いまはむかし
第12話
それは、マイアとフウガが出会う、ずっとずっと前の事。
西の山脈の向こう、草原に暮らす野犬の群れがあった。
いつの頃からか、群れの
水が染み出る場所は徐々に水量を減らし、同時に、小動物が姿を消し始めている。山向こうの砂漠と違い、ここには多少なりと雨も降るし、様々ないきものが暮らしている。彼の群れは大所帯ではなかったし、小動物が少々減ったところで、今はまだ暮らしてゆける。だが、いずれは。
ある日、
実際、今迄も砂漠を横断し、東の草原まで足を延ばし狩りをしたことは少なからずあった。ニンゲンの群れ、「街」にさえ近寄らなければ、砂漠に彼らを脅かす生き物はそうそう居ない。群れには子犬が一匹居たが、その子も既に離乳していて、危なっかしいとはいえ、移動に耐え得る体力はついている。毒蛇や岩場にさえ気を付けてやれば、充分移動可能だろう。
日が暮れ、気温が落ち着き出した頃、群れは移動を始めた。山頂を越え砂漠に辿り着くまで、それ程時間はかからなかった。
子犬も何とか無事に山を越え、皆が一息ついたその時。
ギシッ。
頭上から響く、何かが
ガコォン。
振り向いた皆の目に映ったのは、岩肌の一部が剝がれ落ちる瞬間と、その真下で足をすくませた母犬と子犬の姿だった。
子犬の近くに居た雄犬が、闇よりもなお黒い身を翻した。彼は母犬を大きく突き飛ばし、子犬の首根っこを咥えると、風のように走り抜けた。次の瞬間。
ドオン!
地を震わせて落ちた岩の先で身を起こした母犬と、黒犬の無事な姿に、一同に安堵の空気が流れる。
黒犬が口を放してやると、子犬は恐怖でぶるぶると震えていたが、仲間に囲まれ、母犬に優しく頭を舐められると元気に尻尾を振ってみせた。
黒犬は動かなかった。落石から逃れて着地した際に、左の前足を岩と岩の隙間に挟んでしまい、動こうにも身動きが取れなくなっていたのだ。
仲間が手伝い、黒犬の足は引き抜くことが出来た。が、岩に擦られ血が滲み、筋でも痛めたのか、だらりとしたままの足は動かすことが出来ない。
助けられた子犬が、黒犬の周りをうろうろしながら鼻を鳴らした。
黒犬は
群れの姿が完全に見えなくなると、黒犬はその場にへたり込んだ。ずきずきと痛む足では、まともに動くことも出来ない。砂漠でその事実は死に直結している。
だが、構わない。子犬は無事だったのだ――鼻から軽く息を漏らし、黒犬は金色の瞳を閉じ、何時しか眠りに落ちていた。
*
日が昇り始めて少したった頃、彼は、小さな足音と嗅ぎ慣れない臭いに目を覚ました。顔を上げると、思いの外近くでこちらを見ている一匹のニンゲンと目が合った。
急いで身を起こすと、痛みに情けない声が漏れた。それを誤魔化すように唸り、身体を伏せ睨みつけると、ニンゲンは慌ててその場を離れた。
もしかしたら、仲間を呼びに行ったのかもしれない。そう思ったが、今の自分は為す術もない。黒犬は再び目を閉じた……すぐに、忍び寄る気配。
先程のニンゲンだ。
まだ近くに居る事は臭いで分かっていた。やはり、自分を狙っているのだろう。黒犬は再び歯を剥き威嚇して見せた。
そのニンゲンは怯む様子もなく、彼の牙が届かない出来ない絶妙な位置に立ち止まると、担いでいた皮袋から器を取り出し、もう一つの皮袋をその上に傾けた。
水の匂いだ。
ニンゲンは精一杯腕を伸ばし、零さないよう慎重に、黒犬に向かって器を滑らせ、
「喉、乾いてない?」
そのニンゲンが何を言っているのかは解らなかったが、不思議と敵意は感じられなかった。
だが、油断するな。黒犬はそう自分に言い聞かせた。水の匂いに自分がとても喉が渇いていると気付いたが、それをおくびにも出さず、ニンゲンを睨み唸り続ける。
「俺、あっち行ってるから、気が向いたら飲みなよ」
そう声を掛けると、ニンゲンは西の山の方へと歩いて行った。その後ろ姿が充分に遠のくと、彼は足を引きずり、夢中で器に鼻面を突っ込んだ。そして器をあっという間に空にすると、その場に身体を横たえた。
*
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