●あれ、見えとー?

 同じ週の土曜日。

 部屋で配信準備をしながらひかりを待っていると、メッセージアプリのLIMEライムで通話がかかってきた。


「もしもし、ひかり?」

『あ、ヤミちゃん。ぼく、下まで来とーっちゃけどきてるんだけど……ちょっと、降りてきてくれる?』

「なあに? どうかしたの?」

『どうかしたっていうか……。とにかく早く来て。ぼく、待っとーけんまってるから


 もしや、このクソ暑い陽気のせいで熱中症にでもなったんじゃあるまいな。

 不安にかられたわたしは、大急ぎで部屋を飛び出した。エレベーターを待つ間を惜しんで、階段を駆けおりる。

 自宅マンションのエントランスを出ると、正面の花壇に、ひかりがポツンと座っていた。


 わたしに気づくと、シーッと人差指を立ててから、しきりに手招きをする。

 不審に思いながら近づいたわたしに、ひかりがささやいた。


「ヤミちゃん。あすこあそこに、ヒラヒラの服ば着た女の人がおるやろ。……あれ、見えとーみえてる?」


 ひかりが目線で示す先。

 そこにはちょうど、わたしの部屋があった。

 しかし配信のためにカーテンを閉め切っている以外、特に変わったところはない。そもそも私の部屋にはベランダがついていないので、人が立てる場所などありはしないのだ。


 わたしはすぐに理解した。

 また、いつもの霊感ごっこがはじまったのだと。


「ええ、もちろん見えているわ。とても悲劇的な最期を遂げたんでしょうね。悲しみの波動が強すぎて、なかば怨霊化してしまっている……とても危険な霊だわ」

「やっぱり……」


 ひかりは真剣そのものといった表情でうなずくと、ほっとしたように表情をゆるめた。代わりに向けられるのは、わたしへの尊敬のまなざしだ。


「やっぱり、ヤミちゃんはすごかすごいねえ。ぼくなんて、見えるだけでなーんもわからんとにのに

「ふふっ。めるほどのことじゃないわ。知識と経験。それだけよ」


 なーんつって。むふふふ。

 本音を言えばもっとめてほしい。ベタベタに称賛してほしい。めちゃくちゃ顔のいいこの女にリスペクトされるたび、わたしは、自己肯定感がギューンと上昇してゆくのを感じる。


 ひかりとこんなやりとりを交わすのは、むろん、はじめてではない。


 ――さっきの女の人、鼻から下、なかったねえ。どげんしたっちゃろどうしたんだろ……。

 ――あの長靴ながぐつ、今日、学校でも見たっちゃん。ぼくのこと、つけて来とーごたきてるみたい……。

 ――今の自動販売機、見た? 下んとこにみちみちに詰まっとったの、ミミズかなあ。ぐねぐね動いて、生きとったよねえ。


 そんなことをだしぬけにつぶやいたかと思うと、ひかりは上目遣いにわたしを見ながら、すがるように言うのだ。


 ――ヤミちゃん、見えた?

 ――ヤミちゃん、見えとー?


 もちろん、鼻から下がげ落ちた女も、ストーキングする長靴も、自販機の受け取り口に詰まったミミズも、どこにもいない。

 それでも、わたしはひかりに話を合わせ、適当に思いついた解説をつけてあげる。それを聞いて、ひかりがまじめにうなずく。

 これは、そういう遊び。ふたりだけの「霊感ごっこ遊び」なのだ。


 遊びだけど、いや、遊びだからこそ、お互い野暮やぼなことは言わない。あくまで真剣に霊感少女を演じている。

 くだらないのは百も承知だ。わたしはそんな、くだらない話をする相手ができて嬉しい。

 わざわざ確かめるような真似はしないけど、ひかりだって、きっとそう思っている。でなかったら、こんな遊びを何ヶ月も続けたりしないはずだ。

 まあ、こうやって演技力やアドリブ力を鍛えておけば、動画配信の役にも立つしね。


 そんなことを考えていると、ひかりが言った。

「で……どげんどうする?」

「ん、なんの話?」

「今日の配信たい。あげんオバケがおる横で怖い話げななんか、ぼく、ようしきらんとてもできないよ。やるなら、今日はヤミちゃんの部屋じゃないとこでやらん?」


 その言いぐさを聞いて、わたしはさらに納得した。

 ひかりのやつ、毎回毎回わたしの部屋から配信するのに飽きてしまったに違いない。だから霊感ごっこにかこつけて、こんな小芝居を入れてきたのだ。

 わたしは苦笑する。

 別にそんなことしなくても、普通に言ってくれればいくらでも考えてあげたのに。こういうところが奥ゆかしいというか、コミュ障というか……。

 まあいい。かわいい相方のお願いだ。ここはミステリアス霊感美少女のヤミちゃんが、グッドな代案を用意してあげようじゃありませんか。


「そうね。たまには環境を変えるのもいいかもしれないわ。防音の行き届いた個室のある場所というと……やっぱりカラオケかしら」

「カラオケ!?」


 不安そうにくもっていたひかりの顔が、にわかに晴れわたる。

「ぼく、カラオケ入ったことないっちゃん。行こう行こう!」

「ふふ、大げさね。カラオケくらいで」


 ま、そう言うわたしもヒトカラしかやったことないけど。一緒に行く相手いないし。


 そんなわけで、今日の配信はカラオケボックスからということになった。

 わたしはSNSのTwisperツウィスパーに配信開始が少し遅れる旨を書きこむと、いったん自分の部屋へ荷物を取りに戻ることにした。


 スマホスタンドと充電器をカバンに放りこみ、戸締りを確認する。

 ついでに、そっと自室のカーテンをめくってみたけれど……窓の外には、なにもいなかった。


 ……って、そんなの当たり前じゃないか。バカかわたしは。


 わたしとひかりは汗をかきかき、徒歩で北録城きたろくじょうのバス停前にあるカラオケボックスまで移動した。

 フリータイムで部屋を取ると、さっそく配信を開始する。


「闇に魂を惹かれたフォロワーのみなさん……こんにちは。夜神ヤミです」

「朝日奈ひかりでーす」

「今日は、配信開始が遅れてしまってごめんなさい。実は――」


 わたしはちょっと考えてから、さっきの霊感ごっこを言い訳に使うことにした。


「――わたしの自宅が、悪霊の襲撃を受けてしまったものですから。安全を考えて、配信場所を変えさせていただきました。そうよね、ひかり?」

「うん。……あのピンクの服の人……先週も、ヤミちゃんの近くで見た気がする……」


 わたしの振りに、ひかりはすかさず乗ってくる。顔まで青ざめて、なかなかの名演技だ。

 わたしは心の中でニヤリと笑いながら、あくまでクールに進行する。


「そんなアクシデントもありましたが、今週も霊感UMOVERユームーバー『ヤミひか』が、みなさんに怪奇と幻想の物語をお送りします。今回のテーマは『霊感にまつわる怪談』。まずは二話続けてお聞きいただきましょう。チャンネルフォローと『いいね』ボタンも、よろしくお願いしますね。それでは……今こそ開きましょう。闇への扉を!」

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