◆呪いヤーの末路
わたしは自宅のリビングで、チサティーさんと向き合っていた。水出しの紅茶に入れた氷がどんどん溶けていくけれど、チサティーさんは何も言わない。ただ、おもしろそうにわたしの顔をにやにや眺めているだけだ。
「……なにしに来たんですか」
耐えきれず、つい口を開いてしまった。
「んー? そうさな。まあ、お祝いを言いに、ってとこかねえ」
「お祝い……?」
「そ。ひとまず、今回の件については及第点だ。あの『魚』が出てきたときは、正直終わったなと思ったけど……ひかりちゃんもちゃんと、自分の落とし前は自分でつけられたじゃないの。よかったよかった」
「なっ……み、見てたんですか!?」
「言ったろ、監視はつけるって。いざってときは、あたしが出ていくつもりだったさ。……そうならなかったのは、お互いにとって幸運だった。そうだろ?」
この女、ぬけぬけと……。
わたしが思いっきり敵意のこもった視線で見つめても、チサティーさんはどこ吹く風だ。勝手に紅茶をポットから注ぎ足しては、うまそうに飲んでいる。
「んで? これから、どうする気だい」
「何の話ですか」
「言ってみりゃヤミちゃんは、ひかりちゃんの心をこっち側につなぎとめるフックになったわけだ。異界のモノたちの干渉をはねのけることができたのは、父親の死で崩れたあの子の心のバランスを、あんたがどうにかこうにか建て直してやったからだろうね」
「え……いや。わたしはそんな、大したことは……」
「照れるな照れるな、ほめてねーから。あたしが言いたいのはさ、あんたたちの関係、相変わらず爆弾が埋まったままだけどどうするんだい、ってこと」
「うっ」
そうでした。
さっきはひかりの約束を破らずに済んだけど……わたしはそもそも、ひかりにウソをついたままなのだ。霊感がある、というウソを。
っていうか、今回のことで、余計に言いだしづらくなったというか……完全にタイミングを逸してしまったというか……。
「念のため釘刺しとくけどさ、今からカミングアウトするんだったら相当慎重にやんなきゃダメだよ。唯一の心の拠り所になってるあんたに裏切られた、なんてあの子が思ってごらんよ。自暴自棄ついでに世界が滅びかねん」
「うええ……そ、そんなあ……」
「自信ないってんなら、今からでもあたしが代わってやろうか? あの子の始末」
ひかりの
この上なく直接的な言い草に、丸まりかけていたわたしの背筋がシャンと伸びた。
「けっこうですッ。ひかりはわたしの友達ですから。わたしが守ります。何があっても、ちゃんと向き合います」
「本当のことも打ち明ける?」
「それは……まあ、おいおい……適切なタイミングを見計らって、穏便な形で……」
「ふふん。ま、いいだろう。どのみちあたしはヤミちゃんの『敵』だからね。あんたのやり口にどうこう言うつもりはないよ」
今、さんざん「どうこう言われた」気がするんですけど!?
「そんなことより、せっかく怪談好きがふたりも集まったんだ。……ちょっと、怖い話をしようか」
「はあっ?」
な、なんで???
わたしの困惑を完全に無視し、チサティーさんは勝手に話しはじめた。
* * *
怖い話をしよう。
あたしたちに霊能者をやるつもりはない……ってのは、前に言ったね。
とはいえ、こういう風に生まれついちまうと、そういう世界と縁を切って暮らすわけにもいかない。あっちこっちで霊能者だの、拝み屋だの、祓い師だのと縁ができちまう。
これは、そんな霊能者の知り合いのひとり……仮に、Rさんとしようか。その人から聞いた話さ。
近畿のほうに、ある老夫婦とその息子が三人で暮らしていた。
その息子ってのが、小学校のときから引きこもりでね。就職もせず、朝から晩までネットに張りついては、アイドルのSNSやらUMOVEの配信コメやらに、悪口やら誹謗中傷やらを書きこんでたっていうんだな。
けっこう悪質だったらしくてさ。プロバイダからの開示要求も何度か来たことがあったらしい。
そうやって大事になると、しばらくはおとなしくなるらしいんだが……ほとぼりが冷めたら、またはじめる。まあ病気だわな。大手の事務所づきの相手だとおっかないから、泣き寝入りしてくれそうな個人配信者を狙ったりね。
その息子が……死んだ。
ある日、ふと部屋から姿が見えなくなったかと思ったら、何キロも離れた踏切で、
死体は
で、老夫婦の知人のツテでRさんが呼ばれたんだが……最初に
で、その日はいったん帰って、後日、準備をバッチリ整えてから、改めてお祓いに向かった。それが今朝早くのことだったんだけど――不思議なもんでね。前回感じた嫌な気配が、きれいさっぱりなくなってたんだそうだ。
まあ、あっち側のモノの振る舞いなんてわからんもんだよな、っていう話さね。
息子の名前かい。
そうだねえ。配信してるわけじゃないし、特別に教えておこうかな。
――貝野矢太郎と言ったそうだよ。
* * *
りぃ――……ん……。
窓越しでもやかましく聞こえていたセミの声が、その一瞬、ふっと遠のいたような気がした。
「そ……その人が亡くなったのって……」
「先週の日曜だとさ」
呪いのDMが送られてきた翌日だ……!
わたしは想像する。
貝野矢太郎は橘市を去って以来、カンカンカンのメールには触れていなかったのだろう。自分が送り出した不幸の手紙が何十倍、何百倍にもなって戻ってくるという経験は、それなりのトラウマだったに違いないから。
だけど、それから何十年も経って……自分の人生もちっともうまくいかない中、イジメの標的に選んだ女の子たちが、たまたま怪談を語っていた。そのとき彼は、自分がかつて作った呪いのメールのことを思い出したんじゃないだろうか。
貝野矢太郎は知らなかったんだ。
自分が生み出した呪いが、もはや制御不能の巨大な怪物へと成長してしまっていたことに。
わたしは呪いにかからなかったけれど、ひかりにはかかった。
その瞬間、せっかく二十数年間も
そして貝野は死んだ。これまでに振りまいた呪いの代償を、とうとう自分の命で支払わされたんだ。
……もちろん、こんなのは想像にすぎない。本当のことは、たぶん永遠にわからなくなってしまったし、別にわかりたくもない。
「この話、ヤミちゃんにあげるよ。どこかで語るなり没にするなり、好きにしな」
あいかわらず何を考えているのかわからない軽い調子で、チサティーさんが言った。
「いいんですか。たぶん、永久にお蔵入りですよ」
自分が呪われたせいで人が死んだ――なんて、たとえ可能性にすぎないとしても、ひかりには思ってほしくない。
「構わないよ。あんたがそう思うなら……きっと、そうすべきなのさ」
チサティーさんはそう言うと、何もかも見透かしているような顔で、にやりと笑った。
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