◆えべっさんの海

 無事、湘南沿いの路線に乗り換えたわたしたちは、四人がけのボックス席に向かい合って座り、ひかりの叔父さんが作ってくれたお弁当を食べることにした。

 いつぞやの野菜たっぷりクラブサンドではなく、今日はシンプルなハムと卵とフルーツジャムのサンドイッチだ。


 食事をしていると、左手に海が見えてきた。小さく歓声をあげたひかりが、窓枠に顔をくっつける。

 録城の街は沿岸にあるから、海なんて普通に見飽きているはずだけど、車窓から見る大海原は、やっぱり圧巻だった。

 雲ひとつない青い空。見渡す限りの水平線。白熱する真夏の太陽に照らされて、海は一面、コバルトブルーに輝いている。その合間にきらめく波は銀色で、まるで、サファイアと銀貨をいっぱいに詰めこんだ宝箱みたいだった。


「うわあ、うわあ。きれいかねえ」

「そうね」

 青い空も青い海も、インドア派のわたしには縁がない――むしろ陽キャやパリピエネミーの陣営に属する概念だと思っていたけど、こうして見ると、案外悪くないものだ。

 ……そんなふうに思えるのは、もしかして、わたしが変わったからだろうか。


 わたしも今や、チャンネルフォロワー数1200人を数えるいっぱしのUMOVERユームーバーだ。おまけに超絶美少女を伴い、海沿いの街へ四泊五日のバカンスへおもむこうとしている。

 うむ。やっぱりわたし、フツーに勝ち組なのでは?

 これはそのうち、コミュ弱陰キャ怪談オタクを名乗っていられなくなるかもしれないな……いや、別に名乗りたいわけじゃないんだけど、自虐もできなかったらできなかったでちょっとさびしいというか……。いまやコミュ弱がアイデンティティーになっちゃったようなとこあるし……。


 わたしがひそかに頭を悩ませていると、無邪気な顔でひかりが訊いてきた。

「あの海で泳いだら、気持ちよかろうねえ。ヤミちゃんのおばあちゃんちって、近くに泳げるとこあると?」

「え? ……ああ、うん。小さいけれど、歩いていける距離に浜辺があるわ」

「そっか! じゃあ、明日とか明後日とか、いっしょに海ば行こうね」

「あー……そ、そうね。……ちなみにひかりって、泳げるほう?」

「うん。ボール使うスポーツとかは苦手やけど、水泳なら普通にしきるできるよ。ヤミちゃんは?」

「わたしは……んー……まあ、たしなむ程度、かしら」


 ウソだ。わたしは泳げない人間カナヅチである。

 忘れもしない、小学一年生の水泳の授業。一学期の目標は「水の中で目を開けられるようになりましょう」だった。

 わたしはそれが最後の一人になるまでできなくて、しまいにはクラス全員と先生に囲まれ「村上さんがんばれー」と応援されながら顔面べしょべしょにされるという、地獄の公開処刑を受けたのだ。

 あれ以来、水泳はわたしのトラウマになっている。


 わたしはこれ以上水泳の話をしたくなくて、強引に話題を変えることにした。

「……ところで、海水浴といえば……」

「いえば?」

「投稿されたお話の中に、こんな怪談があったのよ」


 * * *


 フォロワーの「グレーとる」さんが教えてくれたお話です。


 ある年の夏休み、高校生の「グレーとる」さんは、友達と海水浴に行く計画を立てました。大学三年生になるお兄さんもいっしょです。

 お兄さんが穴場のビーチを知っているというので、三人はそこへ向かうことにしました。


 彼らが住む街から、お兄さんの運転する車で一時間ほど。ある漁港の近くに、そのビーチはありました。

 そこは、海岸線から少し引っこんだところにある入り江でした。周囲は雑木林に囲まれており、車道からパッと見ただけではなかなか存在に気づけません。

 地元の人もあまり存在を知らないのか、夏休みにもかかわらず、そこはひっそりと静まりかえっていました。

 なるほど、確かに穴場です。


 三人は大きなイカダ型のフロートをふくらませると、それに乗って海へとくりだしました。

 天気は良く、波は静かで、まさに海水浴びより。

 広い海で思う存分泳ぎ、疲れたらフロートに戻って休憩する。そんなことを二、三時間ほど続けているうちに、みな、お腹が減ってきました。


 ここらで一度、岸に戻って休憩しよう。

 そう決めた三人はフロートを押しながら、もときたほうへと引きかえしはじめました。

 だんだんビーチが近づいてきます。そして、もうすぐ水底に足がつくぐらいの地点まできたところで、フロートの後ろについていたお兄さんが「うわっ!」と悲鳴をあげました。

 そして、びっくりして動きを止めた「グレーとる」さんと友達に、「海の底を見てみろ」と叫んだのです。

 ふたりは不思議に思いながらも水に顔をつけ、水中ゴーグルごしに入り江の底を見ました。


 そこには。


 波間にゆらめく光の中、海底の砂地から、無数の四角い物体がにょきにょきと林立していました。

 それは、どう見ても墓石はかいしでした。

 水の透明度の関係で、彫りこまれている墓碑銘ぼひめいまでは読めません。ですが墓石の前にしつらえられた花立てや線香受けまで、はっきり見えたといいます。

 もちろん、ついさっきまで、そんなものはありませんでした。沖へ出る前、三人はそこを通りぬけたのですから、間違いありません。


 怖くなった三人は、わざと遠回りをして、入江とは別の場所から陸に上がりました。

 車に逃げ戻り、あわてて帰り支度をしていると、釣り人らしきひとりのおじいさんが近づいてきました。三人のかっこうを見て、「ここの入り江で泳いじゃいけないよ」と注意してきます。

「グレーとる」さんたちが、あの海底の墓場のことを話すべきか迷っていると、おじいさんは歯の抜けた口をニヤッと歪めて、

「ここは、えべっさんの海だからな」

 と言いました。


 詳しく話を聞いてみると、「えべっさん」というのは「えびすさん」……つまり、漁業の神様のことだといいます。

 ……ですが、「えびすさん」にはもうひとつの意味がありました。海で死んだ人の死体のことを、そういうふうに呼ぶことがあるのです。


 このあたりの海で人が死ぬと、海流の関係で、必ずこの入り江に死体が流れつく。だから地域の人は、入り江を不吉な場所だと考えて近づきません。

 ただその一方で、この入り江の近くの海では、非常に魚がよくれるのだといいます。

「つっても、別に変な意味ではなくてサ。エサ・・になるモンがたくさん流れつくおかげで、魚がよく育つんだわ。それを昔の人が、『えべっさんのおかげで』豊漁だって解釈したんだな」

 おじいさんはそう言って、また笑いました。

 けれど、さっきの墓石を見てしまった三人は少しも笑えません。一目散にその場を逃げ出し、それっきり、二度とその入り江には近づかなかったそうです。


 ちなみに。入り江を去る直前、「グレーとる」さんはもう一度だけ、岸から例の海底を覗いてみましたが、墓石の群れは影も形もなくなっていました。

 エメラルドグリーンに染まった海底では、みっしり繁茂はんもした海藻が、ただ静かに揺れていたそうです。

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