ハゲタカ

 聖バルトナ大教会に向かう途中には、墓地街がある。

 この墓地街という奇妙な呼称は、文字通り、墓石だらけの地帯を差す。

 道は北から南まで、一本道。

 両脇には名前の刻まれた細い墓石が地面に突き立てられ、辺りは虫の声が聞こえないほどに静かだった。


「うぅ。何か出そう」


 ブナは墓が苦手だ。

 人の死と向き合うことができていないのもあるが、何となく化けて出てきそうな雰囲気が嫌だった。


 レイアのパンツを握り、辺りを見渡すブナは、微かな草木の揺れにまでビクついてしまう。


「……引っ張るな」

「だって……」

「脱げるだろ」


 ビクつく度に、尻の片方がはみ出てしまい、レイアは何度も直す羽目になっている。


「何か出てきそうだもん」

「死んだら、さっさとあの世に逝くだけだ。こんな場所に人間はいないよ」


 信仰上、色々と誤解を生みそうだが、レイアは素で言っている。

 そもそも、人間の骨が埋まっている場所もあれば、墓石だけを立てている所もあり、必ずしも死者の遺体が埋められている訳ではない。

 だから、レイアは幽霊の類を信じていなかった。


(まったく。やりにくいったら、ありゃしないね)


 ここ2、3日のブナは、大変良い子であった。

 寝る時も、用を足す時も。

 ずっとレイアから離れずに、近くにいた。


 寝る時なんて、レイアの言いつけ通りにお腹へしがみついて寝ているくらいだ。ブナからすれば身を守るために離れないだけだろうが、仮にも子供とはいえ、異性にここまで抱き着かれることなど全くなかったので、レイアは非常にやりにくさを感じている。


 今はパンツから手を離し、片足にしがみついていた。


「歩きにくいって」

「お、おぶってよ」

「荷物が増えるじゃないか」


 と、言いつつも、レイアはしゃがみ込んで、何気なく前を見た。


「ん?」


 薄い霧の向こうに、誰かが立っている。


「うわ。岩をよじ登ってるみたい」


 ブナが背中に乗り、首に腕を回す。

 レイアは立ち上がらずに、前に目を凝らした。


「なんだ、あれ?」


 よく見れば、腰蓑を付けた大男である。

 体型はデブで、歩く度に「ふーっ、ふーっ」と息切れを起こしていた。

 ブナも前の方を見て、それに気づいたようだ。


「ハゲタカだよ」

「ハゲタカ?」

「うん。たまに、空を飛んでるんだけど。体が重すぎて、ちょくちょく落ちてくるんだよね」

「……大丈夫だったのか?」

「何が?」

「いや、使族だろ。あれ」


 ブナは逞しい肩に顎を乗せ、リラックスした表情で言う。


「大丈夫だよ。落ちてきた時は、腹を強く打って悶絶してるから。何日か動けないんだ」


 武器を収集していながら、ブナは色々な使族を見てきた。

 大抵は近寄らないが、ハゲタカの場合、自滅する謎の習性を持っているために子供でも無傷で生還できることが多い。


 捕まれば、ぬいぐるみを可愛がる乙女のように、脂の乗った皮下脂肪に包まれ、酸っぱい臭いのする吐息を嗅がされる程度で済む。


「ていうか、姉ちゃん見たことないの?」

「いやぁ、……あたしの場合、陸にいるのなら見た事があるけど。つか、……なんか、しばらく見ない内に、生態系が変わってないか?」


 種類が増えている気がした。

 とりあえず、レイアは両手に荷物を抱えて前に進む。

 ハゲタカは近づいてくるレイアに気づいたみたいで、「にちゃぁ」とした笑みを浮かべた。


 墓石の立ち並ぶ場所を通り、迂回するようにして進んでいくと、ハゲタカはドスドス音を立てて近づいてきた。


(きたら、頭陥没させてやる)


 ひそかに、自分の中で殺害予告を漏らし、敵の動向を探った。

 すると――。


「マ、ンマ!」

「うおっ⁉」


 ハゲタカは攻撃してくるわけではなく、いきなり抱き着いてきた。

 その様子を肩越しに見ていて、ブナはある事に気づいた。


「あ、こいつ、ひな鳥だ」

「ひなぁ?」

「ほら。頭がツルツル。確か、シスターが言ってた。大人になると、使族は髪の毛が生えてくるんだって。髪がないから、まだ子供だよ」


 どう見たって、つるっぱげの中年男性にしか見えない。

 羽と思わしき部分は、腕の下についていて、スダレが垂れ下がっている風にしか見えない。


 そして、ハゲタカの見た目は40歳程度の男にしか見えず、身長はレイアの顎下までだ。


 ハゲタカはレイアを親と思っているのか。

 充血した目で大きく膨らんだ胸に注目している。

 ミルクが欲しいのだろう。


「きっしょく悪いな! 離れろって!」

「ママ! ママ!」

「おっさんだろ、お前!」


 胸の谷間に顔を埋め、間に流れる汗の滴をミルクと勘違いして、ハゲタカは必死にしゃぶりついていた。

 レイアは腰をよじって、必死に抵抗するが、両腕を後ろに回されてしまい、上手く振り払えなかった。


(あれ? でも、ひながいるってことは……)


 ブナが周りを見ると、ある一点に目が留まる。

 たくさんある墓石の内、一つに違和感があった。


 ブナから見て、斜め後ろだ。

 細い墓石が中ほどから折れていて、傍にはハゲタカの死体があった。

 スダレハゲの頭頂部は、大人である証拠。

 腹は青紫色になっていて、口からは泡をボコボコ吹き出しているではないか。


「わかった。親、……死んだんだ。でも、姉ちゃんのことを親と勘違いしてるってことは、まだ生まれて間もないんじゃないかな」


 鳥は初めに見た者を親と思い込む。

 ハゲタカも例ではない。


「巣はどこにあるんだよ!」

「えっと、ね」


 辺りは薄い霧が漂っており、視界が悪い。


「たぶん。どこかにあるんじゃないかな。木と藁で作った家があるみたいなんだけど」

「……それ、家屋じゃないか。巣じゃないよ。ああっ、もう! 離れろって!」


 一旦、手に持った荷物を下ろし、レイアは無理やりハゲタカを引き剥がす。


「ママ! お腹! 空いた!」


 野太い声がレイアの心臓をざわつかせた。

 おっさんが幼児退行して甘えているようにしか見えず、気持ち悪さを感じると同時に、血管が切れそうなほどイラっとくるのだ。


「どうする? 連れて行く?」

「はぁ? こいつをか?」


 幼児退行した見た目がおっさんの何かをパーティーに入れるなんて、前代未聞だ。ブナを連れてくるだけで、気疲れをしたというのに、冗談ではなかった。


 レイアは容赦なく突き飛ばし、仰向けに寝転がるハゲタカを前に斧を持ち上げた。


「ここで殺すに決まってるだろ」

「……そっか」


 無邪気に親指をしゃぶるハゲタカを見て、ブナは何だか居た堪れない気持ちになった。


 実は本当の親は死んでいて、親だと思っていた人に殺される。

 残酷ではあるが、無責任な優しさを振りかざしては、大自然で生きていけない。


「親のそばで死ねるなら、……いいのかな」

「くっ……」


 レイアは目を瞑り、持ち上げた斧が小刻みに震える。


「ママ! おんぶ! おんぶ!」

「親の顔を知らないもんね。でも、……うん。仕方ないか」

「……ぐ……ぅぅ……」


 レイアは斧を――静かに下ろし、眉間を摘まんだ。

 ブナは哀れむ眼差しを向けて、ため息をこぼす。

 悪気はないのだろうけど、レイアからすれば、非常にやりにくい。


「何で、生態系が変わってるんだ……。モグラの方がやりやすかった」


 陸上系は目に付く機会が多いし、大体攻撃的であるか、成人男性と変わらない生き物が多い。

 しかし、今目の前にいるのは、幼児退行したおっさんの見た目をした、ハゲタカ。


 究極の二択を迫られ、レイアはその場に屈みこんだ。

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