第12話 孤独な女帝

 桃燕を筆頭にした悪しき心を持った側近たちが国外追放されてから、女帝――の中の人、鈴華はずいぶん動きやすくなった。

 なにせ、ああしろこうしろとうるさく言われることもないし、桃燕からの監視の目はとても居心地が悪いものだったのだ。おそらく、女帝のことを性的な目で見ていたのかもしれないと思った。


 さて、悪の側近たちがいなくなったのはいいが、鈴華にはまだまだ課題が山積みである。

 まず、この事件の発端になったある出来事について、経朱に聞いてみなければいけない。


(経朱、お話があります)


『なんじゃ、改まって』


(経朱と百華は、その……そういう仲なの?)


 そう、この事件が起きた発端は、そもそも経朱と百華が夜伽をしていたなどという、鈴華にとってはかなりショッキングな事実なのだ。そもそもこの二人がそんなただれた関係になければ、心用が桃燕に惑わされることも激怒することもなかったと思う。


『羨ましいか?』


(は?)


 勝ち誇ったような経朱の口調に、鈴華は思わずトゲのある反応をしてしまった。


『そなた、百華を好いているのであろう? そなたの考えることは妾には筒抜けじゃからのう。愛する男が既に奪われていた気分はどうじゃ?』


(最悪だよ。そもそもあなた達、同じ皇族じゃない。血が繋がっているのにおぞましい)


 いや、経朱の宝玉宮が本家で四皇子の珊瑚宮が分家なのは知っているので、いわばいとこ同士ということになるのだろうが、それでも乙女ゲーの主人公が知る由もないところで攻略対象がそんな目に遭っていたと思うと嫌悪感はある。国や時代が現代日本とは違うので、倫理観もずいぶん異なるのかもしれないが……。


(しかも百華に夜のお相手をさせるなんて最低。どうせ無理やりなんでしょ)


『いや? 最初に誘ったのは妾じゃが、そのあとは頼まずともときどき来るようになった』


(……嘘……)


 経朱の言葉に、鈴華は愕然とする。

 百華が、自ら望んで女帝の夜伽相手をしていたというのか。

 じゃあ、乙女ゲーの主人公の立ち位置は何だったのか?

 主人公に向かって、あんなに優しい微笑みを浮かべておいて、百華にとっては二番目だったということなのか?


(――嘘だ、そんなの……!)


『嘘だと思うなら、百華に聞いてみればよかろう。それにな、鈴華。百華はあの夜、そなたが要求していないのに自主的に部屋に来ていたのを忘れたわけではあるまい?』


 ……そうだ。百華は「今夜、部屋に伺います」と、あのデートの後に言っていたのを思い出す。そのあと、キスされて夜伽未遂になって……。

 鈴華はすっかり心の中がグチャグチャになってしまった。


(……経朱。しばらく一人にさせて)


『魂が繋がっている状態で、一人になるのは不可能じゃと思うんじゃが……。まあ、そなたの好きにするが良い』


 鈴華は女帝の私室を飛び出し、百華を探しに向かった。

 彼の役場、『百華府』に行ってみると、探し人は案外すぐに見つかった。

 執務室で百華と一緒に話している相手は心用か。こちらを見た途端、「ゲッ」と言いたげに露骨に嫌な顔をされる。


「百華、心用、おはよう」


「おはようございます、陛下。ご機嫌麗しゅう」


 百華はうやうやしく一礼した。彼は鈴華を経朱と同等に扱うことにしたようだ。

 結局、あの側近たちの反逆事件のあとも、鈴華は女帝として振る舞うことになったのである。

 幸い、都や宝菜国の人間たちには女帝が別人であることはバレていないし、百華や丁狭の抱える兵士たちは「女帝が誰であっても善政を敷いてくれればどっちでもいい」という考えのものが多かった。経朱にとっては複雑なところだろうが、ひとまず問題は解決したように思う。

 百華も鈴華を陛下同然に扱っていた。心用も、渋々ではあるが、女帝陛下に敬意を示すため、一礼を返す。


「心用、百華、本当にごめんなさい」


「……何に対して謝ってやがんだ?」


 心用は警戒を解くことはない。いくら中身が違うとしても、彼にとっては忌むべき女帝であり、中身に対しても下民だと思っている。


「経朱が百華と夜伽する関係だったなんて知らなかったけど、あなたを傷つけたことには変わりない。それを謝りたかった。それから、百華はもう夜伽に来なくていい」


「夜伽はわたくしが自ら望んで行っていたことです。それとも、もうわたくしは不要ということでしょうか?」


「そういうわけじゃないけど……」


 不要かどうか、と聞かれると困ってしまう。

 もしまた夜伽を続けるとしたら、相手は鈴華ということになってしまうのだが、百華はそれでいいんだろうか……? この男の感情や思考は読み取りづらい。


「わたくしは陛下を敬愛しております。たとえ陛下の玩具でしかないとしても、わたくしは貴女様を守り続けます」


 彼はそっと女帝の手を取り、情熱的な内容を淡々と語る。それがかえって真剣に言っているのだと伝わってきて、顔が熱くなった。


「百華兄ィを玩具扱いしたら兄貴が許しても俺が許さねえけどな」


 一方の心用は女帝をにらみつけている。おお、怖い怖い。

 彼は女帝を決して許さないが、中身が別人ということで、今回はひとまず矛を収めてくれるらしい。鈴華は密かに安堵した。


「でも、経朱はそもそもなんで百華を夜伽になんて誘ったんだろう……?」


「こればかりは本人に尋ねてみないと真相はわからないと思いますが……おそらく、寂しかったんだと思いますよ」


 百華の言葉に、鈴華は首を傾げた。


「陛下は孤独なお方です。侍女や側近に囲まれていても、皇帝や女帝にとって対等な人物というのは存在していないものです。他の国の皇帝にしても、相手の国に優劣をつけてどちらが優れた皇帝か常に争っている。経朱はわずか十四歳で女帝という地位についたのですから、その重圧は計り知れないでしょう。宝菜国に何かあれば責任はすべて自分に降りかかる。ですから、あの御方は女帝の仕事も責任も投げ出して遊び呆けていた」


「しょうもねえ女帝サマだろ?」


 心用は笑うが、正直なところ取り巻きと一緒に都を遊び歩いている彼にだけは言われたくない。指摘はしないけど。


「そんな孤独で寂しそうな彼女の心を埋めて癒そうとしたら……その、こんな仲に……」


 百華はそっと目を伏せる。耳が赤いので気恥ずかしいのだろうなと思った。


「孤独な女帝、か……」


 鈴華はなんとなく納得したような気がする。納得したからと言って許せるような内容でもないが。


(そっか、貴女はずっと、寂しかったんだね)


 心の中でそう話しかけても、経朱は何の反応も返さなかった。


「そういえばよぉ、経朱――いや、この場合は鈴華なのか? なんでお前の龍は突然成長したんだろうな?」


 心用は不思議そうに首を傾げた。

 たしかに、それは鈴華も気になっていたところだった。


「そうだな、いくつか可能性は考えられるが……生存本能が自らの命の危険を察知して龍を成長させた場合。あるいは龍の宿主が成長した場合」


「宿主が成長した場合って? あのとき経朱の誕生日だったとか急に身長が伸びたわけでもないでしょ?」


 百華の言葉の真意がわからず、鈴華にとってはますます不思議だった。


「成長というのは、肉体の話だけではありません。心の成長というものもあるのです。それが正の面であれ、負の面であれ」


 負の面で龍を成長させたという最たる例は心用のことだろうな、と思ったが、百華も鈴華も口には出さなかった。本人も気づいていない様子なので、知らぬが花というものであろう。


「陛下はあのとき、何かを守りたい、あるいは桃燕をどうしても許せないと強く念じたことで龍が変貌したのではないかと、わたくしは考えております」


 何かを守りたい気持ち。

 思い当たるのは、頬を鞭で叩かれ、ミミズ腫れのついた百華の顔であった。

 あのときの頭に血がのぼる心地を、今でも覚えている。


「そういえば、顔はもう大丈夫?」


「ええ、おかげさまで。確認してみますか?」


 百華は鈴華の手を取り、自らの頬に当てる。

 鈴華はその行動に思わず「ピャッ」と悲鳴をあげた。


「ハハッ、なんだよピャッて」


 心用が思わず噴き出すが、鈴華はそれどころではない。


「でっでで殿下、急に積極的になりましたね……!?」


「『殿下』ではなく『百華』とお呼びください、陛下」


 百華の態度が急に甘々になったことにも動揺が隠せないが、彼があくまでも「経朱」しか見ていないことに、一抹の寂しさを覚えた鈴華であった。


〈続く〉

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