第22話 春雨国からの暗殺者

 女帝の中の人――桜木鈴華は悩んでいた。

 己が宿っている体の持ち主・経朱と、自らの最推し・百華のとんでもない真実にたどり着いてしまったからである。

 百華の認知の歪み、精神的不調をどう治療すればいいのか、途方に暮れてしまう。そもそも、鈴華は精神科医でもカウンセラーでもないし、この中華風の乙女ゲー世界――いつの時代のどこの国をモデルにしているのかも知らない世界に、精神治癒に詳しい者が存在するのかどうかも微妙なところだった。一応、情報元の最猟陰にそういった人物を探すように頼んではみたのだが、あまり期待しないほうがいいかもしれない。


 ふう、とため息をつくと、近くにいた女官が「陛下、お体がすぐれませんか?」と声をかけてくれる。


「ああ、大丈夫だよ。ちょっと元気がないだけ」


「顔色もあまりよろしくないように見えて心配ですわ。朝食はあとにしましょうか?」


「いや、食べるよ。きちんと食事しないと元気が出ないもんね」


 食事を食べるときは四皇子も同席、というのが後宮での決まりらしい。

 百華は前日の夜にあったことなどけろりと忘れたように、いつものクールな無表情を保っている。決まりが悪いと思っているのは自分だけだと思い知らされているようだ。

 女官が運んでくる朝ごはんを食べようと手を伸ばすと、「お待ち下さい、先に毒見をいたします」と止められてしまった。

 たしかに女帝の口に運ぶものに毒が入っていたら大変だし、実際毒物を盛られることも時代柄ありえるのだろうが、お腹が空いている時にこれをやられるとたまらないな、と苦笑してしまう。

 早く終わってくれ~と思いながら毒見役が食べ物を口に運ぶのを羨ましい気持ちで眺めていると、お許しが出た。

 やっとのことで食事を口に運ぼうとすると、今度は猟陰が「待った」をかけた。


「そこの毒見役の君、初めて見る顔だね。名前と所属は?」


「あ~? あう~」


 毒見役は耳が聞こえないのか、言葉を話せないようだった。そういった人間がこの時代、この世界で就ける数少ない仕事が毒見役ということもあるのだろうと鈴華は憐憫の情を覚える。


「猟陰、まだ食べちゃダメ?」


「死にたいなら食べてもいいけど、拙はオススメしないね」


 猟陰の冷たい言葉に、女帝は思わずギョッとした。


「その毒見役の人を疑ってるの?」


「毒見をしたあと、毒を入れるなんて芸当もよくあることさ」


 猟陰は鈴華の手から汁物の入ったお椀を奪い取ると、毒見役に突きつける。


「もう一度、飲んでご覧よ。君が口をつける前より微妙に色が濃くなっているから、これを飲んで君が無事でいられたら信じてもいい」


 彼は相変わらずの観察眼で毒の入った料理を見抜いていた。

 毒見役は「チッ」と舌打ちをすると、懐から短刀を抜いて女帝に向かって投げつける。


「お命頂戴!」


「うわっ!」


 思わず身が竦んだ鈴華だが、その体に刃物が突き刺さる感覚はなかった。

 恐る恐る目を開ければ、彼女の目の前に誰かが立っていたのだ。

 ――百華が、身を挺して短刀を胸に受けていた。


「――うそ、なんで――」


「百華兄ィ! しっかりしろ!」


「丁狭兄さん、その暗殺者を押さえて! 君、医療班を早く!」


 呆然とする鈴華に、百華の止血をする心用。丁狭は暗殺者を床に組み伏せ、猟陰は女官に命じて医者を呼ばせている。

 宝玉宮は、騒然とした朝を迎えたのであった。


 捕らえられた暗殺者は春雨国からの刺客だと、医務室で百華を見守っている時に鈴華は猟陰から聞かされた。

 百華は息はあるものの、目覚める気配はない。


「春雨国の野郎! この恨みは倍にして返してやる!」


 心用は怒髪天と言った様子で壁を殴っている。


「私のせいだ……アレは本来、私が受けるべき毒だったのに……」


「いや、別に君のせいじゃないだろ」


 グスグスとべそをかいている女帝に、猟陰はあっさりと返した。


「皇帝が暗殺の憂き目に遭うのはこの世の常だけど、別に皇帝が暗殺されるべきなんてことはない。それこそ経朱のような暗愚な女帝なら別かもしれないが、スズカ、君は少なくとも善政を成そうとした偉大な女帝だ。君が暗殺されるべきなんて言われたら、拙たち四皇子が全力を賭してそれを否定する。だから、自分が死ぬべきなんてバカなことを考えるんじゃないぞ」


「うん……」


 鈴華は涙を手の甲で拭いながらなんとか返事をした。

 そして、意識が戻らない百華の手を強く握る。


 百華に刺さった短剣は、それ自体に大した殺傷力はない。

 問題は、その刃物に毒が塗られていたことであった。

 その毒物の影響で、百華は意識を失っているようなのだ。


「それにしても、宝玉宮にネズミが紛れ込んでいやがるとはな。猟陰兄ィ、こりゃマズいんじゃねえか?」


「ああ、良くないね」


「え、なにが?」


 心用と猟陰の不穏な会話に、鈴華は嫌な予感がした。


「分かんねえのかよ。……いや、スズカは平和な世界から来たんだったか。じゃあ分からなくても無理はないか」


 心用はガリガリと頭を掻く。猟陰は子供に言い聞かせるように解説した。


「つまりだね、忍び込んだネズミが一匹とは限らないってことさ」


「暗殺者やスパイがこの宝玉宮にまだいるってこと!?」


 たしかに、よく考えれば分かる話だし、ありえないことでもない。


「うんうん、君は良い生徒だね。それで、間者がこの後宮に紛れ込んでいるとして、女帝は暗殺しそこねたけど『軍神』と呼ばれている百華兄さんが今、戦闘に参加できない状態だという情報を掴んでいたら、このあとどうなると思う?」


 鈴華が答える前に、兵士が血相を変えて医務室に飛び込んできた。


「春雨国の軍隊がこちらに攻め入っております! 『麒麟』を使う皇族も確認できました! 四皇子の皆様に対処をお願い致します!」


「ハッ、春雨国の奴ら、本格的に宝菜国を潰しにかかったな!」


 心用はバシッと拳を逆の手のひらに叩きつけた。


「おもしれぇ、百華兄ィがいなくても俺らだけで叩きのめしてやらァ!」


「仔細把握した。拙は猟陰府で策を練る。陛下は兄さんを――」


「いや、妾も戦闘に参加しよう。龍は多いに越したことはあるまい」


 心用と猟陰は、目をパチクリさせて女帝を見た。

 彼女の目は怒りに燃えているような、それでいて水のように澄んでいるような、不思議な色をしていた。


「――陛下、今の貴女は『どっち』なんだい……?」


「そんなことはどうでも良かろう。今は非常時、他に考えることがあるのではないか? のう、宝菜国の頭脳よ」


「……承知いたしました。陛下の御心のままに、成すべきことを成しましょう」


 猟陰は深々と一礼して、猟陰府へと駆けていった。


「さて、では参ろうかの、心用?」


「フン、まさかお前がやる気を出すなんて思わなかったぜ。どういう風の吹き回しだ?」


「なに、百華が眠ったままではピーピー泣いてうるさい女がおるのでな? いつもの妾の気まぐれよ、気にせずとも良い」


 ククッと笑っているのは――宝玉宮経朱帝、その人であった。


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