第3話:そのままでいてください

 この店での「ランキング」とは、「誰でも読めて人気者の本」ではなく、「いつか誰かに見てもらえるかもしれないけれど今は日の目を浴びそうにないのでここに掲示することで少しでも本としても役割をあげようと店長が考えた店長が好きな本」である。このランキングを作ったのは僕ではないし、高校生バイトの山波君でもない。本好きの店長が偏見に偏見を重ねて並べているだけだった。僕は一位から三十位までの本を見つめる。僕が持っている六位の本は、一番上の左から六番目に並んでいた。


 祈るばかりの私。

 表紙は真昼の月の絵にタイトルが重ねられているもの。僕は真昼の月に見覚えがあった。僕が一番綺麗で思い出したくないものは、真昼の月である。


「すいません」


 僕のシャツの裾が少し伸びた。裾の先には小さな指が二本あり、少し震えながら必死に掴んでいる。僕の隣にいたのは、小学生ほどの女の子だ。


「いらっしゃいませ。どうされましたか」

「あの本、取ってください」


 彼女が指を差したのは六位の「祈るばかりの私」。


「あの本ですか?」


 彼女は頷いた。僕は手元にあった本を渡した。


「良かった。丁度持っていたんです」


 僕は彼女に本を手渡そうとした。だが自分の手が止まるのを、彼女の両手を見て気付いた。


「……この本は、大人向けだけど、大丈夫かな」

「大人向け?」

「大人の恋愛というか、狂った恋愛、というか」

「これは子供が読んではいけない本ですか?」

「いや、そういう訳じゃないけれど」


 この本は18禁でもなければ、大人の恋愛を描いたものではない。ましてや、客が欲しいと言っているものにいちいちケチを付けてはいけないことなんて分かっていた。でもどうしても止めたかった。人の生き方にいちゃもんを付けない、他人に合わせていれば事は上手く進む。そんな人生だったはずなのに、僕は彼女にこの本を渡せない。

 彼女は僕の手から本を奪い、レジに向かって走った。僕が追い掛けて来ないか後ろを気にしながら、必死で走った。


 僕は彼女を追い掛ける気力が無かった。資格が無かった。ただ高所にある本を取るためだけに呼ばれた一書店員。彼女にとってはそれだけの存在で、それだけの役割だ。でも僕は彼女がそれを買うのをどうしても止めたかった。彼女が、本の中に入り込んで欲しくなかったからだ。


 僕は知っている。あの本の中には、僕がいる。



 ***



 私が貴方と出会う前、貴方は笑顔の仮面を被っていた。いつも同じ表情で、いつも同じ頷きで、クラスメイトも先生も、彼の「偽物」を「本物」として受け取って過ごしていた。

 教室で初めて二人になった春。私が風邪で休んでいたのを良い事に、一番面倒な係を押し付けられていた。男子の代表は貴方で、休みだった私に仕事を一つ一つ教えてくれた。その時ももちろん仮面を被っていて、頭からつま先まで全てが偽物に見えた。だが私にとってそれは魅力でしか無かった。

 人間は誰しも仮面を被って生活しているという。上司の前では笑顔で酒を注ぐし、姑の前では従順は犬のように働く。でもその仮面はいつかボロが出てしまうもので、どこかがいつも解れている。でも貴方は完璧だった。完璧な偽物だった。美しかった。


「もう少しだけ、一緒にいようよ」


 私の発言に、貴方が眉尻を下げながら了承することは分かっていた。貴方は仮面を被って、嫌なことでも苦手なことでも引き受ける人だから。私はそこを利用して、貴方に近付こうとした。少しでも貴方の仮面を近くで見たくて、そのままで、いて欲しくて。

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