◆塩を崩す

 フォロワーさんが、お友達の「洋一」さんから聞いたお話です。


 洋一さんは小学生のとき、アパートの一階に住んでいました。

 部屋が敷地の奥にあるので、学校に行くときには、他の部屋の前を通ることになります。


 ある日、いつものように学校へ行こうとした洋一さんは、よその部屋の前で奇妙なものを見つけました。

 ドアの脇に小皿が置かれ、その上に、白い砂のようなものがこんもり盛られているのです。

 指でつまみあげてみると、つぶがほんのり透き通っているのがわかりました。どうやら、ふつうの食塩のようです。

 だけど、なぜそんなものが廊下に置いてあるのでしょう。


(……変なの)


 興味はありましたが、ぐずぐずしていたら遅刻してしまいます。

 洋一さんは立ちあがり、歩きだそうとしました。ですがそのとき、うっかり小皿をとばして、塩の山をくずしてしまったのです。


(あ、やっちゃった)


 悪いことしたかな、と思いましたが、急いでいたので、その日はそのまま学校へ行きました。


 次の日。洋一さんが同じ部屋の前を通りすぎようとすると、崩したはずの塩の山が、なぜかきちんと盛り直されていました。


(……またやってる。なんだコレ?)

 それを見た洋一さんの心に、ふと、イタズラ心がわきました。

 あたりに誰もいないことを確かめると……わざと塩の山を蹴り崩してしまったのです。


 また次の日も、塩はドアの前に盛り直されていました。

 洋一さんはなんだかおもしろくなって、発見するたびにその山を崩しました。次の日も、そのまた次の日も。


 しばらくすると、部屋の住人がドアの前に立つようになりました。

 ぼさぼさの髪に灰色のスウェットを着た若い男性です。無精髭ぶしょうひげのせいで、ちょっと老けて見えました。

 そんな男性が数日に一度、ドアの前に立って、塩の山をぼうっと見ているのです。


(塩にイタズラされないよう、見張ってるんだ)

 洋一さんはそう思いましたが、それからも、彼が廊下にいないときをみはからって塩を崩しつづけました。

 小学生の彼には、大人の目を盗んでイタズラをするスリルがたまらなく楽しかったのです。


 ところが半月ほどして、ぴたりと塩が直されなくなりました。

 三日過ぎても、一週間が過ぎても、小皿の上の塩は洋一さんが蹴散らしたまま。

 そうなると洋一さんも張り合いがなくなって、興味が失せていきます。やがてその部屋を気にすること自体、すっかりなくなってしまいました。


 そんな、ある日のこと。

 夕方、洋一さんが家で留守番をしていると、


 ピーン……ポーン……。


 ドアチャイムが鳴りました。

(いったい誰だろう)

 玄関に向かった洋一さんは、ドアを開ける前に、ドアスコープから外をのぞいてみました。


 すると。

 魚眼レンズで歪んだ景色の中に、ボサボサ頭に無精髭ぶしょうひげの男が立っているのが見えました。

 間違いなく、あの塩の部屋の男です。

 部屋着のような灰色スウェットを着て、ドロンとにごった眼でこっちを見ています。


 洋一さんはゾッとして、その場にしゃがみこみました。自分がイタズラしていたことに気づいて、しかりに来たんだと思ったのです。


 ピーン……ポーン……。


 ピーン……ポーン……。


 男はしばらくチャイムを鳴らし続けていましたが、やがて留守だと思ってあきらめたのか、無言で去っていきました。


 次の日、アパートに警察がやってきました。

 塩が置かれていたあの部屋で、例の男性の遺体が見つかったのです。

 死因は心臓麻痺まひ

 発見のきっかけは、遺体の悪臭が隣の部屋にまで漂ってきたことでした。遺体は死後一週間が経過し、すっかり腐敗が進んでいたのです。


 そのことを聞いた洋一さんはゾーッと背筋が寒くなりました。

 彼が一週間前に亡くなっていたのだとしたら……昨日、自分を訪ねてきたあの男は誰だったのだろう? そして、もしもドアを開けていたら、自分はどうなっていたのだろう?


 後でわかったのですが、その部屋では、前にも住人の孤独死が起きていました。

 スウェットの男性が入居した時点で、事故物件として安く貸し出されていた部屋だったのです。


 * * *


 話が終わったところで、ひかりが不思議そうに目をパチクリさせた。


「え、終わり? お塩はなんやったと?」

「おそらくは『盛り塩』ね。塩には不浄を清める力があると言われているの。盛り塩は、もっとも手軽な除霊の方法なのよ」

「そーなん?」

「ええ。お葬式でも『お清めの塩』を体にかけたりするでしょう? わたしも悪霊から身を守るために、いつもこれを持ち歩いているわ」

 わたしはポケットから巾着ポーチを出すと、中身をテーブルの上に出してみせた。

 ピンクと白の混じった、親指サイズの石。それが五、六個ほどある。


「へえ。きれーかねえ」

「塩の石……岩塩よ。話を戻すけれど、スウェットの男性は、孤独死した前の住人の霊に悩まされていたんじゃないかしら。そこで除霊のための盛り塩をしたのだけれど、洋一さんのイタズラのせいで効果が出ず……霊障れいしょうによって命を落としてしまった。男の霊が訪ねてきたのは、自分を死に追いやった洋一さんを責めるためだったのかもしれないわね」

 わたしが声を低くすると、ひかりはブルッと身ぶるいした。


「……嫌な話やね」

「この解釈が正しいと決まったわけではないけどね。霊を見ることのできるわたしたちにとっても、『向こう側』のことはわからないことばかりなのだから」


 正直、怪談の内容を一から十まで解説してしまうのはあまり好きじゃない。

 意味がわからないところはわからないまま、辻褄つじつまが合わないところは合わないままにしておくほうが、逆にリアルで怖いんじゃないかと思うのだ。

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