第10話

 もちろん、マイアは己の仕事を忘れていたわけではなかった。


 街の急激な荒廃が神界のあずかり知らぬところで起きたことならば、調査に神員じんいんを寄越して貰う必要がある。もし、この現象が他の地域でも起きているとしたら、放っておくわけにはいかない。だが、神界への連絡手段が無いのだ。何故、フウガだけが取り残されているのかも分からない。

 それだけではない。やはりここは「死の砂漠」であるという可能性が、どうしても捨てきれないのだ。だとしたら、何故フウガはこの地を「楽園の砂漠」と呼んでいるのかが分からない。彼が嘘をついているようにも見えない。

 どう考えてみても、フウガの存在は浮いている。自分がただの人間になってしまった理由も不明のままだ。


 根拠のない、ただの思い込みかもしれない――だが、もしかしたら、フウガの記憶が全ての鍵となっているのでは。

 ならば、彼に同行するのは無駄にならない。


 考えに沈むマイアとは反対に、フウガの顔が晴れた。


「本当か! よかった、ありがとう! それじゃあ、一度大通りまで戻ろう」


 既に行く先を決めているらしく、フウガは足取り軽く歩き出した。

 やがてフウガは一軒の小さな建物の前で、後ろを歩くマイアを振り返った。


「さて、ここは服屋です! マイアの服は、やっぱり砂漠向きじゃないだろ。だから、ここで服を調達したかったんだ」


 角灯に照らされた店内は埃っぽく、がらんとしている。手分けして店中を漁り、やっと店の奥の棚の下に置かれていた行李から、乱雑に仕舞われた商品を見つけた……売れ残りなのか、正直、どれもパッとしない。


「これしかないな……ま、いっか! 着る分には問題なさそうだし。あ、履物も残ってるぞ。良かったな」

「……埃っぽいことを差っ引いても、かなり斬新よ、これ。赤の地に、緑色の斑模様って……えぇぇ……こっちには、何だか落書きみたいな柄が描いてあるわ……これは何? 動物?」

「西の山にこんな色のトカゲが居るぞ。外敵から身を護る為に、あえて凄い色してるんだってさ」

「じゃあ、こっちの変わった花柄? のは、貴方が着たらいいわ」

「いや、俺、着替える必要ないし。大きさも合わないし。そんな柄嫌だし」

「ちょっと!」

「大丈夫大丈夫、何を着たってマイアはマイアなんだから。俺は外で待ってるぞ」


 店を後にするフウガの背に溜息を吐き、マイアは念の為に店内をもう一周した。結局、他に商品を見つけることは出来ず、仕方なくその中でも幾分かましに見えるものに着替え、代金を行李に置いた時だ。


(あら? どうして私の服が無くなっているの?)


 たった今脱いだはずのマイアの服が消えていた。角灯をかざし、薄暗い店内の隅から隅まで探したが、


(やっぱり見当たらない……本当に、おかしなことばかり)


 あまり連れを待たせるのも気が引け、服探しを中断して店を出た。こちらに背を向け、街を眺めるフウガに、


「……着替えました……」

「うん、素敵だ」

「こっちを見てから言って頂戴。本当にそう思っているなら、貴方の感性を疑わざるをえないわ」

「あれ? 自分の服は?」

「よく分かりませんが、無くなっていました」

「放っておいていいのか?」

「しかたありません。この服の代金は、言われた通り行李に置いておきました。貴方のお金を使わせてしまってごめんなさいね。でも、何故お金を置いておく必要が?」

「もしかしたら、店主が戻って来るかもしれないから、念の為な」


 フウガは大通りを南に向かって歩き出した。


「砂漠に戻る前に、何故こうなってしまったのか、もっと街を調べなくていいの?」

「うちの店も服屋も、商品はほとんど残っていなかっただろ? 他もそうだった」

 

 マイアが着替えている間、フウガは民家や他の店も軽く覗いて回ったらしい。

 どこにも人やカームの暴れた痕跡や死体はなく、それは、皆が計画的に街を出ていったことを意味していた。


「だからおじさん一家も、きっと無事でいる筈だ。それに、何かを焼いたりした跡もないし、おかしな臭いもしていない。少なくとも、流行り病や盗賊団の心配はしなくて良さそうだ。念の為、井戸水も溜まり水も飲んじゃ駄目だぞ。喉が乾いたら、暫くはルビアの実でしのごう」


 だが、井戸水で体を壊す心配は杞憂に終わった。四か所あるどの井戸も涸れていたのだ。

 フウガは覗き込んでいた井戸から顔を上げ、


「まあ、『楽園』に行けば水の補給は出来る。節約すれば、何とかもつだろう……どうした?」

「いいえ、何でも。さあ行きましょう」


 軽く肩を竦め、再び歩き出したフウガの背を、マイアは何とも言えない眼差しで眺めた。

 フウガの記憶が完全に戻ったわけではなさそうだったが、塀の抜け穴を知っていたことや、街に詳しい様子から、彼がここで暮らしていたのは間違いないのだろう。

 だが。

 街の惨状を目にした時はそれなりに衝撃を受けていたのに、もういつもの……マイアの知るフウガに戻っている。まるで他人事の様に、変わり果てた故郷を受け入れる。自分だけ置いてけぼりにされたのかもしれないというのに、人間とは、そんなにあっさりと頭を切り替えられるものなのだろうか。


(分からない)


 それが当たり前なのか、異常な事なのか判別できる程、マイアは人間のことを知らない。

 フウガの背中からは、彼が今どんな表情をしているのか、推し量ることは出来ないが。


(私はフウガを信じます。きっと、貴方の無くした記憶が戻れば、全てがはっきりするわ)


  *

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る