幕間

第13話 鈴華の四皇子攻略計画

 桃燕をはじめとした悪の側近たちがいなくなり、宝玉宮および宝菜国はつかの間の平和を取り戻した。

 女帝・経朱――の中の人・桜木鈴華は、宝玉宮の執務室で仕事に追われている。

 猟陰府で役人たちが作った書類に目を通し、問題がなければ判を捺す。この書類は猟陰が既にチェックしているが、女帝もダブルチェックをする体制である。猟陰を信用していないわけではないのだが、こうしたほうが確実に女帝も法律の内容やこれから行う政策についての理解が深まるからだ。鈴華がこの世界から退場したあとも、経朱にこれを続けてもらって政治について興味を持ってもらいたいのだが、当の本人は相変わらず政治に関心がなかった。


(もう、経朱! 早く仕事を覚えてくれないと困るんですけど!)


『なぜ、妾がそんな面倒なことをしなければならぬのじゃ。面倒なことはすべて部下に任せれば良い』


(そうやって部下に任せた結果があの腐敗した国でしょうが! せっかく桃燕たちを追い出したんだから、女帝としてしゃんとしなさい!)


 鈴華の叱咤もどこ吹く風、経朱のワガママは変わることがなかった。


『そうじゃ、鈴華がずっとこの世界におれば良い。妾の体を貸すことを許す。そなたの始めた政策ならばそなたが最後まで責任を持って遂行するのが筋というものよ』


(……呆れた。自分の体まで私に丸投げ? それに私だっていつまでも一緒にはいられないよ)


 いつまでも一緒にはいられない。

 その言葉に、女帝の体の中の経朱が震えたような気がした。


『――嫌じゃ』


(経朱?)


『そなたも妾を置いていくのか。父上のように……』


 経朱の父帝は善政を敷いていたが、娘である経朱には忙しくてなかなか一緒にいられる時間を取れなかったようだ。ゲームのキャラクター設定を思い出す。

 たしか、父帝の頃から忠実に仕えていた桃燕は、父帝の死後、経朱の代になってからその邪悪な本性を表したんだったか。


 とはいえ、経朱のワガママをホイホイと聞くわけにはいかない。鈴華にだって自分の世界での生活というものがある。むしろ早く戻りたいのに、いつになったら夢から覚めるのか分からなくて不安になっていた。今向こうの自分はどうなっているのだろう。寝すぎて昏睡状態になっているのではないか? 一人暮らしだから誰も気付かない間に死んでいる可能性もないでもない。そこまで行かなくても大学を何日も休みにしていたら授業の単位が取れなくなってしまう可能性のほうが怖い。大学生にとって一番恐ろしい言葉は『留年』である。

 鈴華はなんとか経朱を説得しにかかった。


(貴女には四皇子がついているでしょう? あの人たちは信用できるよ)


『そなたに何がわかる。あの皇子たちは妾の皇位を狙っておるに違いないのだ』


 経朱が疑り深い性格ということは、この魂同居生活を続けてわかったことだ。

 しかし鈴華はそれに反論する。


(本当はそんなこと、思ってもいないくせに)


『……何?』


(だって、そうでもなければ百華を夜伽に呼んだりなんてしないでしょ?)


 経朱は初めて、その減らず口を詰まらせた。

 警戒している皇子をねやになど呼んだら暗殺してくださいと言っているようなものだ。

 つまり、少なくとも百華のことはある程度信頼をおいているのだろう。


(ひとつ聞かせて。経朱は百華のこと、好き?)


『な……』


 経朱の声が動揺で震えている。

 鈴華は黙って経朱の反応を待った。

 十秒ほどの沈黙の後、経朱は答える。


『……妾は、好きでもない相手と体を重ねたりはせぬ。たとえ桃燕でも、どんなに暴力を振るわれても相手にしなかった』


(うん、それが聞ければ充分)


 鈴華は軽やかに笑っていた。


(私が四皇子を信用できる相手だって貴女に証明するよ。約束する。きっと、このために私が呼ばれたんだ)


 彼女は、経朱を四皇子に慣れさせるために、彼らとの接触を増やそうと決意したのである。

 なにしろ、鈴華はかつてこの世界に来る直前まで乙女ゲーで四皇子と散々恋愛関係を築いた人間だ。

 その結果は残念ながらすべてバッドエンドだったのだが、それは原因のほとんどが悪役無能女帝――経朱の悪行によるものだった。

 ならば、その悪役女帝が四皇子と仲良くなってくれれば、あるいは乙女ゲーでの攻略における糸口が掴めるかもしれない。それは鈴華にとっても決して悪い話ではない。この世界のことをもっと理解して元の世界に帰ったとき、乙女ゲーを今度こそクリアして推しを――百華を幸せにしてみせる。彼女は百華の笑顔さえ見られれば、その相手が主人公でも女帝でも構わないと思い始めていた。


 もともと鈴華はこの世界の人間ではないし、乙女ゲーの世界と現実世界が交わることは永遠にない。鈴華自身が百華を手に入れることは生涯叶わないのだ。そして、女帝となった自分が百華に褒美として本来の主人公を賜わさない限り、主人公の出番はない。ならば女帝が百華を手に入れる世界線もありなのでは?

 鈴華にとっては女帝もすべてが悪とは思えなくなっていたのである。あるいはそれを『同情』というのかもしれないが。


 さて、まずは女帝・経朱として、四皇子の誰から攻略していこうか。

 こう考えると、女帝視点から乙女ゲーをしているようで新鮮な気持ちだ。純粋に楽しい。

 まずは……そうだな、いきなり心用は攻略難易度が高すぎる。女帝に優しく接してくれる皇子から徐々に外堀を埋めていくべきだろう。

 鈴華はこういうとき、とても計算高く行動する。乙女ゲーで培われた知識と選択肢を見たときの勘や選定眼には自信があった。いや、この世界には選択肢なんて現れないのだが。


 というわけで、彼女はまず長男の最丁狭から仲良くなっていこうと彼の役場、丁狭府を訪れた。

 丁狭府は主に軍事を担当する。これは百華府も同様だが、丁狭府にはもうひとつの役割がある。それが宝玉宮や珊瑚宮などの皇族が関わる行事の進行や公務の日程などの管理である。現代日本でいう宮内庁のような役割だろうか。ただし、そのお役目はつい最近まで女帝の側近に奪われていたようで、女帝の舟あそびなども女帝と側近の内輪だけで行われていたようだ。側近たちはそういった重要な仕事を四皇子から取り上げることで、彼らを女帝に近づけないようにと涙ぐましい努力をしていたのだろうと鈴華は想像した。


 丁狭府に女帝が現れると、やはり役場の中には緊張が走っていた。前もってアポイントメントを取っているから、丁狭府で働く役人や兵士たちにも彼女がやってくることは通達されているのだが、やはり普段会う機会などない、やんごとなき身分の者がおいでになることはちょっとした一大事件なのだろう。特に兵士たちは先日の桃燕たちが反逆を企てた件で女帝の中に別人がいるなどという不可思議な現象を知っているのである。表立ってひそひそ話をすることはないが、女帝が去ったあとにこの話が伝わることになるだろう。人の口に戸は立てられない。


「陛下、ご足労いただき誠にありがとうございます」


 丁狭はうやうやしく一礼すると、すぐに女帝を自分の執務室に通してくれた。

 彼自ら丁寧にお茶を淹れてくれて、執務室の中にはお茶の芳香が広がっていく。それがとても心地よい。


「それで、ご用件は……先日おっしゃっていた狩りの件でしょうか」


「はい。少し相談したいことがあって……」


 宝菜国では皇族がたしなみとして狩りをするのが伝統行事となっている。猟犬や弓矢を使い、狐やうさぎ、鳥などの獲物を捕まえる皇族の遊びが貴族の間にも伝播しているらしい。もちろん、狩りには危険が伴うのでお付きの者の補助が必要だ。女帝の場合、それが本来四皇子の務める役割だったのだが、それも側近たちに奪われた挙げ句、彼らも危険な目に遭いたくないので長らく狩りはしてこなかった。なんでも、一度狩りをしたときに側近のひとりがイノシシに追いかけ回されたとかなんとか。因果応報ってこういうときに言うんだなと思った。


「相談、とは?」


「その、ですね……私は馬に乗った経験がなくて……」


「ああ、なるほど……」


 鈴華自身には皇族として、さらには女帝としての教養が足りていない。日本人は高い識字率を誇るので文字の読み書きはできるところは宝菜国の平民と比較すれば教養レベルは高い方なのだろう(なお、この乙女ゲーは中華ファンタジーだが、鈴華の頭の中では不思議なことに日本語として読むことが出来た)が、彼女にもできないことはある。


 たとえば、乗馬。


 鈴華は生まれてこのかた馬に乗ったことがない。いや、以前の経朱帝爆走事件で丁狭の馬に乗せてもらったことはあるが、あのときはパニック状態だったし、狩りの際にはひとりで馬に乗れるようにならなければならない。

 そこで、馬の名手である丁狭に指南を依頼しに来た、というわけなのだ。


「かしこまりました。それでは、馬に乗る練習をしましょうか」


 丁狭は優しい微笑みを向けてくれる。鈴華の最推しは百華とはいえ、丁狭の優しさにも弱い。

 物腰は柔らかく、誰に対しても丁寧な態度を心がける、皇子としては理想的な人物である。……まあ、馬に乗ると人が変わってしまうのはともかくとして。


 そういうわけで、鈴華は丁狭と一緒に乗馬の訓練をすることになるのであった。


〈続く〉

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