第11話

 夜の砂の海を進む、角灯のぼんやりとした明かりに照らされた二つの影。


 街を出てから、三日程が経っていた。

 夜の移動は安全とは言えないが、それでも先を急ぎたい……フウガがそうしたいと言うのなら、マイアに異論はない。昼間は日陰を作って休み、夕刻から明け方まで、時折休憩を挟みながら、彼等は歩き続けた。


 上空には砂が舞っているのだろう、夜空に瞬く星の姿は殆ど見えないが、輪郭のぼやけた月の光がうっすらと地を照らしている。それぞれが手に下げた角灯の明かりもあり、足元は思いの外危なげない。

 この頃には、マイアもどうにか砂地の歩き方のコツを掴み、歩きながら話す余裕も出て来ていた。


「人間は、そこから見える星の位置なんかで方角を知ると聞いたわ。けど、この調子じゃその手段は使えそうもないわね。どうして貴方は迷わないの?」

「確かにそれも一つの手段だろうけど、今は風向きと音で判断してる。だいたい、夜に移動するとも限らないしな。昼なら影の長さとか向きなんかで……って言うか、そもそも俺、方角を見失ったことなんかないぞ。マイアは違うのか」

「今のこの身体では、方角なんてさっぱりわからないわ。それとも、私だけ特殊なのかしら」

「そういや、普段真面目でしっかり者なのに偶におっちょこちょいな子は、モテるらしいぞ」

「何が言いたいの?」

「単なる世間話だよ。俺、変な事言ったか?」


 笑顔を向けるフウガに、マイアはむくれて、


「本当に貴方に悪気が無いのか、疑わしく思えて来たわ。それより、『楽園』とやらにはどれくらいで着く予定なの?」

「この調子なら、明日中には着く筈だ。疲れたか?」


 マイアを気遣いながら答えるフウガは、本当にいつも通りだ。


「大丈夫よ。それより、街の事はもういいの?」

「考えてもしょうがないことは考えない。今考えなきゃいけないのは、『楽園』までの行き方だ」


 それより、マイアの暮らしてた森とやらの話を聞かせてよ、ここからどれ位遠いんだ、どんな草が生えてて、どんな生き物が居るんだ……フウガが、マイアの話をねだる。マイアも饒舌になっていた。


「正確な距離は解らないけど、空を飛んでもここから何日か掛かる位は離れているわね。もう何十年も帰ってないけど、きっと今も変わらず緑の美しい、穏やかな……」

「待て待て? 何十年も帰ってない? マイアって、歳は幾つなの?」

「恐らく、三百歳はいってないとないと思うわ」

「……え? なんて?」

「二百から二百五十歳位じゃないかしら」

「……ソウデスカ。オ若ク見エマスネ」

「天罰下すわよ」

「…………怒りん坊だな」

「…………怒らせ上手ね」


 どちらからともなく、けらけらと笑い合う。

 口には出さなくても、互いに予感があった。

 きっと、『楽園』に着けば全てが分かる……そうしたら、この旅は終わる。


「フウガは何が好きなの? お酒なんかは飲まないの?」

「飲んだことない……と思う。マイアはどうなんだ?」

たしなむ程度ね。神界にも色々なお酒があってね……」


 どうせなら、もっと楽しく行こう。くだらないことを話し、笑いながら行くのが、きっとこの奇妙な旅の最後にふさわしい。

 遠くの空が深い群青から紫に変わり、東の山脈の姿がうっすらと浮かび上がる。

 やがて、細く頼りない木々の影が、小さく行く手に見えて来た。


「見えるか。あそこが『楽園』だ」


 その言葉を最後に、フウガは口を閉ざした。その足は次第に速まり、マイアは遅れない様に付いて行くだけで精一杯だ。


 息を切らしフウガの背を追いながら、マイアは気付いた。


 水の音が、匂いが、しない。受肉したとはいえ、水の精霊として生まれた自分が気配も感じないことなどあり得ない。恐らく、フウガもとうに気付いている筈だ。

 だが、フウガは足を緩めない。ただ一点を見つめて、黙々と先を急ぐ。


 やがて彼等が到着したのは、とうに水が尽き、立ち枯れた木と倒木に周囲を囲まれただけの礫地帯だった。

 朝日をきらきらと反射しているのは、水面ではなく、砂に混じった塩の結晶だろうか。ここまで目にしてきた砂漠の植物達とは違う植生が、かつてはここが全く違う姿をしていたことを思わせはしたが、今は見る影もない。


 フウガが倒木の折り重なった場所に駆け寄り、両手で砂を掻き始めた。隣で手伝うマイアも目に入らない様子で、掘り返す先から縁を流れ落ちるそれ必死に掻き出し、砂の熱さにも頓着せずに除け続ける。


 どれ程そうしていただろうか、ふいに砂を除ける音が止まった。

 フウガの手が丁寧に砂を払うものに変わる。


 ぼろぼろになったフウガの手の先に現れたのは、大きな黒犬と人間の子供のなれの果て。まるで、互いを守ろうとしているように寄り添いあう命の抜け殻達だった。

 横たわる子供の握りしめられた手に、色褪せた青い布が覗いている。


 フウガがかさかさに乾いた子供の身体を優しく撫で、呟いた。


「忘れてて悪かった。待たせたな、


 その瞬間、マイアとフウガの身体が大気に溶けた。


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