本編①

第3話 女帝と四皇子

 これまで龍を顕現させられずに十四歳を迎えていた『悪役無能女帝』――宝玉宮経朱帝が初めて龍を、それも二体も顕現させたということで、彼女を祝う宴が催されることになった。


 経朱の近くでは、あの側近たちが、朝の出来事など何もなかったかのような顔で女帝に媚を売っている。その中でもひときわ目立つのが側近たちの中でも親分的存在――桃燕であろう。

 百九十センチ、九十キロという筋骨隆々の巨体は他の側近たちに比べて頭一つ分以上高く、スキンヘッドで強面なのも相まって近くに立つだけで人に威圧感を与える男だった。

 その桃燕が女帝の近くに常に侍っているため、女帝の中に宿り、身体の操縦権を得ている鈴華にとっては鬱陶しいことこの上ない。

 なぜかというと、この宴には乙女ゲーの攻略対象――四皇子も参加しているからだ。


 鈴華は上座でご馳走が卓に並べられるのを横目に、そっと四皇子のほうを見やる。

 上座から順に、まずは長男の最丁狭さいていきょう。二十五歳。穏やかで優しい性格のイケメンだ。日本人形のように切りそろえられたパッツンおかっぱ頭は、光が当たると美しい青色を映す、艷やかでさらさらとした黒髪。戦……というか、馬に乗ると人が変わったように勇ましくなるが、普段は主人公を愛情で包み込むように丁寧に接してくれる、まさに皇子と呼ぶにふさわしい人格者である。四皇子の長男ゆえに経朱とは一番付き合いが長く、いわゆる幼馴染に近い、とかオフィシャルファンブックのキャラ設定に書いてあった気がする。


 次に、次男の最百華さいひゃっか。二十二歳。鈴華がゲームの中で一番好きなキャラ、いわゆる『推し』というやつだ。高潔な武人で、無表情ではあるが礼儀正しい。四皇子の中でも『光り輝く顔』ともてはやされ、一番の美貌とされていた。長い黒髪をポニーテールのように後ろで一つに括っており、絹のような髪は窓から差し込む光を紫色に反射しており、ため息が出るほど端麗である。彼が戦功を挙げた報奨として乙女ゲーの主人公が贈られたことから、このゲームは始まるのだった。


(ねえ、経朱。百華には戦の報奨に美女を与えたりした?)


 鈴華は心のなかで、経朱に向かって声をかける。


『フン、妾が百華に美女なぞ与えるわけがなかろう』


 経朱が不機嫌そうに鼻を鳴らす音が頭の中に響いた。

 つまりは、この時点では百華は美女である主人公にはまだ出会っていない世界線らしい。

 このまま美女を報奨として与えないほうがいいだろうな、と鈴華は判断した。これ以上登場人物を増やすと面倒なことになりそうだ。まだ紹介の途中だが、鈴華に経朱、側近たちに桃燕、さらに四皇子まで加わるとなると、主人公がいなくてもかなり複雑な人間関係がすでに形成されている。女帝サイドがこんなに混沌とした相関図になっているとは思わなかった。


 さて、四皇子の紹介に戻ろう。

 百華の隣には三男の最猟陰さいりょういん。十八歳。彼は学者肌で変わり者であった。本の虫で、常に書物を持ち歩く。この宴会の場にも当然のように傍らに本を置いていた。視力が低いらしくメガネをかけていて、光を反射すると緑色に光る傷んだ黒髪を伸ばしっぱなしにしている。さすがに女帝の御前ではある程度髪を整えてきたようだが、いつもはボサボサの寝癖もそのままにしている、ズボラというか自らの容姿に頓着がない性格だった。きちんと身だしなみを整えれば、かなりの美丈夫ではあるのだが……。幼い頃から本を好み、外で遊ぶよりも屋内での読書を選ぶタイプ。

 四皇子は将軍としてそれぞれ軍を率いているが、猟陰だけは語学堪能で学問を修めている頭脳派だ。それゆえに、彼だけが軍ではなく学者を率いて政府の役人となっている。乙女ゲーにおいてはインドア派な彼を外に引っ張り出してデートするなど、少し攻略に苦労することになるのだが、それはまた別の話。


 そして、最後に末っ子四男の最心用さいしんよう。十五歳。彼も彼でまた曲者だ。

 他の兄弟は黒髪であるが、彼だけは髪を染めているのか、金髪で耳にピアスも開けている。おまけに色白の兄弟たちに比べて、肌も日焼けしているのか浅黒い。ツンツンとした猫っ毛で、四皇子の中で明らかに異色であったが、兄弟仲はいいらしい。彼らが兄弟だと示す共通点は、月のような金色の目であった。なぜ中華なのに目が金色なのか? ゲームだからしょうがないね……。

 粗暴な言動が目立ち、取り巻きの男たちとつるんで都で遊び回っている、いわゆるヤンキーというか不良少年というか……といった感じ。

 しかし、兄たち、特に最百華を尊敬しており、口を開けば兄の話題ばかり出てきて攻略難易度が一番高いかもしれない。

 そして、彼は女帝――経朱を忌み嫌っている。今もガツガツと食事をしながら眉間にしわを寄せており、この宴会が気に食わないことは明白だった。単にご馳走を食べるためだけに来たのかもしれない。


「陛下、このたびは龍のご顕現、誠におめでとうございます」


 丁狭が深々と頭を垂れる。


「我々珊瑚宮も、謹んでお慶び申し上げます」


「ありがとう」


 鈴華が声をかけると、丁狭は驚いたようにガバッと顔を上げた。目を丸くしているのが見える。

 ――普段の女帝の態度と違うんだろうな。

 鈴華は少し困ってしまった。乙女ゲーで女帝は悪役、敵としてしか見ていなかったから、彼女の普段の対応なんてろくすっぽ覚えていない。

 それに、「妾」なんて自分の柄ではないし、演技をしてもすぐに見破られそうだ。どうしよう。


「へっ、女帝サマは随分態度が丸くなったじゃねえか」


 心用が頬に米粒をつけながら女帝を嘲笑った。

 その言葉には、明らかにトゲがある。


「これで『無能女帝』なんて呼ばれなくて済むもんな? よかったでちゅねぇ~」


「よせ、心用」


 弟の無礼を諌めたのは百華であった。


「百華ィ、だってよぉ」


「陛下の御前である、控えろ」


 無表情のまま淡々と注意する百華に、心用は不服そうに口をつぐんで、またガツガツと肉を食べ始めた。彼は百華には絶対に逆らわない。猟陰は片眉を上げて、女帝を観察するように黙って見つめているだけだ。

 ……百華は諌めてくれたが、彼も女帝にあまりいい感情は抱いていないのではないかと思うほど無愛想である。

 宴席だというのに、その空気は和気あいあいとした温かいものではない。


(経朱はこんな殺伐とした空気を日頃から浴びているんだ……まあ、自業自得だけど)


『聞こえておるぞ』


 どうも、独り言のように考えることもすべて経朱に筒抜けになってしまうらしい。

 そんな気まずく居心地の悪い空気のまま、宴会を終えた女帝は最後に礼の挨拶をすることになった。


「ええと……今まですまなかった」


 ぺこりと頭を下げる女帝に、側近たちも四皇子もぎょっと目を見張っている。

 鈴華はなんとか女帝の演技をしなければと、言葉を続けた。


「龍を顕現して、今までの政治が間違っていたと妾はようやく気付いたのじゃ。これからは善政を敷くと約束しよう。四皇子よ、妾に手を貸してもらえんじゃろうか?」


『おい! 妾の身体を使って何を勝手なことを――!』


 鈴華は経朱の声を無視して、四皇子に真っ直ぐな視線を向ける。

 四皇子は女帝の態度が豹変したことに戸惑っているようだった。


「な、なんだよ、この女、急に気色悪いな……。拾い食いでもしたんじゃねえのか」


 心用は嫌悪感を隠そうともしない。心の底から気味悪がっている。今まで女帝がやってきたことと、この態度のギャップを見れば至極当然のことではあろう。

 側近たちも慌てて女帝の言葉を取り下げさせようとするが、発言を取り消す方法が浮かばないのか、せわしなくアワアワしている。

 丁狭だけが、少し緊張の緩んだ目で、優しく女帝を見つめていた。


「……陛下。その御言葉に嘘はございませんか?」


「妾にできる、最大限の努力をしよう」


「丁狭兄ィ、こいつを信じていいのか? こいつが今までしてきた所業を思い出してみろよ」


 心用は女帝に対して指を差している。


「さ、最心用殿下! 陛下に対して不敬でございまするぞ!」


 さすがに側近が止めに入るが、鈴華は心用を見つめた。


「今は信じてもらえぬかもしれんが、妾には救いたい者がおるのじゃ、心用――」


「俺の名を気安く呼ぶんじゃねえ、ろくでなしのクソ女帝が!」


 心用は激昂げきこうして、ドスドスと大きな足音を立てて宝玉宮を出て行ってしまった。


「申し訳ございません、陛下。心用にはよく言って聞かせますので、何卒ご容赦を」


「いや……」


 深々と謝罪する百華に、女帝は気にしていないと答えた。

 女帝が部屋に帰ったあとは、もう側近たちによるお説教の嵐であった。


「陛下、御身おんみをもっと大切になさってくださいませ」


「陛下は偉大なる皇帝であらせられるのですぞ。そう簡単に頭を下げるなどなりませぬ」


 うるさい側近たちをハイハイといなして部屋から追い出したあと、ふうとため息をつく。

 ――どうにも、前途多難である。


『ため息をつきたいのは妾のほうじゃ』


 不満そうな女帝の声がする。


『鈴華、そなた何を考えておる。妾の権威をそんなに地に落としたいのか』


「権威を地に落としたのは貴女自身でしょう。善政を敷けば民や皇子たちの信頼を得られるし、いいことじゃない」


 そう、鈴華は女帝に成り代わり、善政で自分の推し――百華を今度こそ救おうと心に決めていたのである。


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