断崖の孤島

 結局連れていく事になったハゲタカの子供。


「名前は何にしよっか?」

「オッサンでいいだろ。こんなもん」

「オッサンかぁ」


 ニチャニチャとした屈託のない笑みが特徴の使族、ハゲタカの名前はオッサンという事になった。

 オッサンを連れて、墓地を抜けると、霧はすぐに晴れた。

 森林に囲まれた一本道の先は、道幅が段々と広くなっていき、やがて長いつり橋の前に出る。


「……おいおい。こりゃ……」


 レイアはつり橋の先を見つめて、ぽかんと口を開けた。

 つり橋の長さは、墓地の入口から出口より、少し長いくらいか。

 ダラン、と垂れた不安定なつり橋が、海風に揺れていて、奥には断崖絶壁の孤島があった。


「あれが教会?」

「……あぁ。みたいだ。でも、おかしいな。あたしは、何度か教会に足を運んでるんだ」


 後ろから抱き着くオッサンを片手で押しのけ、レイアは斧の先端を地面に突き立てた。


 改めて、つり橋と最奥の小さな孤島を眺める。


ぞ。何もかも。建物は、確かに大教会だ」


 孤島の広さは、本当に最低限の足の踏み場しかない。

 真ん中に大きく聳え立つのは、大陸に大昔からある聖バルトナ大教会。

 教会施設の左右に建っている、二本の尖塔が目印だ。

 尖塔の間には、入口の大扉があり、奥は礼拝堂となっている。


 礼拝堂を抜けた先には、中庭。

 中庭の奥には、本来であればシスターなどが寝泊まりする宿舎がある。また、宿舎とは隣接して、大陸の歴史や大陸に点在した国々の記録や資料、聖書など図書館に保管されていた。


 レイアの記憶では、大教会までは陸続きだったはず。

 眉間を摘まみ、レイアは何度も頭を傾げる。


「どうしたの?」

「いや、……何か。あたしの記憶と全く異なるというか。気のせいか地形まで変わってる気がする……」

「そうなんだ。オイラ来たことないから分かんない」

「あたしは、それなりに金のある家に産まれたからね。こういう場所とは縁があるのよ」


 オッサンが金のワードで振り向き、イノセントな目で見つめている。

 何かに興味をそそられたのだろうか。


「ママ。貴族?」

「……よく貴族って言葉が出てきたな。本当に子供かよ」

「貴族ってなに?」


 にんまりと笑い、オッサンが説明する。


「金持ち。昔、領主って人達がいた時代のこと」

「へえ。すっげ」


 子供とは思えない知識量に、レイアは腕を組み、オッサンの頭部を睨む。ハゲタカの子供らしいが、それなりに頭はできてるのではないか。

 見た目通り、中身がオッサンな気がしてきて、ますます信用ができなくなった。


「にしても、……ここを渡ったら、何かあった時に逃げきれないね」


 教会は全体的に黒ずみ、心を洗う場所というよりは、穢れの塊に見えた。荘厳な造りの外壁や細長い形の大きな窓さえ、全てが権威を象徴とし、見る者にを突き付けてくる。


 信仰熱心ではないから、レイアにはそう見えているのかもしれなかった。ともあれ、ブナを連れて行くのは危険だろう。


「おい。ここで留守番だ」

「ええ!?」

「ええええええええええええええ!?」


 オッサンが一番叫び、うるさい声が海の向こうまで届く。

 咄嗟に禿げ上がった頭を叩き、「うるさい」と、静かにするように叱りつける。


「何かあった時、逃げ切れないんだよ。ほら。見ろ。つり橋は不安定だ。向こうの崖まで吊るされているのは鎖だが――」


 よく見れば、鎖は赤くなっていた。

 錆だ。

 橋の床は木が痛んでおり、穴まで空いている。


「いつから、これがあったのやら。あたしには分からんけど。何人も渡れば、橋に負担が掛かる。いつ落ちたっておかしくない。危ないから、ここで留守番だ」


 ブナの膨らむ頬を指で潰し、いまいち信用できないオッサンの胸を強めに叩いた。ゼリー状にプルプルと揺れる胸肉を押さえ、オッサンは今にも死にそうな顔で蹲る。


「お前、こいつに手出すなよ。貴族とか知ってるくらいなら、人間が使者と呼んでる奴がどれだけマズいか分かるよな」


 ブナの両耳を大きな手で塞ぎ、


「こいつは、その一人に気に入られてる。下手したら、お前地獄逝きだからな」

「……え”?」


 オッサンはビクリと震える。

 反応を見るに、やはり知っているようだ。

 危険性を知っているのならば、下手な真似はしないだろう。


「なに? 何話してるの?」

「脅してただけだ」


 乱暴に解放し、レイアは自分の荷物をブナに預けた。

 中から杖を取り出し、片手には斧を持つ。


「それ預かっててくれ」

「姉ちゃん!」

「うるさい。待ってろって言ったら待ってろ」


 親指と人差し指で輪っかを作り、斧の柄を持ちなおすと、残りの指で杖を持った。空いた片手はバランスを取るために、手ぶらにしておく。


 そっと片足を乗せると、早速つり橋の床はギシギシと軋みだした。


「おぉー……、こえぇ……」


 幸い、下は海だ。

 そう思い、進みながら真下を覗き込む。


(マジか)


 空色の海面が下にはあった。

 海面の中に浮かぶ黒い藻を凝視して、レイアはある事に気づく。


 木だ。

 森の木が、真下にあるのだ。

 海に生えること自体が、本当に信じられない。

 だけど、確かに海の奥底には木々が並んでおり、青色の葉っぱを波に合わせて動かしている。


「あ! チーズだ!」


 後ろからは、呑気にブナが荷物を漁る声がする。

 言いたい事はあるが、気を惹けているのなら良し、とレイアは無視する。


「教会の真下まで、どうなってるんだ」


 大教会の建つ孤島は、円錐形えんすいけいを逆さにした形だった。

 下にいけばいくほど、崖は細く、鋭い形になっている。

 不安定な教会の地盤を支えているのは、三方向に伸びた長い岩石だった。


 つまり、針のように細い足が一本。

 斜め下から伸びた足が、三本。

 計四つの脚で、大教会のある孤島は支えられている。


 不可思議な光景を眺めて、つり橋の中腹までやってきた。

 ふと、レイアは周囲の景色に目を移した。


「……なんだ。空間が……歪んでる……」


 水の表面が、振動で震えるみたいに、何もない空間が歪んでいた。

 レイアを囲むようにして、空間は歪んでいるのだが、無視して先へ進むと、また一つ。さらに一つ、と空間の歪みが増えていく。


 レイアは無視して、つり橋の向こうに渡り続けた。


 ただ、遠くから眺めていたブナだけは、何やら空間の歪みに見覚えがあるらしく、苦い顔を浮かべていた。

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