◆満員ベランダ
二階のバーガーショップに入ったわたしたちは、ハンバーガーを食べつつ打ち合わせを開始した。
議題は普段と同じ。今週の配信でどんな怪談を話すか、だ。
フォロワーから投稿された怪談は、そのまま全部が使えるわけではない。
ヤマもオチもないような薄い話や、明らかな作り話、怪談本やホラー映画の内容を丸写ししたようなやつ(意外と多いんだこれが!)は候補から外していく。
配信の目玉になるような面白い話は、十個にひとつもあればいいほうだ。
話を選んでも、まだ終わりではない。送ってもらった怪談をわたしの言葉に直す作業が残っている。
長すぎる話はムダな部分をカット。逆に短すぎて前後がよくわからない話は投稿者に追加質問のメールを送って、足りない部分を補っていく。
送ってもらったメールはプリントアウトしてバインダーのページに貼りつけているのだけれど、配信で使えるようになるころには、どのページも赤ペンで真っ赤になっている。
こうしてできあがった原稿の中から、その週の配信で使うものを厳選していくというわけ。
いつもなら、ひかりの意見をあおぐのはこの段階になってからなんだけど……。
わたしはカバンから取り出した紙束をドン、とテーブルに置いた。
今週の投稿メールを、さっきコンビニのネットプリント(スマホから直接データを飛ばして印刷できる)でまとめてプリントアウトしてきたものだ。
その物量を見て、ひかりが目を丸くする。
「なんか、今週はいっぱいあるねえ」
「ごめんなさい。まだちゃんと読めてなくて、使えない話が混ざったままなの。悪いけど、ひかりも下読みを手伝ってくれる?」
「あ、そっか。テスト勉強あったもんね」
いや……本当はババアの幽霊に襲われてそれどころじゃなかったからなんだけど……。
どうしよう。この話、今切り出すべきか。
わたしが迷っている間に、ひかりは妙にやる気を出していた。おもむろに腕まくりなんかはじめている。
「ようし。たまには、ぼくもお手伝いするよ! ヤミちゃん、いつもひとりで頑張って
「……頑張ってる? わたしが?」
「うん。お話だけやなくって……どうしたらフォロワーさんが楽しんでくれるかなって、マイクの設定とか小道具とか、いつも考えて、工夫しとーやん? ぼく、いつもすごいなーって思っとーっちゃん」
「別に……わたし、頑張ってなんか……」
わたしはただ、怪談が好きなだけ。動画が伸びてたくさん「いいね」がつけばと思っていただけ。
そんなのは、世間や先生や両親が認める「頑張ってる」の
だから……誰かが「頑張ってるね。」と言ってくれる
なんて、想像もしてなかった。
「……ありがとう」
そう言うと、ひかりは、いつものにへっとゆるんだ笑いを返してきた。
なんだか胸の奥がムズムズする。
そして、ババアの話をはじめるチャンスを完全にのがしてしまった。
(まあいい。時間はまだある。もっとタイミングを見計らって……)
ひとまず形だけでも作業を進めようと、わたしは印刷したメールの束を手に取り、読みはじめた。
一枚目は、常連の「
* * *
ヤミちゃん、ひかりちゃん、こんにちは。「
いつものように知り合いから実話怪談を聞き回っていたところ、なかなかいいネタが入ったので、ご提供させていただきます。
建築関係の仕事をしている、Yさんが体験したお話です。
数年前、Yさんの会社は、ある古いマンションの取り壊し工事を依頼されました。
工事の責任者を任されたYさんはさっそく、若手のS君を連れて、現場の下見へと
解体の段取りはもちろん、周辺住民の有無や
現場のマンションは住宅地から外れた場所にぽつんと建っている、何の変哲もない鉄筋コンクリート製の建物でした。
見たところ、解体の妨げになりそうなものはありません。
――まあまあ楽な仕事になりそうだな。
Yさんはそんなふうに当たりをつけつつも、入念に現場を見て回ります。
会社のデジカメを持ったSさんがそのあとについて、現場の様子を写真に収めていきました。
ひと通り仕事を終えたふたりが、そろそろ撤収しようと車に戻ったところで、Yさんはふと気づきました。
「いけね。外側を撮ってなかった」
ついうっかり、マンションの外観を撮影し忘れていたのです。
それを聞いたS君が言いました。
「ああ、それなら、オレがパッと行って撮ってきまスよ」
「頼めるかい? 悪いねえ」
「平気ッス。んじゃ、ちょっと待っててくださいね」
そう言って、カメラ片手に飛びだしてゆきました。
――Sのやつ、入社したての頃はに比べりゃ、少しは頼もしくなってきたかな。
Yさんはそんなことを考えつつ、タバコをふかしてS君の帰りを待ちました。
ところが……タバコを一本吸い、二本吸っても、まだS君は帰ってきません。
マンションの外側を撮影するだけのことに、これほど時間がかかるとは思えません。
「あいつ、何グズグズしてんだ?」
思わずそう口に出したYさんは、しぶしぶ、S君を迎えに行くことにしました。
S君の姿はすぐに見つかりました。
マンションの裏手のあたりで、ぼうぼうに
「おい、どうした。具合でも悪いのか」
Yさんはそう言って、S君に駆け寄りました。
肩を強くゆさぶると、ガバッとS君が顔を上げます。その顔色は真っ青でした。
「ベ、ベランダに……人が」
そう言って、四階のベランダを指さします。
「人?」
もちろん、そんなところに人影などありはしません。
つい先ほど、隅々までチェックしてきたばかりなのですから。
ですが、S君はガタガタ震えながら、まるでうわごとのように繰り返すのです。
「人が、たくさん……三十人も四十人も、ぎっしり詰まって……ベランダに」
「何言ってるんだ、よく見ろ。人なんていやしない。第一、あんな狭いベランダに三十人もどうやって立つんだ」
「でもいたんですよォ……本当に、みっしり満員で……いたんですよォ」
このままでは
事務所に戻ったYさんは、「とにかく今日は休め。明日、病院に行け」とS君を帰宅させました。
それまで普通にしていたS君の様子が突然おかしくなったのは、どうにも不可解でしたが、仕事はスケジュール通り進めなくてはなりません。
その夜はひとり、事務所に残って、マンションについての報告書を作成することにしました。
照明を落としたオフィスに、Yさんのデスクライトとパソコンの明かりだけが残ります。
深夜十二時近くになって、ようやく報告書を書き終えたYさんは、最後に写真をひととおり確認しておくことにしました。
S君が撮った写真のデータをパソコンのビューワで順に眺めてゆきます。四階のベランダを映した写真にさしかかった瞬間、思わず、マウスを操作する指が止まりました。
改めて、しげしげと写真を眺めましたが……ベランダに立つ人影はもちろん、人と見間違えそうな廃材なども見当たりません。
(……Sのやつ、本当にどうしちまったんだろうな)
もしかして、仕事中にこっそり酒でも飲んでいたんだろうか?
けど、中を見て回っているときは、何もおかしな様子などなかったし……。
そんなことを考えていると、ふいに背中側から、
ぎしぃぃっ。
金属のきしむ音がしました。
そちら側は窓です。思わずギョッとして振り返りました。
ぎし……みし……みしぃ……。
窓の外は真っ暗で、ほとんど何も見えません。
ただ……よく見ると、何かが動いています。
いっそう目を凝らしたYさんは、その正体に気づいた瞬間、冷や水をかぶったように
夜の闇よりも濃い人影が、そこにいくつもいくつも、ひしめいていたのです。
それ――いや、それらが身じろぎするたびに、窓の外にあるベランダの柵が、ぎし、みし、ときしんでいるのです。
ですが、そんなことはありえません。
なぜなら、そこはベランダとは名ばかりの、格子状の手すりが取りつけられているだけだったからです。
せいぜい、植木鉢を置くぐらいのスペースしかありません。人が立つことは不可能です。ましてや、何十人も密集するなんて……。
とても、明かりをつけて確かめる勇気はありませんでした。Yさんはパソコンも何もかもつけっぱなしのまま、大慌てでオフィスから逃げ出しました。
翌日、Yさんは出社するなり、社長にこのことを報告しました。
社長は苦い顔でその報告を聞き終えると、
「この仕事は断ろう」
と決断しました。
建築関係者には、信心深い人や、縁起を気にする人が多いといいます。この社長も、そうでした。
しかし、社長が仕事を断ることを決めたのは、Yさんの体験だけが理由ではありませんでした。
実は昨夜、S君が実家からふらりと抜け出し、それきり行方不明になっていたのです。
社長はYさんよりも早く、家族からの連絡でそのことを知っていたのでした。
数年経った現在でも、S君の消息は不明なままだそうです。
問題のマンションはそれ以来、解体工事を引き受ける業者もなく、廃墟のままずっと存在し続けています……。
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