過去の対峙

 大陸の東には、階段がある。

 長い階段だ。

 天空に続く階段と言えば、真っ青な空が思い浮かぶが、実際は違った。


 階段を上がった先にあるのは、真っ暗な空間。

 無限に続く広大な異空間で、周囲には星が散りばめられていた。


 2億人規模の兵士が階段に向かうまでの間、悉く死に絶えた中、重装歩兵の三人だけが階段を上がり続けた。


 彼女たちを迎えたのは、四人の使者。

 まるで紅茶会でも開いていたかのように、使者達は階段を上がってきた重装歩兵の三人に不敵な笑みを漏らす。


「きゃっは。本当に来ちゃったっ」


 声がどこまでも反響する。

 反響がずっと続くと、声ではない何かに変わり、鼓膜には不快な振動だけが残った。


「ここはお前たちの来る場所じゃない。失せろ」


 三人は構わずに空間の中に浮かぶ、四つの影に向かって近づいていく。

 歩く途中で、後ろにいるレイアに二人が言った。


「お前がやれ」

「ウチらじゃ、食い止めるので精一杯かも」


 来たばかりで、どうしてそんな事が分かるのか。

 疑問は一瞬で解決した。

 前を歩く二人は、いつの間にか遠く離れた場所にまで移されていたのだ。


 空間は歪み、周囲で光を放つ星は降り、理論体系で現象の数々を考えると、訳が分からなくなる。

 常識なんてなかった。

 人間が「あり得ない」と言っている事が、次から次へと起きてくる。


 魔法。異能。何かしらの能力。


 全部、言葉が当てはまらない。

 宇宙のような空間で、起きている現象を言葉で表すならば、『超常』と呼ぶのが相応しいだろう。


 人智を超え過ぎた存在と力は、人の理解を破壊してくる。


 暗闇には、鐘を鈍器で何度も叩くような轟音が響いてくる。

 轟音に混ざって、二人の声がレイアの耳朶を打った。


「やれぇ!」

「今の内に――早く――ッ!」


 裏切りの使者に教えられた甲冑の使い方。

 それは、事。

 原理としては、のようなものだった。


 レイアは四つの影がある場所までがむしゃらに走った。


「ぐぬっ、重いッ!」


 パキパキと全身の甲冑が悲鳴を上げている。

 細かい亀裂が走り、先ほどまで耐えられる重さだったのに。

 近づけば近づくほど、二倍、三倍と重さが増していく。


 駆け足が、やがて歩みに変わる。

 歩みが、いずれ足を引きずるようになる。


「ウオオオオオァァァァ……ッッ! ぐあ、あああああっ!」


 腹の底から声を絞り出し、レイアは前進する。

 この間、他の二人は近づく事さえ許されなかった。

 一方的な遠距離攻撃を全身に浴びて、甲冑が鐘のような音を鳴らし続けている。悲鳴さえ聞こえなかった。


「絶対に、お前らだけは、……止めなくちゃいけないんだ!」


 先に、兜が脱げた。

 バラバラに分解された兜は、石のつぶてとなって暗闇に消えていく。

 代わりに、使者の悲鳴が聞こえた。


「あたしは、絶対にお花屋さんになるぞ!」


 胴回りの甲がメリメリと剥がれていく。

 甲冑が分解されたことで、重さは軽減した。が、剥がれる際に、全身の肉まで持っていかれそうになる。


 力んでいないと、それこそ全身の骨や肉がバラバラになる勢いだった。


「お前らみたいな、くそったれにぃ! 邪魔されてたまるかッ!」


 足の甲がバラバラになり、分解する際の圧力で、股が大きく開かれていく。

 圧力に身を任せたら最後だ。

 力を抜いた途端に、股下から千切れてしまう。

 太ももの内側に力を入れ、レイアは四つん這いの恰好で、ジッと耐えた。


 もう一歩も進めない。

 いや、進む必要がない。

 後は耐えるのみ。


「くそ。こいつは押さえないといけないのかよ」


 ガタガタと震え出す大きな斧。

 甲冑とは違い、石の塊みたいなもので、未だに分解は進んでいない。

 表面の赤い線がパチパチと点滅しているだけだ。


 両手で押さえて、止めを刺すための武器は手放さないようにする。


(どうせなら、武器だけ預かって。他の二人が甲冑をあいつらにぶちかましてくれりゃ、楽なんだけどね)


 計画通りにはいかない。

 レイア達の想像を遥かに上回る現象で、すぐに安易な算段は砕かれた。


 幸い、グローブだけは、中に皮の手袋をもう一つ重ねていた。

 手が擦れないためだ。

 これだけを残し、手を覆っていた甲冑は、全部持っていかれる。


 全ての甲冑が剥がれた頃には、レイアの全身は細かい傷だらけで、血と汗に濡れていた。


「……立たなきゃ……」


 他の二人がどうなったか、分からない。

 斧は微かに振動しているが、磁石のように引き寄せられることはなかった。


 斧を空間の床に突いて、かろうじて立ち上がったが、レイアの肉体は限界だった。


「ちき、しょ……」


 周囲に浮かぶ黒い影が、徐々に輪郭を暗闇に浮かび上がらせていく。

 甲冑の赤黒い表面が、斧と同じように発光しているのだ。

 鈍い光で照らされた使者達の姿を見て、レイアは奥歯を噛む。


 使族は男が多いのに対し、使者は全て女だった。


 怒りと苦痛に歪んだ表情でレイアを睨み、一人はそのまま意識を失い、残りの三人はメチャクチャに暴れ出した。


「お、のれぇ! 切り刻んでやるぞ! 虫けらッ!」

「……はぁ……ハァ……。う、マズ……」


 無数の攻撃が空間の床に着弾し、レイアは濁った視界の中で、耐え続けた。宇宙空間が破壊されると、次に濁った視界へ飛び込んできたのは、綺麗な海原だった。


 ずっと目が霞んでいるせいで、何を見ているのかは分からなかったが、持っていたはずの斧がいつの間にか手を離れ、大きな緑の陸地に落ちていくのは見ていた。


 意識を失うわけにはいかず、レイアはボロボロの状態で海に頭から突っ込んだのであった。

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