第2話 目が覚めたら悪役無能女帝になっていた

 ある朝、目を覚ますと知らない部屋にいた。

「うーん……」と伸びをして、目を開けた時に鈴華はそれに気づいたのである。

 天蓋付きのベッドは木製で、ラーメンのどんぶりに書かれているような中華風のぐるぐる模様や龍の彫刻が彫られているのだ。

 部屋の中の調度品も、金細工が散りばめられ、いいお値段がしそうな、かなり趣向を凝らしたもののようだった。


「は? どこ、ここ……?」


 彼女はたしかに小さなアパートに帰って、ワンルームにせんべい布団を敷いて寝ていたはずなのに、アパートとは似ても似つかない、広大で豪奢な部屋。

 さらに、戸惑う彼女を混乱の渦に叩き込むように、部屋に知らない女の人が入ってくる。


「陛下、おはようございます。朝の支度を始めます」


「え? ヘイカ……?」


 次々と女の人が入ってきて、鈴華はあっという間に着替えさせられてしまう。

 服を見下ろすと、やはり中華風の、まるで王様が着ていそうな豪華な衣装であった。

 ここら辺で、彼女は(あ、これ夢だな)と気づいた。

 実は鈴華は夢を自在に操る明晰夢めいせきむというものに興味があり、密かに練習していたのだ。

 夢だとわかった途端、頭の中に情報が流れ込んでくるのを感じた。

 彼女が今いるこの世界は、例の乙女ゲーの世界。鈴華は今、あの憎き悪役無能女帝の体に憑依している。


 ――とんでもないことになってないか?

 夢だからか、彼女はその情報をすんなりと受け入れ、わりと冷静に状況を観察できるようになっていた。


 着替えが終わると、今度は男たちが部屋に入ってくる。


「陛下、おはようございます。本日も我々が陛下をお支えいたしますので、陛下は我々の言う通りにしてくださいませね?」


 鈴華は媚びを売るような笑みを浮かべて手揉みをする男たちの顔を見て、どこかで見覚えがあると思い、黙ってじっと目を凝らす。

 そして、ここで彼女は相手の正体に気づき、ようやく腹を立てて叫ぶのだ。


「アンタ達、女帝を傀儡にして操ってる側近たちじゃん!」


 女帝を幼い頃から教育し、残忍な性格へとねじ曲げて、さらには傀儡にすることで民たちの怒りを女帝ひとりに向けさせた諸悪の根源たる者たち。

 ある意味、女帝以上にコイツらさえ存在しなければ、と思うほど憎々しい奴らである。


「だーれがアンタ達の言うことなんか聞くもんか!」


「へ、陛下? いったいどうなされたので?」


「おい、なんだかいつもと調子が……」


 側近たちは当然困惑していた。今まで言いなりだった女帝が突然こちらに牙をむいたのだから無理もない。


「おやおや、陛下……。いけませんなァ、そんなワガママをおっしゃるのは……」


 戸惑う側近たちとは対照的に、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら鞭を持っているスキンヘッドの大男がいる。側近たちの中でも親玉のような存在――桃燕とうえんという名の男だ。


「これはお仕置きが必要ですかな? 朝から悪い子なのはいけませんねェ」


「はあ? 私に楯突いて無事でいられると思ってるわけ?」


「フハハ、龍も顕現させられぬ無能女帝が言いよるわ」


 桃燕には女帝に対しての敬意はない。

 彼にとっては女帝は操り人形でしかないのだ。

 その人形が自分に反抗するのなら、迷わず鞭で打つのだろう。


(コイツ、ムカつく〜!)


 しかし、他の側近が彼女を羽交い締めにして、動けない。側近たちも桃燕も、不気味なほどニタニタと笑っている。側近たちを振りほどこうとしても女の力ではびくともしない。

 鞭を両手でピンと張らせた桃燕が笑いながらゆっくりと歩いてこちらに迫ってくる。

 これから夢とはいえ痛みが襲ってくると思うと、思わず目を閉じてしまった。


 だが、ここで異変が起こる。

 鈴華の体が金色に輝き出したのだ。


「な、なんだ!? 陛下の体が……!」


「これはまさか……龍が顕現する!? なんで今更……!」


 彼女は自分の体が熱くなっていくのを感じていた。

 思わず背中を逸らすと、心臓のある位置から何かが出現するのを感じる。


 それは、金色と銀色の、二体の龍だった。

 まだ幼体らしく、どちらの龍も、体は小さく体長も鈴華の片腕ほどしかないが、双子の龍はまるで女帝の番犬のように彼女を守ろうと牙をむき出して側近たちに唸り声を発している。金と銀に輝く鱗は、それ自体が光を放っているようで、神聖な雰囲気すら感じられる。

 その威光に側近たちが恐れおののき、たじろいでいるのが、羽交い締めにされている腕越しにも伝わってきた。


「これは……」


 彼女はゲームをやり込んで、この摩訶不思議な現象についてよく知っていた。

 この乙女ゲーでは皇族のみが龍を使役できる。

 しかし、女帝だけは龍を使役どころか顕現すらできず、陰で「無能女帝」と笑われていたのだ。

 それにキレた女帝が、やがては恐怖政治を始めることになるのだが……。

 少なくとも鈴華がゲームをプレイしたシナリオの中で、女帝が龍を顕現させることは最後までなかった。いつまでたっても自らの能力を発揮できず笑いものになっていた女帝はヤケになり、めちゃくちゃな政治をして結局国が滅びる運命を辿るはずだったのに。


「龍が……二体だと!?」


「ありえない、今までの歴史で例を見ないことだぞ!」


「ヒィイ、お許しください陛下!」


 側近たちが彼女から離れて部屋の床にひれ伏した。

 ひとりだけ面白くなさそうな顔をする桃燕だったが、渋々といった様子で鞭を腰にしまい込む。

 皇族の龍というのは、それだけで人々の畏怖の対象になるのだ。

 ひとまず、これで側近に殺されることはあるまい。

 鈴華は心の中でそっと胸を撫で下ろした。


「もういいから、早く出ていって。さもないと……」


 金と銀の双子龍が恐ろしい声で吠えたのを聞いて、側近たちは一目散に部屋から逃げ出したのである。


「ふう……」


 とりあえず一安心したが、それにしてもこの夢、いったいいつ醒めるんだろう。


 ベッドの端に腰掛けると、さらに妙なことが起こった。


『――そなた、なかなかやるではないか。桃燕をあんな苦々しい顔にさせるとは、わらわも気分が良い』


「え、誰?」


 部屋を見回しても、着替えを手伝ってくれた女の人たちも側近たちも既に部屋から出たあとだ。この部屋には鈴華以外、もう人はいないはず。それに、その声は頭の中に響いているような感覚がある。


『だが、そろそろ妾に体を返してはもらえぬかの? 龍も顕現できたことじゃし、もう誰も妾を「無能」などとは呼ぶまい。誰もが妾を敬う素晴らしい世界を享受したいのじゃ』


 鈴華は確信した。間違いない。

 ――これ、本物の女帝だ。


「悪いけど、貴女にこの体を返すわけにはいかない。貴女が恐怖政治を続けたおかげで、私の推しは何度も死んでるの。これからは私が女帝になって政治を取り仕切る」


『はぁ~? ふざけるのも大概にせよ。これは妾の体ぞ』


「知らない。貴女が改心したら返してあげる。けど、しばらくはこのまま同じ体の中で共同生活よ」


『憎たらしい小娘じゃのう……まあ良い。そなたの名を聞かせよ』


「桜木鈴華」


『スズカ……聞き馴染みのない名前じゃ。異邦人か』


「そうだね。あと、貴女の名前はよく知ってるから、自己紹介はいらないよ」


 ――宝玉宮ほうぎょくきゅう経朱帝けいしゅてい

 それこそが、この国において史上最悪の悪役無能女帝の名である。


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