第二章 呪いの怖い話

●ディバイン・ベルズ

 今日は終業式。

 一学期の最終日……そしてディバイン・ベルズとの撮影日だ。


 校長先生のダラダラした話とホームルームが終わり、ようやく義務教育のくびきから解き放たれたわたしは、夏休みの宿題でパンパンになったカバンをかついで走った。

 中学校の敷地を飛び出し、近場の公園へ。


 公衆トイレの個室に滑りこむなり、学校指定の制服を脱ぎ捨てにかかる。代わりにナップザックから取り出したのは、一張羅いっちょうらの黒系ワンピースだ。


 爆速で着替えを終えると、洗面台にダッシュ。

 メガネを外し、コンタクトレンズを入れる。

 後ろにひっつめていた髪を解き、手櫛てぐしで形を整えた。前髪で顔半分を隠す、いつものヘアスタイルだ。途中、散歩の途中らしきおばさんが怪訝な顔で後ろを通りすぎてゆく。

 時間がないので、メイクは手早く。アイラインを強調し、仕上げにダーク系リップを引く。


 メイクを終えると、そこにいるのはもはや、いんキャ地味女子の村上康美ではない。

 闇の語り部、ミステリアス霊感美少女の夜神ヤミだ。


「っしゃおらぁ!! やるぞこらぁ!! 待ってろよ10万人~!!」

 トイレに気合の雄叫おたけびをとどろかせたわたしは、おばさんの不審そうな視線に見送られながら公園を後にした。


 * * *


 市内で暮らしていると交通手段アシはほとんどバスで事足りてしまうけれど、録城ろくじょうにも一応、単線のローカル電車が走っている。海沿いを走り、逗子ずしのほうへとつながる、JR録城線だ。

 ディバイン・ベルズとの待ち合わせに指定されたのは、そんなローカル線の終点、南録城みなみろくじょう駅の前だった。


 バスを降りたわたしは、ロータリーの隅っこにひかりの姿を見つけた。いつものようにパーカーのフードをかぶり、看板の陰に身を隠すようにしながら、ヘッドホンで音楽を聴いている。

 両手で抱えた絵の具セットの上には、習字用具と体操服の袋が積み重ねられていた。肩掛けにしたかばんに、わたしの持っているのと同じピンクの「ねこみいら」(包帯グルグル巻きになった猫のマスコット)が揺れているのを見て、思わず笑みがこぼれた。


「ひかり」


 呼びながら近づく。

 ……無反応。


「あれ。……ひかり?」


 横から肩を叩くと、細い肩がビクンと跳ねた。勢い余って、体操服袋が転がり落ちる。


「あ。……ヤ、ヤミちゃん」

「……? どうしたの、そんなに驚いて。名前呼んだの、聞こえなかった?」


 体操服袋のほこりを払って、習字用具の上に積み上げてやる。ひかりは片手で器用にヘッドホンをずり下げた。


「あー、うん。ごめん。音楽聞いとったけん」

「どんだけ爆音で聞いてるのよ。耳悪くするわよ? ……もしかして、緊張してる?」

「……ちょっと」

「やっぱり。でも大丈夫よ、いつも通りやればいいだけだから」


 クラクションの音が鳴った。

 見れば、目の前に真鍮色ブラスゴールドの四角い車が停まっている。六人乗りのミニバンだ。

 助手席のウィンドウがするすると下がって、中から、ディバイン・ベルズのチサティーさんが顔を出した。


「うぃーっす。時間ピッタリだねえ」


 天堂てんどう智里ちさとさん。高校二年生。

 通称、「寺生まれのチサティー」。

 ディバイン・ベルズのリーダー格にしてボーカル。男女問わず他人を惹きつける、不思議なカリスマ性の持ち主だ。

 目鼻立ちのくっきりしたワイルド系の美貌。明るく染めた無造作ヘアに、金フレームのオシャレメガネ。腕にイラタカ念珠ねんじゅと呼ばれる数珠を巻き、黒字に金色のロゴが入ったTシャツを着ている。


「ま、とりあえず乗っちゃってよ。外、暑いしさ」


 チサティーさんが笑うと、口の端から八重歯やえばのぞいた。


 * * *


 わたしたちを乗せ、ミニバンは静かに動きはじめた。

 後部座席にわたしとひかり。中列の座席には、ディバベルのメンバーであるセーラさんとレンレンさん。助手席にチサティーさんが陣取って、ロン毛にヒゲの知らんあんちゃんがハンドルを握っている。誰。


「まず紹介しとくね。こちら、あたしらが所属してるUMOVER事務所のマネージャーさん。電車だと便ベンの悪い場所が目的地なもんで、車出してもらうことにしたんだわ」

「どうも、はじめまして。株式会社DAYDREAMデイドリームの佐々木と申します。運転中ですので、すみませんが名刺のほうは後ほど」

「いッ……いえいえ。こちらこそはじめまして」


 チャラそうな外見のくせに、挨拶あいさつがちゃんと社会人っぽくてビビる。っていうか、わたし名刺なんて持ってないけどいいのかな。


「ヤミひかさんの配信、自分もアーカイブで拝見させていただいてまして。学生さんが個人でやってらっしゃるのに、とてもしっかりされてるなと。よろしければ、この機会にぜひ、弊社のこともお見知りおきください」

「はいッ。おッ、お見知りおきますッ。あああありがとうございまひゅッ」


 い、いかん。緊張のせいで噛みまくってしまった。さっきはひかりにあんなことを言っておいて、自分がこの体たらくでは示しがつかない。

 横目でチラッと様子を見ると、ひかりは完全に血の気の失せた顔で硬直している。


 そんなわたしたちの緊張を知ってか知らずか――チサティーさんが、ひょいとこちらへ身を乗り出してきた。


「ここから現地まで、ざっくり一時間ってとこかな。とりま、ゆっくりくつろいでてちょうだい」

「は、はひ」

「ふたりとも中学生だし、九時までには録城へ戻ってくるつもりでスケジュール組んどいた。そのぶん、現地ではちょい忙しめなんでヨロシクね。……ああ、おうちの人には許可とっといてくれたね?」

「え……ええ、もちろん」


 ウソだけど。

 そもそもわたしは、家族に自分がUMOVERをやっていることすら話してないので、許可を取るもクソもない。

 まあ、どっちみちママは今日も夜勤だし、パパは出張なので、帰りが遅くなったところで何の問題もないのだが。

 そんなことを考えていると、横からくいっと袖を引かれた。ひかりだ。口を思いっきりわたしの耳に寄せると、蚊の鳴くような声でささやく。


「ごめんヤミちゃん……。ぼく話してない。話しきらんかったはなせなかった

「え。叔父さんたち、忙しかった?」

「そうやないけど……」


 ……単に気が引けて言えなかったってことかな、この様子だと。


 ひかりは今、叔母夫妻とともに暮らしているわけだけれど、正直、あまり打ち解けられてはいないらしい。

 先月、ひょんなことから顔を合わせたひかりの叔父さんが、そんなようなことを言っていた。


 そのときだ。ヘッドレスト越しにこちらを見たチサティーさんが、突然、妙なことをたずねてきた。


「ところでヤミちゃん……いや、ひかりちゃんのほうかな。最近、つかとか石とか踏んだ?」

「へ?」


 ……何の話?

 ひかりに目線で問いかけるけれど、首を横に振られる。


「……特にないみたいですけど」

「ホント? じゃあ、動物の死骸にさわったり」

「ないと思います。……あの、それが何か?」

「いや。ないならいいんだ。たぶんあたしの気のせいだわ。悪かったね、妙なこといて」


 チサティーさんは何事もなかったかのように前へ向き直ると、手だけをヒラヒラと振ってみせる。


「それよか楽しい話しようぜー。最近読んだホラー小説どれが面白かった? とかさ」


 そ、それは……楽しい話だ!


 車内の会話は思った以上に弾み、そのうちわたしはチサティーさんに奇妙な質問をされたことも、その質問の意図について考えることも、すっかり忘れてしまった。


 * * *


 高速道路に乗って、多摩川を越える。高速を降りたらそこはもう東京都内だ。

 都心とは反対方向……西へ西へと車は向かい、やがてひなびた住宅地へとさしかかった。

 道路標識に書かれた地名は――たちばな市。

 周囲は山がちで、建物の配置もスカスカとしている。

 大都会東京というよりは、どこかそのへんの地方都市といったたたずまいだ。


「そろそろ、見えてくる頃かな……。ああ、あれだ」


 チサティーさんが指さす先に、緑のネットが見えた。

 小学校のグラウンドだ。その奥には、ベージュ色をした校舎が佇んでいる。


「旧たちばな小学校。十年前に廃校になって以来、ちょくちょく映画撮影とかに使われてたんだけど……いよいよ取り壊しが決まってね。せっかくだから、最後に使わせてもらうことにしたんだわ」


 程なくして、車は正門前に到着した。

 ロン毛にヒゲの佐々木さんがいったん車を降り、管理者の方から預かった鍵で門を開ける。

 びついた正門は、もともと青く塗られていたらしい。はじっこのほうに、がれそびれた塗料がちょびちょびくっついていた。


 車を駐車場まで転がしてくるという佐々木さんと別れ、わたしたち五人はまず、小学校の敷地内をぐるっと回ってみることにした。


 セーラさんが取手ジンバルのついたデジカメ、レンレンさんがスマホを構え、撮影を開始する。どっちも最新機種だ。いいなあ。


「いい天気でよかったわ~。……それとも、雨のほうが怖いになったかしら~?」


 山にかかる入道雲を撮りながら、セーラさんが笑った。


 かすみ聖良せいらさん。高校二年生。

 通称、「教会育ちのセーラ」。

 音楽活動の際には、電子オルガンを担当している。

 やや面長の、大人びた顔立ち。亜麻色のロングヘアに、モデル並みの長身。ふわっとしたロングスカートとブーツが上品だ。この暑いのに、両手にはレースの手袋をめている。


「あ、ヤミひかちゃんたちは、まだ気にしないでいいからね~。素材撮りためておくだけだから~」


 わたしの緊張に気づいてか、セーラさんが微笑んでみせる。

 そう、今回はあくまでも動画撮影。いつもの生配信とは違ってあとで編集が入るから、少々しくじったところで問題はない。

 ……なーんて簡単に割り切れたら苦労しないんだよなあ!!

 いつもは自分のスマホで撮る側、しかも正面からの構図オンリーだから、後ろやら横やらから撮られるのはプレッシャーが半端ない。あッやめて、そっちの角度はやめて! 小顔詐欺がバレるから!!


「あ……」


 校舎裏に回ったところで、ひかりが声をあげた。

 視線を追う。

 小学校の裏手には、さらにごみごみした住宅地が広がっていた。裏門の外を直線道路が伸び、踏切へと続いている。

 そして黒と黄色の遮断機のすぐ手前に、ちんまりした赤い鳥居が見切れていた。


「あれは……神社?」

「ええ。稲荷社いなりしゃ……お稲荷いなりさんですね」


 スマホを向けつつ、レンレンさんが言った。


「ロケハンの際に知ったのですが、昔はもっと広い敷地を有していたそうです。大きな直通道路を通すために参道を切り詰めて、今の形になったと」


 城ヶ崎じょうがさきれんさん。

 通称、「神社住まいのレンレン」。

 他のふたりより一歳年下の、高校一年生。ライブではギターを担当している。

 黒髪のぱっつんヘア。きっちりかっちりボタンを留めたブラウスに、折り目正しいプリーツスカート。小柄なのと、くりっと黒目がちなひとみのおかげで、なんだか日本人形じみた印象を受ける。


「イナリサって、なん?」

 ひかりが首をかしげる。


「稲荷っていうのは、神様の名前ね。それを祀ってるから稲荷社」

「そのとおりです。どうやら学校関係者からは、ここに通う生徒の守り神として親しまれていたようですね」

「守り神……」


 妙に感慨かんがい深げにつぶやくひかり。


 そのとき、先行していたチサティーさんが大きな声でわたしたちを呼んだ。


「おおい、皆の衆。いいモノ見つけたぜい」

 そう言うチサティーさんがぺたぺた触っているのは、学校創立五十周年の記念碑だ。自然石の一面だけをつるつるに磨いて、コンクリの台座にどーんとえてある。


「オープニング前のあたしのハナシ、ここで撮ってもイイかな。ちょうど、校舎裏の石・・・・・にまつわる怪談なんだわ」


 チサティーさんの言葉に、わたしは緊張の糸がピーンと張るのを感じた。

 人気怪談師の語りを、ナマで聞けるのだ。ホラー好きの血がたぎらないわけがない。

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