●改札の怪

 ひかりをばぁばの家へ招待する計画はとんとん拍子に進み、それからだいたい一週間後の、土曜日の朝。

 待ちに待った、出発の日がやってきた。


 午前十時すぎ。

 ひかりの家――つまりひかりの叔父さんが経営する喫茶店『自然派カフェ よびごえ』へ迎えに行くと、すぐに、つばの大きなキャップをかぶったひかりが現れた。

 おなじみのサマーパーカーを腰に結んで蛍光色のリュックを背負い、水筒のヒモを肩にひっかけている。トレードマークのヘッドホンをのぞけば、遠足に出発する小学生のようだった。シャツの襟首えりくびからきらりと覗く鎖は、亡くなったお父さんが遺した五芒星のメダルだろう。


「おはよう、ひかり」

「ヤミちゃん、おはよ。これ、お弁当。叔父さんが電車で食べなさいって」

「わたしの分も? なんだか悪いわね」

「いいのよ。あの人が好きでやったんだから」

 そう言ってひかりの後ろから姿を現したのは、エンピツみたいにひょろっとやせた女の人だった。ひかりの叔母さん、仁見由輝さんだ。

「改めて、今回は誘ってくれてありがとう。おばあさまにも、よろしく言っておいて」

 そう言って、由輝さんは頭を下げる。

「い、いえいえ。こちらこそ。あのこれ、ワッフルとか、もろもろのお返しで」

 社交スキルが壊滅的なわたしはへどもどしながら、ぶら下げてきた紙袋をさし出した。中には、スーパーのお中元コーナーで買ったお高めのゼリーが入っている。

 由輝さんは「ありがとう」とゼリーを受け取ると、黒々としたひとみでひかりを見下ろした。

「ええと。それじゃあ……行ってらっしゃい」

「う、うん。行ってきます。由輝おばさん」

 ひかりは照れたふうにそう言うと、とっとこ歩きだしてしまう。

「あ、ひかり、ちょっとぉ! 早いわよ!」

 あわてて由輝さんに頭を下げると、わたしはひかりを追って走りだした。


 バス停を目指しながら思う。

 ひかりと由輝さんはまだぎくしゃくしているというか、お互い、距離をはかりかねているような感じだ。それでも、がんばって家族に近づこうとしているのは見ていてわかった。

 少なくとも、うちの一家よりはずっと血のかよった感じがする。わたしの両親なんて、手ずからお弁当を作ってくれたことも、出発するわたしを外まで見送りに出てくれたことも、一度だってないんだが。

 その考えは、胸の奥にじくりとした痛みを呼び起こした。けれど、わたしはいて、その痛みから目をそらす。

 今は楽しい夏休み。おまけに友達と小旅行に行くなんていう最高のシチュエーションだ。そんなことで暗い気持ちになるなんてもったいない。


 * * *


『よびごえ』のある南録城みなみろくじょうからバスでJR『録城ろくじょう』駅へ。

 そこから電車に乗って大きな繁華街のある鞍内くらうちへと向かい、鎌倉を経由して、湘南の海沿いを進む路線へと乗りかえることになっている。目指す鈴枡は、その沿線上だ。

 関東こっちに来て以来、初めての遠出だということもあって、ひかりはバスに乗っている間じゅう上機嫌だった。


 録城の駅に着いたらまず、切符売り場でICカードに交通費をチャージ。電光掲示板で電車の時間を確認し、さあ、いざ改札へ……というところで、ふいにひかりが足を止めた。

「……ひかり?」


 足元に視線を落としたひかりの額に、脂汗がにじんでいる。改札の方向から、必死に目をそらそうとしているみたいだ。しかし、わたしの目には何も映らない。

 わたしはピンときた。

 前にもこんなことがあった。

 おそらくひかりには今、この世ならざる何か・・の姿が見えている。改札の前にそいつが居座っているせいで、ひかりは進むに進めないのだ。


「ヤ……ヤミちゃん。あれ、見えとーみえてる?」

「ええ、もちろん。いる・・わね。気をつけて。目を合わせないほうがいいわ」


 ひかりの言葉を借りるなら、霊は生者との「つながり・・・・」を求めている。

 目と目が合う、お互いを認識するというのは、一番わかりやすい「つながり」のひとつだ。そうやって構築された「つながり」を通じて、霊はこちらにちょっかいを出してくる。ひかりが街中にいる霊たちをなるべく避けようとするのは、それが理由だ。


 ……だけど、参ったな。

 録城駅には、ここひとつしか改札がない。霊の真ん前を通りぬけるわけにもいかないし……。

 ん?

 待てよ。……意外といけるか?


 こうしている間にも、駅の利用者はひっきりなしに改札を出入りしている。あそこにいる霊が何者かは知らないが、少なくとも、霊感ゼロの人間にとっては無害な存在だということだ。要は、ひかりが見さえしなけりゃいいのである。


 よし。


「行くわよ、ひかり」

「でも……」

「平気よ。目をつぶって、わたしにつかまっていなさい」

ばってんでもヤミちゃんは? ヤミちゃんは大丈夫と?」

「もちろん。あんな低級霊ごときにどうこうされるわたしではないわ。このミステリアス霊感美少女・夜神ヤミの黒き霊力を、あなどらないでもらえるかしら?」


 ここぞとばかりにかっこいいポーズを決めるわたしである。それを尊敬のまなざしで見つめる、ひかりのキラキラしたひとみ……。

 ああ~っ気持ぎぼぢちいい~。承認欲求満だざれるぅ~。


 思わずトびそうになった意識をどうにかつなぎとめ、わたしはひかりを連れて改札へ歩きはじめた。

 改札が近づくにつれ、腕にしがみつくひかりの力が、ぎゅうっと増してくる。でも、わたしはぜーんぜん平気だ。だって、なんにも見えないのだから。

 自分のパスケースに続き、ひかりの手を引いてICカードをタッチさせる。

 そのまま危なげなく改札を通りすぎ、ホームに続くエスカレーターに乗ったあたりで、ひかりがフッと力を抜くのがわかった。薄目を開き、おっかなびっくり左右を見回す。


「ね? 平気だったでしょう」

「うん。ヤミちゃん、やっぱりすごかぁ」


 それほどのことは……まっ、ありますけどね~。むふふほほほほ。


「オバケにあげんあんなにベロベロなめられても気づかんふりするなんて、ぼくやったら絶対無理やったけんから。ヤミちゃんがいてくれてよかったよ」


 えっ。

 な、なめられたって……どこを? どんなふうに!?

 オワアアアーッ! 気になるゥゥゥ────っ!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る