8. デーツ、その甘味

「はい! 実食! うひょぉ!」


 シアンはサクサクの衣をザクザクとナイフで切りながら、口の中を湧き上がる唾液でいっぱいにしていった。


「おほぉ、いいねぇ!」


 切り口から湯気が上がり、薄ピンク色の肉からは透明な肉汁があふれてくる。それはベストの熱が入っている証拠だった。


「じゃぁ、ソースちょうだい!」


 シアンはユーキに手を差し出した。


「え? ソースはそれだよ」


 ユーキは卓上にある醬油を指さす。


「……。は……?」


 シアンは目が点になる。


「マ、マズかった……?」


「いや、そういう人もいるよ、いるけどさぁ……。しょうがないなぁ……」


 シアンはむくれながら指先で空間を裂き、中からトンカツソースのボトルを取り出した。


「ソースはこれっ! ……、あれっ!? ないっ! 空っぽだ……」


 唖然としたシアンは真っ青になってユーキの顔を見る。


「使い切っ……ちゃったの……かな?」


 その尋常じゃない様子に、おずおずと声をかけるユーキ。


「くあぁぁぁ! この恩知らず! 人でなし! 役立たずがぁぁぁ!!」


 シアンは真っ赤になってソースのボトルを握りつぶし、栓がポン! と勢いよく飛んでいった。


 はぁはぁはぁ……。


 荒い息を漏らしながら、シアンはガックリと肩を落とす。


「醤油でも美味しいと……思うけど……」


 ユーキはしょぼくれたシアンに声をかける。


「トンカツにはソースなんだよぉぉぉ。うわぁぁぁぁ……」


 シアンは突っ伏して泣き出してしまった。


「そ、そうなの? ゴ、ゴメンね……」


 宇宙一強いはずの天使が、トンカツのソースごときで泣いている。ユーキは唖然とし、どうしたらいいのか分からず立ち尽くした。


 この一皿がシアンにとってそれだけ特別な意味を持っていたのを、ユーキは痛いほど理解し、キュッと口を結んだ。そして、食が如何に人の心の奥深くに根差すデリケートな存在なのかを感じ取り、身体が自然と震えた。


「醤油ベースでソースをチャチャッと作ってしまえばよかろう。少々お待ち下され……」


 レヴィアはシアンの背中をやさしくさする。


「ど、どうやって作るんですか?」


「ピザソースの応用じゃな。あれにデーツを入れれば十分に美味い。要は酸味と甘みとコクを追加してやればええんじゃ」


「デ、デーツ……?」


 ユーキはキョトンとして首をひねる。


「ナツメヤシじゃよ、干し柿みたいな奴。砂漠地方で採れる……って、もしかして無い?」


 レヴィアはハッとしてユーキの顔をのぞきこむ。


「砂漠なんてこの辺にはないので……」


「うわぁぁぁぁ! もうお終いだぁ!」


 シアンは絶望に打ちひしがれる。


 レヴィアとユーキは耳を押さえて顔を見合う。


「しょ、しょうがないのう……。どれ……?」


 レヴィアは指先で空中をツーっと裂くと腕を突っ込んだ。


「確かこの辺に……。コレかな?」


 眉を寄せながら手探りで探していたレヴィアは、何かを一つかみ取り出す。それはプルーンを赤くつやつやさせたようなものだった。


「おぉ、あったあった! どれ……?」


 レヴィアは一つ口に放り込んでモグモグと味わってみる。


「うん! お主も食べてみぃ」


 レヴィアはユーキにも一粒渡した。


「こ、これが……デーツ?」


 ユーキは恐る恐る端っこをかじってみる……。


「甘い! それに……、芳醇なコクがあるね」


「そうじゃろ? これがソースには重要なんじゃ」


「分かった! 今すぐソース作ってくるよ! シアンも待ってて!」


 お預けを食らって、仏頂面しているシアンの肩をユーキはポンポンと叩いて厨房へと駆けていった。



       ◇



「シアーン! できたよ、どうかな?」


 ユーキはソースを小鉢に入れて、ニコニコしながら戻ってくる。


 疑心暗鬼のシアンは小指の先にソースをつけるとペロッと舐めた――――。


「んほぉ! こ、これだよ! コレ!!」


 シアンは目を大きく見開き、パアッと表情を輝かせると早速トンカツをソースにどぼっと浸し、一気にほお張る。


 サクサクとした衣の音が耳を満たし、噛みしめると、豚肉からじゅわりと溢れ出る肉汁が口の中に広がり、深い旨みが脳髄を突き抜ける。肉のエッセンスを追いかけるようにソースの甘みが、酸味が、スパイスの刺激が次々と脳髄を走り抜け、まさに口の中は壮大なオーケストラを奏でていった。


「ふわぁ……」


 この瞬間、黄金色の光に包まれたシアンは全ての煩わしい現実が吹き飛び、トンカツという壮大な大宇宙を夢心地で漂うのだ。


「ど、どうかな……?」


 心配そうにユーキが声をかけると、シアンはカッと目を見開き、ガバっと立ち上がった。


 「美味いぞーーーー!!」


 ガッツポーズを見せるシアン。


「どれ、我にも一口……」


「ダメッ! ダメッ! あたしのーーーー!!」


 シアンは大人げなく皿を奪って隠す。


「な、何するんですかぁ!! デーツは我のじゃぁ!」


 レヴィアは錯乱気味にシアンに飛びかかるが、シアンの方が上手でヒョイっとかわされてしまう。


「大丈夫ですって、そろそろ揚がりますから」


 べそをかくレヴィアにユーキは声をかける。


「おぉ、悪いのう……揚げたてが一番じゃしな」


 レヴィアは気を取り直して席に座ってフォークとナイフを握った。


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