●つながる呪いはカンカンカン:破

「はぁっ、はぁっ……ひかり、いた!?」

「おらん!」


 わたしたちは走っていた。

 プランCを実行するのに、どうしてもカンカンカンの先端――宮藤環奈と鎖原錠のところへ行かなくてはいけないのに、さっきから、まったくたどり着けないのだ。


 どうにかしてカンカンカンの列を回りこもうと、わたしたちは走る。趣味の散歩で土地勘を養ったひかりだけが頼りだ。

 街灯の明かりもまばらな歩道。交差点の点滅信号。コインランドリーと自販機が妙に明るい。


 死角へ死角へと回りこもうとするわたしたちだけど、カンカンカンは常にその先を行っていた。

 脇道に。民家の勝手口に。児童公園の入り口に。こちらの行きたい方角へ現れては、的確に道をふさいでゆく。おまけに、決して頭を見せようとしない。


 行き止まりで引き返そうとすると、戻る道がふさがれている。やむなく細い枝道に飛びこめば、思いもよらない場所に出る。

 金網の張られた自転車置き場を横目に、シャッターを降ろした商店街に飛びこむ。飲食店裏の路地から住宅街へ。歩道橋。石段。上り坂に下り坂……。


 その間、車一台、人っ子ひとり、猫一匹通らない。


「はぁっ、はぁーっ……ひ、ひぃ、はひぃ……」

「ヤミちゃん遅い! 頑張って!!」


 これで精いっぱいだってば! こちとら一学期の体育「2」だっての!


 もはや、自分たちがどれだけ走ったかもわからなくなっていた。方向感覚が完全に失われている。

 このままじゃまずい。なんとかしてペースを握り返さないと……。


 そう思いながら短いトンネルを抜けたところで、思わず足が止まる。

 車道をはさんだ向こうに、背の高い金網。その先を通っているのは……線路だ。


 まずいまずいまずい。


 あわててきびすを返しかけると、目の前にカンカンカンの列があり、トンネルへ戻る道を通せんぼしていた。

 横から回りこもうとすると、ぐーっと列が湾曲して、逆にこっちが囲いこまれそうになる。


 やむなく、通せんぼされていない方向へ走る。わたしたちに並行して、カンカンカンの列もするする移動をはじめた。横歩きのくせに異常に速い。これじゃ回りこむどころじゃない。


 そしてとうとう、わたしたちの行く先に、今一番見たくないものが姿を現した。

 金網の切れ目。

 黒と黄色の遮断機。灯の消えた赤黒いランプ――踏切だ。


 とうとうここまで追いこまれてしまった。


 ――かん。かん。かん。かん。かん。かん。


 まるでマラソンランナーを見送る応援者のように、車道脇をびっちり埋めるカンカンカンの列。マラソンと違うのは、こっちが走るのに合わせてするすると移動を続けていることだ。

 なんとかして囲みを破ろうと、肩に手をかけて列の上を乗り越えようとしたり、脇に頭をねじこんで間を抜けようとしたけどダメだ。

 カンカンカンの身体はゴムみたいにとらえどころがなく、それでいてものすごい反発力を持っていて、振り落とされるか弾き出されるかしてしまう。

 そしてラグビーのスクラムよろしく、強引にこっちを押して、押して、押しまくってくるのだ。


 ――ひかーりちゃんがほーしい……。


 とうとう、わたしの靴のかかとが固いレールを踏んだ。

 一体何キロ走り回らされたのか。わたしもひかりも全身汗みずくだ。立ち止まったとたん、生まれたての小鹿みたいにふとももがガクガクしはじめた。のどと胸の内側が焼けるように痛い。

 とてもじゃないが、これ以上は走れなかった。


 踏切の中に立つわたしたちを、遮断機の内側で小さな四角形を作ったカンカンカンの列が、すっぽりと取り囲む。

 もう、どこにも逃げ場がない。


 ――やすみちゃんがほーしい……。


 ついに、カンカンカンがわたしの名を呼んだ。

 配信者を勝手に本名で呼ぶんじゃないわよBANバンするぞコラ――とでも言ってやろうとしたけれど、わたしは酸素をむさぼるのに必死で、とても声を出すどころではなかった。

 どっちにしろ……こうなっては、呪いのフックもクソもない。詰みだ。


 同じように荒い息を吐いていたひかりが、わたしのそでを強く引いた。

 視線を追う。


 わたしたちを囲む人垣の後ろで、宮藤環奈が左腕を高く掲げていた。

 その手にさげた黒いポリ袋の口を、白い指が内側から押し開ける。漏れ出てくるねとねとした汁のむこうで、たのしそうな目がこっちを見ていた。

 ――鎖原錠。


 こいつ……わたしたちが死ぬところを特等席で見るために……わざわざ……!!


 くそ。馬鹿にするなよ。

 本当に怖いのは、他人からの攻撃そのものじゃない。傷つくことを恐れて、手を伸ばすべきときに、それができなくなってしまうことだ。

 少なくとも今、わたしの横にはひかりがいる。

 こんな方法でしか他人とつながれない、おまえとは違う……!


「おまえなんか……。おまえなんか、もう怖くないぞ……っ!」


 瞬間、不気味な静寂に支配されていた夜の街を裂いて、けたたましい警告音が成り響いた。


 カンカンカンカンカンカン……。


 無機質で冷徹な、本物の警告音だった。赤い光が左右に点滅し、人垣の向こうで遮断機がゆっくり下りてゆく。


 電車が来る。おそらく、深夜の貨物列車。


「ひか――」


 呼びかけて、途中でやめる。

 ひかりの目は、宮藤環奈を真っすぐに見つめていた。肩で呼吸をしていたのがいつの間にか落ち着いて、すーっと腹に空気を吸いこんだのがわかる。

 そして、配信を続けるうちにずいぶんしっかりしてきた発声で、ひかりが言った。


「環奈ちゃんがほーしい」


 鎖原錠の指が、凍ったように動きを止めた。


「環奈ちゃんがほーしい……」


 これまでずっと、力なくうなだれていた宮藤環奈の首がゆるゆると動いて……こっちを向いた。

 ひかりが叫ぶ。


「環奈ちゃんがほーしいっ! もう、そげんとこにおらんでよか!! ぼくんとこ来んねきてっ!!」


 次の瞬間。

 ひかりがウッとうめいて、前のめりになった。

 その肩に、だらりと脱力した宮藤環奈がおぶさっている。どちゃっと湿った音がして、線路の上にポリ袋が転げおちるのがわかった。

 宮藤環奈の首がゴム人形みたいにぐにゃりと曲がって、白目をむいた血だらけの顔がこっちを向く。


「いぃィッ!?」


 たまらず腰を抜かしたわたしのお尻に、レールのびりびり震える振動が伝わってきた。

 ライト。警笛。電車が来る。


「きっ……切った! えん切いぃぃぃぃぃぃぃ――――ったああぁぁぁぁっ!!」


 わたしは声を限りに絶叫すると、ひかりの腹にタックルするような体勢で飛んだ。カンカンカンの壁にぶち当たると、何の抵抗もなくそれはばらけた。


 遮断機の外へ転がり出たわたしたちをかすめるようにして、赤茶色のコンテナを満載した列車が踏切を通過した。

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