◆寺生まれの女
「おっと、忘れるとこだった。もうひとつ、プレゼントを持ってきたんだ。……ほらコレ。持っときな」
そう言ってチサティーさんがぽんと投げ出したのは、小ぶりな数珠……というより、ブレスレットだった。
碁石みたいにすべすべした黒い石の中に、三つだけ、透明で黄色い玉が混じっている。
「え、くれるんですかコレ。返しませんよ?」
「おい、メルキャリとかで売りなさんなよ。そいつは……そうさね。あんたたちが頑張ったご
「だんだん悪い意味になってません?」
「とにかくだ。今後、あんたたちが本当に困ったときにそいつを振れば、三回」
と、三本指を立ててみせるチサティーさん。
「三回だけ、あたしが助けてあげよう」
「……意味わかりません」
「あんたたち……というか、ひかりちゃんは今でも危険人物だ。けど、あんたたちが自分で道を切り拓き、しっかりやっていけるんだったら、そいつは尊重されるべきだとあたしは思う」
「はあ」
「だから、もう少しあんたたちを見極めさせてもらおうと思ってね。本当に困ったときは、他人の手を借りたっていい。でも、借りっぱなしはダメだ。そいつは自立じゃなくて依存だし、依存は必ず破綻する。……あたしは、そうなる前に悪い芽を刈り取らなくちゃいけない」
「つまり……こういうことですか。この三回のチャンスを使い切ってもまだ、わたしたちが、ちゃんと成長できていないなら」
「こいつがものを言うことになる」
チサティーさんの三本指がぐっと握りこまれて、ゲンコツの形になった。女子高生の細腕にすぎないのに、その拳には……なんだかそこだけ空気が歪むような、凄みを感じてしまう。
わたしは背筋に走った震えに気づかないふりをして、精いっぱい、平気な顔をしてみせた。
「まだよくわからないんですけど……結局、あなたはわたしたちをどうしたいんですか?」
「うん? そうさねえ」
拳を引っこめたチサティーさんは、なんだか急に面白がっているような顔つきになった。
「じゃあ、もう一話だけ、怖い話をしようか」
「へ」
だから、なんで???
* * *
ある音楽プロデューサーで、今はUMOVER事務所の代表をやってるオッサンの話なんだけどね。
今から五、六年ばかり前のこと。オッサンは趣味の登山中にコースを外れ、滑落して足をくじいちまった。
なぜか携帯電話も通じず、現在位置もわからない。ただただ、必死で森の中を這いずるうち――オッサンは、古い山寺にたどり着いた。
見るからに朽ちかけて、半ば自然に還りつつあるようなその場所には、なんと、人が暮らしていた。それも、年端の行かない女の子と老人のふたり暮らしでね。
老人のほうは体がよくないらしく、奥座敷の一間に引っこんだきり、顔も見せない。
山門の前で行き倒れていたオッサンを運んで治療したのも、
なんとか九死に一生を得たオッサンは、女の子にあれこれと質問をした。
君は誰で、ここで何をしているのか。両親はどこなのか。あの老人とは、どういう関係なのか。
女の子は答えた。
あたしは寺生まれだ。
けれど、生まれた寺では手に負えないからと、ここの
上人さまが言うには、あたしは
……ん。言葉が難しかったかい。
そうさな……平たく言うと、「自分は生まれつきスーパーパワーを持ったブッダウォーリアで、悪を倒して世界を守るために修行してるんだ」と、こう言うんだな、その女の子は。
面食らったのはオッサンのほうだ。
やばいカルト宗教が子供を監禁してるに違いないと思ったのさ。まあ普通はそう思うわな。
それで、どうにか女の子を説得して、一緒に山を脱出しようとした。
子供の権利がどうとか、信教の自由がどうとか、いろいろ話したそうだよ。まあ、ほとんどは馬の耳に念仏って感じで、女の子にちぃとも響きやしなかったんだが……ただひとつだけ、彼女の胸を打ったものがあった。
音楽だよ。
オッサンはスマホの中に、UMOVERのPVやら歌い手の動画やらバーチャルシンガーPの曲やらのデータを目いっぱい保存してた。
女の子は、そいつに心をもってかれたのさ。
それから……まあ過程は省くけど、女の子は音楽をするため、オッサンといっしょに山寺から脱出することにした。
オッサンのほうも、女の子の声に、何やら才能っぽいものを感じたそうだね。つまりは、利害の一致があったわけだ。
いざ決行という、その日のこと。ふたりが廊下を進んでいると、奥座敷から声がした。
例の、寝たきり老人の部屋だ。
――ゆくのか。
女の子は答えた。
「ゆく」
――山を下りたとて、おぬしの
「逃げられぬなら、戦うまで」
そう言って女の子はツカツカ座敷に歩み寄ると、それまで閉め切られていた障子を、スッと開いた。
そこには家具も布団もなく、
厨子ってのは、要するに扉のついたハコだな。仏壇の上部分、あれなんかも厨子だ。
その厨子の中に……何があったと思う? ふふ。
こう……カラカラに干からびて
そうさ。そこにあるのは、いわゆる
だったら……ついさっきまでしていた声の主は……?
オッサンはメチャクチャ怖くなって、女の子の手を引きながら山寺を逃げ出した。
まあ、途中でバテちまって、最後は女の子におぶってもらって下山したんだけど、今は平穏無事に暮らしてるってことだよ。
* * *
りぃ――……ん……。
二度目の鈴が、静かに鳴った。
「……その女の子、って……」
「おっと。こいつはあくまでただの怪談だ。信じるも信じないも、あなた次第……ってね」
そう言って肩をすくめると、チサティーさんはおもむろに立ち上がった。
「あたし個人の考えを言うならば……まだ、この世界には壊れてほしくない。世話になった人も、
話にまったくついていけないわたしの肩をポンと叩いて、チサティーさんはすたすたと去ってゆく。
「んじゃ、またねヤミちゃん。
玄関扉が軽やかに閉められる音を聞いても、わたしは結局、何がなんだかよくわからずにいた。
ただ。
なんとなく……本当になんとなくだけれど、自分が前よりも抜け出しにくい深みにハマりこんでしまったということだけは、直感的に理解していた。
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