とある異世界の、ドラゴンの悲恋

烏丸

本編

 私の恋は叶わない。それでも、私は彼に恋してしまった。

 無情だと思う。どうしてこの感情は生まれてしまうのか。





 最初に出会った頃はこんな気持ちになるなんて考えられなかった。

 人間の男なんて全部同じで、期待なんてこれっぽっちも無かった。

 それに、同じ体格なのに角も生えていないし、私たち龍族の劣化版だとさえ思っていた。


 勇者一行に加わった時、最初に目が合ったのがその人間の男だった。

 イクスと名乗った、戦士の彼。彼は常に勇者の隣で戦い、彼を励ましていた。

 勇者とは昔からの友人なようだ。勇者と仲良く話す彼はとてもやさしい表情をしていた。


 魔王を倒すための旅。統一感のない集まりであるそれはまさに義勇軍とでも言うべきか。

 異国から来た踊り子には驚いたが、果ては聖女が教会から派遣されるという混在具合。

 それらが全て魔王を倒すための力だというのだ。


 みんなとは仲良くやってた方だと思う。勇者を巡っての色々はあった気がするが、私はそんないざこざとは無縁だった。

 だって、私は……。


 長い時を過ごしていると、嫌でも話す機会は増えていく。

 無言を貫けるほど、旅は優しくない。

 最初は抵抗感があった人間たちとも、私はいつしか話すようになっていた。

 特に、イクスと話す機会が増えていった。

 戦いの時、彼は魔物を切り倒していく。その仕事の他に、みんなの様子を気遣っているのだ。

 気遣いなんて他の人にやらせればいいのに。

 正直な意見を彼に伝えると、彼ははにかみながら答えるのだ。


「周囲の状況確認のついでなんだ。まあ、結果的にみんなへ声をかけてるけどな」


「真面目なのね、あなたって」


「よく言われる。特にお前にはな」


 思った通りの答えが返ってきて、私の口角が上がる。

 だから、私も彼が期待するような答えを贈るんだ。


「……バカ」


 最初の頃はこんな甘嚙みじゃなかった……と思う。

 イクスの戦い方はおかしい。先陣を切って勇者よりも魔物と戦い、ある程度消耗しても、勇者を支えようと撤退しない。

 陣を組んで計画的に戦えばいい。イクス一人が犠牲になっていつも傷つく必要はない。

 当時は自分の知識を試したかったのかもしれない。龍族の中で学んだ作戦を試してみたい。

 最初の私は彼をダシに使おうとしたのだ。

 だが、イクスはいつも否定する。自分が先に行くと。彼は意思を曲げない。


「あんたねぇ! いつか死ぬよ!?」


「それでも勇者が守られるならいい。俺はアイツを生かすために、この集まりに参加したんだ」


「勇者がそんなに大事!?」


「大事だ。魔王を倒せるかもしれない、唯一の希望だからな」


「――バカッ!!」


 どうやってイクスを言いくるめようか。

 そんなふしだらな理由で、私はイクスを観察するようになった。

 戦いでボロボロに傷つきながら、ヘラヘラ笑って誤魔化すアイツ。

 周りの人に気遣うアイツ。

 寝てる時は無垢な少年みたいで可愛いアイツ。

 戦いの時はやっぱり、率先して動いて勝利への道を切り開くアイツ。


 言いくるめられる理由を思いついた時には、すでに遅かった。

 私はアイツの虜になっていたのだから。


 そんな関係になっても、イクスと私で口喧嘩することはあった。

 自分は前線に出て戦う癖に、私が前に出たら文句を言うのだ。


「前に出すぎだ。少しは自分の体に気を遣ってくれ」


「イクスがそれ言うの? 私はただ……」


 あなたを支えたいだけ。それが言えれば苦労しない。

 口ごもる私に、イクスはため息をつく。


「お前が傷ついて悲しむ人がいること、分かってくれ」


「――例えば?」


「そ、それは……勇者、とか」


 バカ。バーカ。バーーーカ。

 もうイクスなんて知らないんだから。

 ……そう言っても、何時間もしないうちに彼との会話が始まるのが悔しい。


***


 勇者一行の旅は佳境を迎える。

 今日はダンジョンへ潜っている。目的は聖剣だ。

 魔王を倒すために必要な聖剣――ラグナロクカリバー――。

 ダンジョンの最下層に祀られているというその聖剣。

 聖なる輝きを放つその聖剣があれば、魔王を倒せる。

 城下町の教会に飾られた模造品じゃない。本物の聖剣だ。

 そんな素晴らしい武器を見逃すはずがない。

 私たちは辛い戦いを乗り越え、ダンジョンの奥へ潜っていく。

 そして、最下層にたどり着いた私たちを待っていたものは。


「……折れている、だと?」


 がっくりと項垂れる勇者。

 それもそのはず、魔王を倒すとされる聖剣は、刀身が折れて使い物にならなくなっていたのだ。

 魔王の声がダンジョン内に鳴り響く。


『その剣は我が破壊した! 勇者! 貴様が勝利する可能性は皆無だ!!』


 深いダンジョンを潜った見返りがないことの徒労感。

 魔王を倒せるかもしれない希望がねじ切られるほどの絶望。


 イクスもそれを感じているはずなのに、彼は項垂れる勇者の肩に手を置き、励ましていた。

 こんな時でも、アイツは変わらない。


 それから、私たちの旅は少しだけ目的が変わる。

 魔王によって折られた聖剣を修復する方法を探す旅だ。

 あらゆる国・町・村の古文書をあさり、手がかりを見つける旅。


 途方もない旅。修復方法が見つからないかもしれない不安。

 しかし、手がかりはあった。私の故郷の古文書に。

 一行は大喜び。私も覚悟して故郷のみんなを説得した甲斐があったというもの。

 修復方法があった時のイクスの喜びに満ち足りた顔は、生涯忘れることは無いだろう。


 だが、運命は残酷だ。修復方法に問題があった。

 聖剣の復活に必要なもの。それは、手練れの戦士の魂だった。

 気高き魂を触媒に聖剣は力を取り戻し、魔王を倒すというのだ。

 それが魂の儀だと、古文書は無残にも記してあった。


「なら、俺が犠牲になる」


 こういう時、一番に声を上げるのは、やっぱりアイツだった。

 勇者も人の子だ。もちろん、イクスの犠牲に反対していた。

 私も反対だ。そんなの、許されない。イクスだけは、犠牲になってはいけない。


「聖剣無しで魔王と戦っても、勝てるかどうか分からない。別の方法はあるかもしれない。でも、こうしている間に力の弱い国は滅び、村は焼かれ、人々は魔物の餌食になる。俺は……これ以上の犠牲が出るのは嫌なんだ」


 イクスの反論に誰も異を唱えることはできない。

 修復方法を探すのに、かなりの時間を使ってしまった。ここから別の方法を模索するには、時間が足りない。


 魂の儀が執り行われる前日の夜。

 つまり、イクスが人間でいられる最後の夜だった。

 みんなが寝静まった真夜中でも、私は寝付くことができなかった。

 イクスがいなくなる。その事実がまだ信じることができない。

 起き上がり、私はあてもなく歩く。


「……あっ」


 その中で、私はイクスの姿を見つけた。

 イクスは地面に座りながら、星空を眺めていた。

 あそこは、この世界でもっとも遠く、もっとも安全な場所なのだろう。

 あの瞬きは、昼間の光を吸収して輝いているとでもいうのか。

 一つ一つは小さな光。そんな光が夜空に照らされると、みんな惹かれるというもの。

 でも、私は目の前の消えゆく大きな光に惹かれていた。


「隣、いい?」


「……ああ」


 イクスの隣に座る。

 いつもと同じ心臓の鼓動。同じなのに、今はどうしてこうも胸が締め付けられるのか。


「魂の儀。本当に行うつもり?」


「俺の犠牲で魔王を倒せるなら後悔はない」


 きっぱり言い放つイクス。

 ……もし、もしもだ。私の想いで彼が思い留まったら、どうなるのだろう。

 勇者は魔王に敗れて、世界は闇に包まれる。私とイクスも滅ぼされる。でも、叶うのなら、私はあなたと……。


「――二人で逃げない?」


「どうして?」


「やっぱり、間違ってる。イクスが犠牲になるのは」


「考える時間は無い。あの方法で聖剣が復活するなら、やるしかないんだ」


「――私がこんなに想ってるのに?」


「…………」


「好き、なの。誰よりもあなたのことが。だから、私の前から……消えないで」


 私はイクスに手を合わせる。

 私の温度を感じてほしい。想いが伝わってほしい。


 沈黙が私たちを包む。

 永遠と思われたその時は、イクスの一言によって破られた。


「……ごめん。君の気持ちは嬉しい。本当に、嬉しいんだ。……でも、俺は……その気持ちに応えることは出来ない」


「私が龍族だから?」


「違う」


「……聖剣になるから?」


 コクリと頷くイクス。


「あと……少しだけでも待ってはくれないの?」


「時間は迫ってる。俺の意思は変わらない」


「どうしても……なの?」


「ああ。魔王を倒す。その勇者の力になる。それが俺の願いだから」


 嫌だったけど、やっぱり思った通りの答えが返ってくる。

 納得できない結末。彼が犠牲になるのは嫌だ。

 でも彼を救うことができない。

 それどころか、私自身でこの土地に呼び寄せてしまったのだ。

 ……バカなのは私の方だったのだ。


 もがけばもがくほど、イクスとの距離が離れていく感覚。

 それに耐えられず、とっさに、私が彼に贈ってしまった言葉。


「――嫌い。イクスなんて……大嫌い」


 それが、私と『人間の』イクスとの、最期の会話だった。


 翌日、聖剣はイクスの犠牲により『エクスカリバー』として生まれ変わった。

 奇跡的だったのは、エクスカリバーと意思疎通が可能だったことだ。

 イクスの声が脳内で響く。私は嬉しさよりも悲しみが勝っていた。

 私は、そのイクスとは会話しなかった。出来なかった。

 情けなくも、イクスに向けた最期の言葉が自分自身への楔となって、前に進めなかった。


 エクスカリバーの力は強大だった。その輝きも切れ味も、全て『ラグナロクカリバー』よりも勝っていた。

 勇者一行の快進撃は止まらない。エクスカリバーの力で、強敵には勝ち、人々は救われ、勇者は伝説となる。

 歴史書にはイクスのことは書かれるのだろうか。

 常に勇者の力だったアイツ。そばにいたアイツ。

 その活躍が、全部勇者に盗られて、悔しくないのか。


 ……私なりに、アイツのことを分かっている。だから、アイツはこう返すだろう。


「悔しくない。勇者の力になれるなら、俺が歴史から消えても構わないさ」


 ――バカ。この言葉が、どうしてあの時言えないのか。

 やっぱり、バカは私か。


***


「これからの旅は、さらなる苦難が待つだろう」


 魔王領に最も近い街で、勇者は一行にその事実を言った。

 そして、仲間たちにある一つの作戦を伝える。

 魔王領へ先行する者と、ここで別れる者。

 そこで勇者が告げた同行できない者。

 そこには補助魔法に長けている者はもちろん、戦力として活躍している者も含まれていた。

 勇者が死んだ時の『保険』ということだ。


「――俺たちが帰ってきた時の……自分たちの『居場所』を守っててくれ」


 居場所を守る、か。

 私の居場所を守ってくれる人はもういない。


 誰かに伝えたその言葉は、私の心には全くと言っていいほど伝わらない。


「――。大丈夫か?」


 私の名前を呼んでいたようだ。

 勇者は私の表情を伺い、言葉を選びながら気を遣ってくれていた。


「正直な気持ち……来てくれると助かる。けど、どうするかは君が決めてもらって構わない。君はどうしたい?」


「……ううん。私は、もう、いいかなって」


 イクスが私から消えてしまった喪失感。最近の私は旅の目的が分からず、ただ勇者についていく存在となっていた。

 理由はもう一つある。姿形が変わったイクスの姿を見るのはもう辛かった。

 イクスのことを想う気持ちは変わらない。なのに、エクスカリバーを見ると辛くなるのだ。

 最期の言葉のせいで、彼があんな姿となってしまったのではないか。もっと何か方法があったんじゃないか。

 剣が視界に入る度に、その後悔だけが募っていくのだ。


 結局、私は勇者一行から抜けることとなった。

 私の心を察してくれていたのか、一度だけ説得した勇者は理解を示し、私の決意を後押ししてくれた。


 その後、時間はかかったが、魔王は討ち滅ぼされた。

 混乱していた世界は平和になり、人々の新しい生活が始まる。


 魔王が倒され、晴々とした表情を浮かべる人々。

 だが、私の心はいつまでたっても晴れない。


 勇者は無事に故郷へ迎え入れられ、結婚までしたという。

 勇者の伝説はこれからも伝えられるだろう。

 その傍らには、常にイクスがいた事実は消え失せて。


 聖剣となった彼の行方を知る資格は私にはない。

 『嫌い』と言ってしまったのだから。そんな最低な私は、彼を探してはいけないんだ。

 沢山の楽しい思い出と、一つの嫌な思い出が詰まった故郷を離れ、遠くの森の奥で、私は一人住んでいる。

 魔物の数は少なくなり、人間の時代が台頭していく。

 でも、私の寿命が尽きるまで、彼のことを想って生きていくのは変わらないだろう。





 あなたへの想いは日を跨ぐごとに大きくなった。それが叶わぬ恋だと分かっていても、心はあなたを求め続けた。

 ……人々があなたの存在を忘れてしまっても、私はあなたのことを覚えていたい。永遠に。

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