーッ! 待って!」

「え、ちょ……」


 ぎしぃっ。

 思いっきり、橋の床が軋み、ブナは全身が震えた。


「く、来るなよ!」

「ダメだ。今の君を見ていたら、昔に女の人の裸を覗き込んで、親に怒られた記憶が蘇った!」

「……んだよ、それぇ!」

「放ってはおけないじぇ!」


 急に表情が引き締まったオッサン。

 一人で戦場に向かおうとする子供を放っておかず、鎖を掴みながら渡り、確実に床板の寿命を縮まらせていく。


「ストップ! 壊れる! 壊れるって!」

「はぁ、あ、はぁ、はぁ! やば、足が、笑ってる……」


 膝がガクガク揺れる事で、揺れが橋全体に伝わっていた。

 どれだけ重いのか分からないが、オッサンは舌を出して、今にもその場で倒れそうだ。


「ひ、一つずつ、進もう! ね⁉」

「お、……おう」


 もしかしたら、橋が壊れて死ぬかもしれない。

 後ろのオッサンを気遣いながら、ブナは親仇の待つ教会に向かった。

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