ココン

 重厚な金属の大扉を開き、中に入る。

 レイアが初めに見たものは、死体だった。


 何人いるか分からない。

 大口を開けるほど顎を持ち上げ、高い天井を見上げる。

 いくつもの死体が束となって吊るされていたのだ。

 遥か真上から、手を伸ばせば届く距離にまで青白くなった肉塊が吊るされている。


 辺りを照らすのは、四方八方にある虹色の磨りガラス。

 そこから差し込んだ日光だけが、礼拝堂の薄気味悪い闇を透かしている。


 小教会とは違い、長椅子は15の数が並べられている。

 これがアーチ形に並べられていて、祭壇は礼拝堂の真ん中にあった。


 祭壇には、ちょうど真上に見える天窓から差し込んだ光が、光柱こうちゅうのように降り注ぎ、飾られているマリア像を照らしている。


「フッ……フッ……フッ……」


 荒い息遣いが聞こえた。

 死体を掻き分け、レイアは杖を片手に持ち、斧をいつでも振り下ろせるように肩へ担ぐ。


(肌がジリジリとする……。前に、階段を上がった先で味わった感覚。針の先で、しつこく皮膚を掻かれてるみたいな不快感)


 ブー、ブー、と斧の面が微振動していた。

 振動は長柄を伝って、レイアの肩に異常を報せてくる。


 レイアは祭壇を睨みつけた。


 天窓から祝福の光を受けているのは、マリア像ではない。

 別の何かだった。

 マリア像は上体が崩され、粉々になっている。

 代わりに、サナギのような何かが蹲っていた。


「お前がココンか」

「ふ、シュ、ふ、シュ……」


 名前を呼ぶと、それが振り向いた。

 姿を見て、レイアは顔をしかめた。

 サナギ――ではない。


 土色の爛れた皮膚だ。

 皮膚が硬質化し、サナギのような形をしているだけ。

 例えるのなら、茶色のクリスタルがあって、中に入っている人間が半透明の表面越しに、外を窺っている。


 ギョロギョロとした目玉が動き、レイアを見ると、息遣いは荒くなった。


 首を真横に折り曲げた、不気味な生命体。

 使者だ。


「だ~れ?」

「お前を殺しにきた人間だよ。大人しくしてろ。今、殺してやる」

「うンふ、きひっ」


 茶色の表面越しに顔らしき形が、笑みを作った。


「……見た事あるなぁ。どうしてだろう。傷が疼く」


 レイアは柄を握りしめた。

 歩みは少しだけ早くなり、力強さが増した。


「ね~ぇ? マリアはどこ?」

「あ?」

「あいつのせいで、体中がメチャクチャ。ブスのくせに。あたちの可愛い姿が、メチャクチャ」


 何のことを言ってるか分からない。

 ココンはマリアという人物に、相当の恨みを持っているらしい事は伝わってくる。


 殻がカチカチと音を鳴らし、デコボコに膨らんできた。

 中では手足が殻を破らんばかりに、内壁を引っ掻いていた。

 そうやって暴れる中、レイアは片腕と肩に注目する。


 赤黒く点滅する石の塊。

 間違いない。

 レイアが解放した甲冑の一部だ。


 動きを制限されているせいで、ココンは身動きが取りにくいようだった。


「人間はね。あたち達がいないと、ダメなの」


 斧をゆっくりと下ろし、平面を斜めに立てた。

 重厚な金属が綺麗な床の表面を擦り、約3mの所まで接近する。

 狙いを定め、レイアは静かに息を吐いた。


「人間の命。生みだした物。特に、崇拝。あれは、あたちだけのもの。他は悪魔。みんな悪魔。あたちが管理しないと、人間はすぐに悪さをする。たくさん殺して、余った人間から教育してあげないとね」


 気持ちの悪い笑みを漏らし、ココンは笑った。

 彼女からすれば、人間は所有物なのだそうだ。


「マリアだけは許さない。あいつが、全部持っていく。人間にチヤホヤされて。いい気になって――」


 最後の一歩を踏み出した直後、レイアの尻には深いえくぼが出来上がった。太ももやふくらはぎが膨らみ、広背筋が一気に膨張していく。


「うるせえよ。病気女」


 ありったけの力で斧を振るうと、岩の砕けるような破壊音が、礼拝堂内に響いた。斧はサナギの表面を砕き、力任せに殻を破いていく。


 ただ、見た目よりも、かなり硬いのが感触で分かった。

 鉄の痺れがレイアの手首に伝わり、チクリとした痛みで、思わず舌打ちをする。


「ほら。悪さをする。だから、あたちがいるのよ」


 ふと、レイアの視界が明るくなった。


「――?――」


 目を見開いて、違和感を探る。

 時間にして、数秒。

 違和感は周囲に目を向ける事で解決した。


……」


 ――消えた。

 窓からの明かりを遮蔽しゃへいしていた物がなくなり、一気に明るさを取り戻したのだ。

 明かりが反射した事で、目の前にはふわふわと浮かぶ埃が見えた。


 埃と、サナギの中で嗤う顔。


 そして、レイアを囲むようにして、空間が歪み始めた。

 水面を小刻みに震わせたようだった。

 歪んだ空間は、その中央部に小石のような物体が浮かんでいる。


 果汁を絞るみたいに、赤い滴が垂れていて、レイアは咄嗟に両足へ力を込めた。


「ばいばーい♪」


 次の瞬間、レイアの立つ場所には、いくつもの小さな物体が飛んできた。

 まるで、銃弾の雨。

 しかし、銃弾にしては威力がおかしい。

 砲弾をありったけ打ち込んだかのように、床石は砕かれ、剥き出しになった土からは、泥が飛び散り、茶色の煙幕が辺りを覆う。


「キャ、はははははっ! 人間って、……ほんっと頭悪~い♪」


 土埃の中からは、杖だけが軽い音を立てて転がってきた。

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