第15話 百華と馬の世話

 これは、女帝――の中の人、鈴華が丁狭と乗馬の練習をしていたときの話である。


「今日もぼちぼち頑張るか~。それにしても、馬に乗りながら槍で獲物を刺すの難しすぎでは?」


 本来、宝菜国の後宮行事における狩りでは弓矢を使うのが正式らしいが、乗馬もおぼつかない鈴華では馬に乗りながら弓を引くなどという芸当ができるはずもなく、妥協点として槍を使うことになったのだ。それでも現代日本の一般人である鈴華には未経験の上に至難の業ではあったが。


 その頃には小さい馬ではあったが、丁狭の指南によりなんとか馬と心を通わせ、思い通りに操ることができるようになっていた。

 その馬で練習するために厩舎に向かった鈴華だったが、そこには意外な人物がいたのである。


「あれ、百華? こんなところで何してるの?」


「む、陛下。本日も乗馬の練習、励んでいらっしゃるようで」


 彼は腕いっぱいに枯れ草を抱えていた。馬の餌……だろうか。


「馬のお世話? 手伝おうか?」


「いえ、陛下のお手を汚す必要はございません」


 百華はキッパリと断ると、そのまま馬の前に枯れ草を置いた。

 馬が草を食むのを、鈴華は後ろから眺めている。


「……なにか?」


「いや? 私がこれから練習する馬、まだ餌をあげてないでしょう? 馬のお世話が終わるまではのんびり待ってるよ」


「ああ、これはとんだ失礼を……。馬を整えますので少々お待ちください」


 百華は厩舎の馬たちに餌を与え、体の埃を落とし、たてがみや胴体、尻尾に丁寧に櫛を通す。彼が馬を撫でたり声をかけながらお手入れをしているので馬たちも安心しているようだ。


「馬のお世話、好きなんだね」


 たしか、キャラ設定の趣味の項目にそんなことが書いてあったような気がする。

 百華の金色の目が鈴華に向き、静かにうなずいた。


「ええ。わたくしにとって、馬は戦における相棒でもありますし……なにより、人より動物と触れ合っている方が落ち着きますから」


 彼の言葉には、どこか陰を感じさせるものがあった。

 その美貌のせいで、彼がどれだけ人生を振り回されたか、乙女ゲーで鈴華は散々知っている。無能な女帝に嫉妬され、自害に追い込まれるバッドエンドだって存在しているのだ。

 ……それにしても、百華に夜伽までさせておいて自害させるとか、経朱はどれほど自分勝手で疑心暗鬼で臆病な人物だったのだろう。


「……どうぞ。馬の用意が整いましてございます」


 百華が女帝用の小さな馬を連れてくる。クリクリとつぶらで大きな瞳が愛らしい一頭だ。その小馬は鈴華のお気に入りでもあった。


「ねえ、撫でても大丈夫かな?」


「馬を怖がらせないように、優しく触れてみてください」


 鈴華はそっと小馬の首元を撫でる。馬は鈴華を気に入ってくれたらしく、頭を鈴華にこすりつけていた。


「ふふっ、くすぐったい……。ねえ、百華。これって馬も懐いてくれてるのかな――」


 彼の方を振り向いた時に、鈴華はびっくりして固まってしまった。

 百華は本当にミリ単位のわずかな表情の変化ではあったが、かすかに――微笑んでいたのだ。


「えっ、今笑った!? 笑ったよね!?」


「は。失礼いたしました」


「いや、怒ってない、怒ってないんだよ。むしろ嬉しい」


 鈴華の笑顔に、百華はキョトンと不思議なものを見るような目で彼女を見つめていた。


「私はね、百華の笑顔が好きなんだ。あなたの笑顔がもっと見たいんだ」


「……そうですか」


 今度はふわっとした笑みを返されて、鈴華は興奮状態であった。


「陛下が馬と戯れるお姿が微笑ましく、思わず顔に出てしまいました」


「と、尊い~……ご飯が進むぅ……」


「はい?」


「や、なんでもないです」


 その日は丁狭との乗馬の練習で、百華から離れざるを得ないのが惜しいと思ってしまった。

 そして、つやつやの毛並みになった小馬は、鈴華と一心同体になったかのように狩りで活躍したという。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る