本編②

第21話 百華の夜伽

「陛下、夜伽に参りました」


「お帰りください」


 鈴華が引き戸を閉めようとすると、百華はガッと戸に手をかけて阻止してしまう。


「いや、だからこの前も夜伽はもうしなくていいって言ったじゃないですか!」


「これは私自身の意志で行っていることです」


「なおさらタチが悪い!」


 ――四皇子の最百華は、女帝・宝玉宮経朱帝とかつて夜伽をする仲であった。

 それは後宮におけるスキャンダルに相違ないのだが、そもそもこの宝菜国自体が乱れに乱れ、傾きかけた滅びの一歩寸前のような国であったためにあまり問題にされなかった。

 否、問題にしようとした側近たちが追放刑に処され、他の貴族も兵士もこの問題について興味を持たなかったために奇跡的にスルーされた、といったほうが正しい。

 そして、経朱が自らの体の主導権を鈴華に譲渡したと発覚した後も、なぜか百華は女帝の私室をこうして訪れるのであった。


「陛下、中に入れてください……夜風で凍えた私の体に熱を分けてくださいませ……」


「う、ウワーッ! 誰かタスケテーッ!」


 鈴華は乙女ゲーをしているわりにはこういった口説き文句に耐性がなかった。

 いや、乙女ゲーならまだネタとして楽しめるが、直接こういった甘い言葉を浴びせられると、どんな反応をしていいか分からなくなる。

 しかし、抵抗むなしく、力ずくで百華に部屋に押し入られてしまうのも常であった。


「陛下、私はなにか貴方様の機嫌を損ねるようなことをいたしましたか?」


「私は陛下じゃないんです……いや、体は陛下だけど中身は別人なんです……」


 もちろん、百華もそれをとっくに知っているはずなのに、なぜたびたび夜伽に訪れるのかが、鈴華には理解できない。

 体が経朱なら、中身は問わないということなのだろうか……?

 しかし、百華がそんな人間ではないということも知っているからこそ、余計に不可解なのだ。

 とにかく、鈴華にとっては百華と夜伽をするなどというのは刺激が強すぎる。

 乙女ゲーでテレビ画面越しにベッドシーンを見ることすら目をそらしてしまうのに、宝菜国で一番と言われる美貌が目の前にあるだけで耐えられないのだ。

 というわけで、鈴華はいつものことながら、百華に「お願い事」をするのである。


「夜伽をするというのなら、経朱について聞かせてほしい。添い寝で会話をするくらいでも、体は温まるでしょう?」


「……かしこまりました。それが陛下の望みなら」


 百華は女帝の命令には逆らわない。それを利用しつつ、彼の「添い寝をしたい」という願望も叶える、これが妥協点といったところか。

 百華は女帝の体を抱き上げて、寝台に横たえ、自分も隣に寝そべる。


「今夜は、どのようなお話をいたしましょうか」


「経朱との関係は、幼馴染みたいなものだって前に言ってたよね」


「ええ。私は次男なので、兄上――丁狭の次には経朱と関わりが深いかと」


 鈴華には、なにか引っかかるものがあった。鈴華を「陛下」と呼ぶが、経朱のことはきちんと「経朱」として認識している。百華には、どこか認知の歪みがあるように感じられるのだ。


「百華、今日は新しい話を聞かせて」


「御意に。何のお話をいたしましょうか」


「――貴方、桃燕になにかされた?」


「――」


 百華が一瞬、機械がフリーズしたように停止した。

 その沈黙は、答えているようなものである。


「桃燕や他の側近たちにも何かされたの?」


「そ、れは……」


「答えたくないならいいけど」


「…………いえ、その」


 百華がソワソワと視線をさまよわせて、迷子のように怯えた表情を見せるのは初めてだった。

 何度か、口を開きかけて何かを言おうとしてはすぐに閉ざしてしまう。オロオロしている。いつもの百華らしくない。


「……本日はこれで失礼いたします」


「え?」


 百華は寝台を降り、深々と一礼して女帝の部屋を出ていった。こんなことは初めてだ。いつもなら添い寝して、鈴華が眠ったあとにそっと部屋を出ていくのが常なのに。鈴華はぽかんとしたまま、百華のぬくもりだけが残った寝台に取り残されていた。


 翌日、女帝が訪れたのは猟陰府である。


「アイヤー。スズカ、百華兄さんにそれは聞いちゃダメなやつだよ」


「百華に何があったのか聞かせてほしい」


「うーん。百華兄さんの名誉のために、ここは口を固く閉ざしておきたいところだけど……」


「お願い。百華を救うために、大切なことかもしれないの」


 猟陰はポリポリと頭を掻いてから、「どうせ君は拙がペラペラ喋ると思ったからわざわざここを訪れたんだろう、まったく抜け目のないお嬢さんだ」と皮肉を言ってから、ポツポツと話し始めた。


「そもそも百華兄さんが経朱と夜伽を始めたのは経朱が七歳のとき……七年前だから兄さんが十五歳のときかな。桃燕や側近たちに無理やり関係を強いられたんだよ」


「…………は?」


 鈴華は言葉に詰まってしまった。


「な、七歳の女の子にそんな……」


「君の世界の基準でもそういう反応になるか。表向きは経朱が兄さんを誘ったことになっているが、どう考えても七歳の女子が男をねやに誘うわけがないだろう。どうも桃燕はふたりの行為を眺めて酒を飲むのが趣味だったらしい。そこから百華兄さんは確実に狂ってしまっている。経朱を愛しているのは変わらないだろうが、『陛下』に対する執着と認知の歪みはそこから来ていると、拙は推測しているよ」


 ――これは、本当に私の遊んでいた乙女ゲーの世界なんだろうか?

 鈴華はめまいを覚えていた。

 こんな歪んだ設定は知らない。こんな腐りきった世界観は知らない。ゲームの説明にこんなものは書いていなかった。


「――それで、この情報で百華兄さんは救えそうかい?」


 猟陰の冷ややかで無機質な声だけが、耳を突き刺していた。


〈続く〉

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