●夜明けのひかり

 そこからの帰り道は、なんと二時間もかかった。

 理由は簡単。わたしたちは今度こそせいこんも尽き果てて、ヘロッヘロだったからだ。


 さっきのコンビニで買ったドリンクを飲んでは歩き、歩いては公園のベンチで休息をとる。


「……なんだったのかしら、さっきの」


 誰にともなくつぶやいたわたしに、ひかりがかぶりを振る。


「わからん……」

「ひかりがなんとかしてくれたんでしょう?」

「そんな気もするっちゃけど、わからんけん。ぼくになん訊かんできかないで。あ……でも……」

「ん?」

「ぼくが頑張れたとしたら、ヤミちゃんが、手ば離さんではなさないでいてくれたおかげやって思う。……ありがとうね」


 世界一美しい笑顔で、ひかりはそう言った。


「……あっ……あったり前でしょうっ。わ、わたしが……ウソなんて、つくわけないじゃない……」

「あれ? ヤミちゃん、泣いとー?」

「泣いてないっ! これはっ……目に霊障れいしょうが入っただけっ!」

「フフッ。なんそれー」


 そんな会話をしつつ、ようやく『自然派カフェ よびごえ』にたどり着いたときには、空が明るくなりはじめていた。

 そーっと足音をしのばせて勝手口に回ると、そこで、由輝さん夫婦が何やら話し合っていた。

 ギクリと固まったわたしたちを見て、ひかりの叔父さんがパタパタ駆け寄ってくる。


「どっ……どこ行ってたんだい! こんな時間に……」

「え。そ、それは、え~っと……」


 叔父さんがボリボリ後頭部をく。


「妻と、警察に連絡するかどうか話してるところだったんだ。何事もなかったからよかったものの……」


 どうやら、夜中わたしたちの姿がないことに気づいて、ずっと探していたらしい。申し訳なく思いはするけれど、まさかオバケを二連チャンで退治していたとも言えない。

 わたしたちが何も言えずにいるのを見て、叔父さんは人の善さそうな眉尻を思いっきり下げた。


「しょうがないな……。僕も、これまで他人の娘だと思って遠慮していたのがよくなかったのかもしれない。いいかい? 今日という今日はビシッと言わせてもらうけど……」


 と、くどくど前置きをしている夫をすっと押しのけ、前に出てきたのは由輝さんだった。

 艶のない瞳が姪を見下ろす。ひかりが、きゅっと体を緊張させるのがわかった。


「どこか怪我した?」

「し……しとらん」

「誰か、知らない人とトラブルになったりは?」

「それも……しとらん」

「そう」


 由輝さんはそう言うと、口をつぐんだ。

 緊張感がみるみる増してゆく。わたしも叔父さんも、何も言えなかった。ひかりは判決を告げられる前の被告人みたいにうつむいて、次にぶつけられるであろう怒りの言葉を待っている。


 はあっ。

 ひときわ大きな溜息と同時に、由輝さんがその場にしゃがみこんだ。胸の前で両手をぎゅっと組んだまま、地面に向かって叫ぶ。


「も~~~親子そろって似たような消えかたしてっ。ばりえずかったちょーこわかったわ!!」


 一瞬。その場に立っている誰もが、あっけにとられたように固まった。

 そんな中、最初に一歩を踏み出したのはひかりだ。そろそろと由輝さんの前まで行くと、自分もしゃがみこんだ。

 固く握られたままの由輝さんの両手へ、ためらいがちに触れる。


「……ごめんなさい」

「うん……」

「本当……ごめんなさい。由輝おばさん。でも、ぼく……どこにも行かんけん」

「うん。……そうして」


 ふたりはそのまま、いつまでもそうしていた。夜明けの青身がかった光が、優しくふたりを照らしてゆく。


 ふっと気配を感じて横を見ると、ひかりの叔父さんが所在なさげに立っていた。


「ねえ。これ、僕の出番って……」

「必要ない……んじゃ、ないですかね」

「やっぱり? まあ、いいけどね。別に。……それで、本当に君たち、どこ行ってたの」

「え、ええと……ちょっとホラーな動画を撮りに……」

「よくないね、それは」

「はいッ。このたびは、誠に申し訳なく……今後このようなことが起こらないよう、再発防止に努めてまいりますので、今後とも暖かいご支援のほどお願いできればと」

「急にちゃんとしたね!?」


 炎上したときのために謝罪会見のやりかたを練習しておいたのが、思いがけないところで役立ってしまったわたしであった。


 * * *


 翌日……というか、同じ日というか。

 ひかりの家で昼まで仮眠させてもらったわたしは、今度こそ荷物をまとめて自宅へ帰ることにした。

 まだぐっすり眠っているひかりに手を振って、『自然派カフェ よびごえ』を後にする。


 疲労と寝不足でフワフワした頭のまま、早くも筋肉痛の出はじめている足を引きずって、北録城きたろくじょう行きのバスへ乗りこんだ。

 半分オート操縦みたいな気持ちで、自宅のマンションへ。

 歩きながら、昔パパが「大学時代、どんなに泥酔してても家に帰りついてから寝てた」とよくわからん自慢をしていたのを思い出した。たぶん同じ血が流れている。


 エレベーターで五階へ。自分のベッドに飛びこむ瞬間のことだけを考えながら歩いていくと、階段の前を横切ったところで、


「よぉヤミちゃん」


 声をかけられた。


「なかなか、うまくやったじゃないの。ええ?」


 六階へ続く階段に、女が座って足を組んでいる。ワイルドな明るい髪。オシャレメガネににやにや笑い。


 チサティーさんが、そこにいた。

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