●飛び降りマンション(2)

 どこぞの中学校の制服に、ペラッとしたパーカーを重ね着している。首にはでかいヘッドホン。フードを目深まぶかにかぶっているせいで、顔はよく見えない。


 怒りをこめてにらみつけると、そいつは首をすくめて小さくなった。

「ご、ごめん。びっくりした?」

「したに決まって……あ、い……いいえ、別に」


 わたしは乱れた髪を直しながら言った。

 ふーんだ。びびびびっくりしてねーし。


「ジャマするつもりなかったっちゃん。ただ、なんか集まって来とったけんきてたから危なかあぶないよって言いたくて」

 なんだか聞きなれない言葉遣いだった。それ、何弁?

 いや、そんなことより……。

……って?」


 わたしがたずねると、そいつはすいっと顔を近づけてきて、小さな声でささやいた。

「生きとらん人とか……人じゃないのとか……」

「ふうん?」


 つまり、幽霊や妖怪のたぐいが集まって来てる、と言いたいわけね。

 もちろん、あたりを見回したところでネコの子一匹いやしない。


(ははーん。さては……こいつも霊感ごっこ系女子だな?)


 だいたいどこの学校にも、ひとりかふたりは「わたし霊感あります」とか言って目立とうとするイタい女がいるものだ(……いや、わたしは違うけど……学校ではやってないし……)。

 こいつもきっとその仲間に違いない。

 なら、いちおう話を合わせてあげたほうがいいだろう。わたしと同じで友達いないんだろうし……あんまり冷たくしたら泣いちゃうかもしれないし……。


「そ……そうね。この場には、ずいぶん多くの浮かばれない霊たちがいるみたい」

「えっ!」

 今度は相手がびっくりする番だった。


「み……見えとーと?」

「もちろん。どうやらわたしたち、同じ能力チカラがあるようね」

 笑いかけてやると、霊感ごっこ女はポカンと口をあけて固まってしまった。


 それまで自信なさげにうつむいていた顔に、ほんのり赤みがさして、フードの下からのぞく目がキラキラ輝きはじめる。

 じっくり観察してみて驚いた。

 こいつ、めちゃくちゃ美少女じゃん。


 ぱっちりと大きな目。色素の薄い透明なひとみ。なめらかで色白な肌に、整った鼻筋とあごのライン……おまけに髪は何回ブリーチしたらそうなるの、ってくらいにきれいな白だ。

 何こいつ、芸能人?

 なんかの雑誌の読モとか?


 ――この女、動画の人気アップに使えるんじゃない?

 そんな考えが浮かんだのは、まさにそのときだった。


「……なにをしているのか、という質問にまだ答えてなかったわね。わたし、ここで動画撮影をしていたの」

「動画? UMOVEユームーブ?」

「そうよ。『夜神ヤミ怪談チャンネル』っていうんだけど」

「えっ……すごいやん。UMOVERユームーバーみたい」

 みたい、じゃないっ。

 たとえ無名でも、わたしは正真正銘UMOVERだっつーの! ふんすふんす!


 動画投稿サイトUMOVEは、いまや、あらゆる流行が生まれるエンターテイメントの中心地だ。

 当然、そこで活動するUMOVERは世界中から注目されている。

 そしてなによりすばらしいのは、デビューに資格も、コネも必要ないことだ。スマホひとつあれば、誰だって今日からUMOVERになれてしまう。それってすごいことだと、わたしは思う。

 もちろん年収ウン億いくようなプロUMOVERと、わたしみたいなエンジョイ勢との間には、天と地、月とスッポン、銀河の一等星と地べたの石コロくらいの差があるわけだけど……。


「ねえ。もしも興味があるなら、あなたも動画に出てみない?」

 わたしの問いかけに、霊感女は飛びあがった。

「えっ! ぼく!?」

「ええ。ちょうど、動画の内容に変化をつけたいと思っていたところなの。あなたみたいにかわいい子がゲストで出てくれたら、助かるわ」

「いや、でも、ぼく……上手にしゃべりきらんしゃべれないし、髪とか……変やし……」

「変って……それ、自分で染めたんじゃないの?」

「……ううん、生まれつき。小学校ではずーっと黒くしとったっちゃん。ばってんだけど、中学では髪染めるの禁止って書いてあったけん、白に戻して行ったと。そしたら今日、生徒指導の先生に黒くしなさいって言われて……」

「えーっ! 地毛なの!? な、なおさらえじゃないの……。そのままにしときなさいよ、もったいない」

「ば……ばえ? ってなん?」

「きれいだってことよ」


 何気ないひとことのつもりだったのに、そいつは耳まで赤くなった。

「そ、そげんことそんなことないよ。キモイってよく言われるし、ぼく……」

 ウソでしょ、その顔で? ……と、思ったけど、これだけかわいいと、やっぱり嫉妬されていじめられるのかもしれない。

 それで霊感少女ごっこをするような、さびしいに育っちゃたんだな。かわいそうに。

 ……いや、わたしは違うけどね?

 確かに霊感少女キャラやってるけど、別にさびしいからじゃないからね? 友達だって、あえて作らないだけだからね?


 なんだか急に胸が痛くなったのでフェンスにもたれかかっていたら、霊感女がおずおずと話しかけてきた。


「……ねえ。動画に出たら……ぼく、有名になれるかなあ?」

 お。なにやら前向きな発言。

「ああ、やっぱり芸能人目指してるの? そのルックスなら、モデル志望かしら? それともアイドルとか?」

「ち、違う違う。ただ、有名になったら……お母さんがぼくのこと、見つけてくれるかもって思ったけん……」

「ん……どういうこと?」

「お母さん、ぼくが小さいころに家出したっちゃん。今どこにおるかも、連絡先もわからんと。でも、ぼくがUMOVEユームーブで有名になったら、もしかして……」


 せ、切実ぅ……。

 いきなり予想外の重い話にぶん殴られて、わたしは思わずよろめいた。まさか、そんな家庭の事情を抱えていたなんて……。


 わたしのママもスーパー仕事人間で、授業参観にも運動会にも卒業式にも来てくれたことがない。

 たまに百点のテストや作文コンテストの銀賞を見せに行っても「今、忙しいからあとでね」としか言われないし、誕生日のプレゼントは、冷蔵庫にマグネットで万札が貼ってあるだけだった。家族のぬくもり? ナニソレおいしいの? って感じだ。

 だけど、そんなママでも三日に一回ぐらいはちゃんと家に帰ってくるもんな。


 わたしはなんだか、目の前の霊感女のことを他人だと思えなくなっていた。

 精一杯、誠実な答えを探す。


「そうね……。残酷なことを言うようだけれど、うまくいく可能性は低いと思うわ。UMOVEユームーブには一日何十万、何百万もの動画がアップロードされるのよ? その中から見つけてもらおうなんて、砂漠に落とした針を探してもらうようなものだわ」

 霊感女の目からみるみる光が消えていく。

 わたしは急いで先を続けた。


「でもね。それでも可能性はゼロじゃない。0.0000001パーセントかもしれないけど、それはゼロとは違うの」


 小五の冬、はじめての動画をアップロードしたときのことを思い出す。


「ゼロはなにもしないってこと。絶対に願いはかなわない。でも自分から行動すれば……少なくとも、ゼロではなくなる。たった一度の人生、やる前からあきらめちゃうなんて、もったいないと思わない?」


 一気に言い終える。

 夕陽の落とす影で、霊感女の表情はわからない。

 わたしは待った。ガラにもなくクサいことを言ってしまった恥ずかしさが、みぞおちのあたりにじわじわ蓄積してゆくけど、それでも待った。

 次に霊感女が顔をあげると、ガラスみたいな目が、まぶしいくらいに輝いていた。

「や……やる」


「決まりね。わたしは村か……夜神ヤミ。闇の語り部、ミステリアス霊感美少女よ。……あなたは?」

「ぼく? 神代くましろひかり」


 にへっと表情をゆるめると、霊感女――ひかりの顔は、ずいぶん印象がやわらかくなった。


「……ばってん、ここはやめん? 撮るんやったら別んとこしようよ」

「あら、浮遊霊が集まってくるくらい平気よ。わたしの霊力をもってすれば……」

「ううん。このへんにおるといるのは、そげんそんなに怖くないけど……あっち」


 そう言って、ひかりがチラリと目くばせしたのは、例の「飛び降りマンション」だった。


「あそこには……怖いがおる」


 そう言った顔があまりにも迫真の演技(霊感なのだから、あらゆる言動はすべからく演技だ)だったので、わたしは思わず噴き出してしまった。


「なるほどね。やっぱり、噂のこと知ってたんじゃないの」

「え。噂……って、なん?」

「あーはいはい。そういうことにしときましょ。せっかくだし、お近づきのしるしにハンバーガーでも食べにいかない? 動画を撮る前に、お互いのことを知っておきたいし」

「バーガー!? 行く行く!!」


 これが、わたしとひかりの出会いだった。


 その日撮った動画は、ボボボボボという風の音がうるさくて、まったく使い物にならなかった。

 だけど代わりに、わたしはもっとすてきなものを手に入れたのだ。

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