第9話

 最も暑くなる時間を岩陰でやり過ごし、彼らは再び歩き出した。フウガの下げる角灯の明かりが、街を目指す彼等の影を、夕暮れに沈みつつある岩場にくっきりと落とす。


 街を囲うように作られた塀が近づくにつれ、マイアは違和感を覚えた。フウガも眉間に皺を寄せ、壁を睨んでいる。


「なんだか様子が変ね」

「ああ」


 殆ど同時に、互いが覚えた違和感の正体に気付く。


「随分と静かなのね」

「なんで、明かりの一つも見えないんだ?」


 薄闇が忍び寄るこの時間帯は、日中よりも過ごし易い。まして、砂漠を行く旅人が多く立ち寄る街のこと、賑わっているのが普通だった。ここまで近付けば、生活感が感じられない筈が無い。


「食事の支度をする匂いもしない。何だってんだ?」


 どちらからともなく自然と早足になった。街が大きくなるにつれ、違和感はさらに増す。


 辿り着いてみると、街を取り囲む干し煉瓦製の塀は所々が崩れ落ち、閉ざされた木製の門扉は風化しててあちこちがささくれ、下の方にはびっしりと引っ掻いた様な傷がついていた。塀の上から覗き見える防砂林も、その殆どが立ち枯れているようだった。


「嘘だろ……」


 フウガが壁の端から、周囲と少し色の違う干し煉瓦を幾つか引き抜く。子供らが抜け道にでもしているのか、煉瓦は簡単に抜け小さな穴が口を開けた。穴の周りを軽く蹴っただけで、周りの煉瓦がぼろぼろと崩れた。

 穴を潜るフウガをマイアが追う。


 屈めた腰を伸ばした彼等を出迎えたのは、人の営みの残骸達。

 目の前には廃墟が広がっていた。


 人の気配のない荒れた大通りも、扉も窓もしっかりと締め切られた民家も、半ば砂に埋もれるようにして時を止めていた。所々に植えられているルビアだけは生気を放っているのが、余計に街を色褪せて見せている。

 呆然と大通りに立ち尽くしていたフウガが、突然走り出した。大通りから細い脇道を何本か曲がり、崩れ落ちて道を塞ぐ家の壁を飛ぶように越えると、一軒の建物の前で足を止める。

 そこここが崩れてはいたが、周囲のものより頑丈そうなその建物は、まだ原形を保っていた。

 遅れて追いついたマイアは、上がり切った呼吸を整え、佇む背中に声をかけた。


「何か思い出したの? ここは貴方の家なの?」


 フウガは背を向けたまま、


「雑貨屋だよ。雑貨屋と言っても、軽食なんかも売ってるし、頼まれれば色んな仕事を手伝ったりするんだ……」


 風にかき消されそうな声だった。大きな声を出したら、全てが消えてしまうと恐れているかのように、弱弱しい声。

 それにつられたようにマイアも声をひそめ、


「貴方の店なの?」

「俺はここで住み込みの雑用係として働いてるんだ……この奥が俺の部屋だ」


 店舗と、その右隣に造られた畜舎の奥を覗き込むと、それぞれの奥の壁に扉が設けられているのが見える。

 フウガがふらふらと畜舎の奥へ進んでいく。

 目の前の扉を開けると、丈の低い卓が一つと、小さな寝具が隅に置かれただけの、飾り気のない小部屋が現れた。マイアはフウガの後ろから覗き込み、


「住み込みって、貴方の家という訳ではないということ? この部屋は、あまりゆったりと出来そうもないけれど」


 フウガもマイアも細身だが、二人で立ち入るには部屋は随分と狭い。

 声を出さず、「家、か……」と、フウガの口が動いた。


「うんと小さい頃に両親は死んじゃって、身寄りの無かった俺をここのおじさんが引き取ってくれたんだ」

「思い出したの?」

「少しだけ。おじさんもおばさんも、結構俺の事可愛がってくれてんだぜ。自分達の子供だって居るのに、ちゃんと食わせてくれてさ。部屋だって、母屋は部屋が足りないから、畜舎の奥で悪いなって言いながら、わざわざ造ってくれたんだ。個室をくれるなんて、好待遇なんだぞ」

「貴方の探し物って、もしかして雑用の一環なの? それに、この街の有様は……一体、何があったの?」

「……思い出せない」


 絞り出すように言ったその姿は、今までの飄々としたフウガと別人のようで、マイアはそれ以上何も聞けなくなった。

 茫然と立ち尽くしていたフウガだったが、暫くすると落ち着きを取り戻し、マイアを促し畜舎の外へ出た。


「ちょっと待ってて」


 そう言って、母屋の中に消えたフウガは、すぐに見慣れない角灯を手に戻ってきた。普段フウガの使っている物と違い、古びてはいるが、煤は殆ど付いていない。


「売り物の角灯、まだ残ってたから持ってきた。俺、砂漠に戻るよ。街を見ても、何でこんなことになってるのか思い出せない。きっと、探してるものを見付けないと駄目なんだ」


 フウガは手に下げた売り物の角灯をマイアに渡し、


「大通りの北門を抜けて渓谷をずっと行くと、北の街に着く。交易で栄えて結構豊かみたいだし、治安もそんなに悪くないって話だ。女の子が一人で困ってるなら、きっと良くしてくれる。ニンゲン嫌いは、ちょっとの間我慢するんだぜ?」

「…………」

「ごめんな、送ってやりたいけど、俺、早く砂漠に戻りたいんだ。北の街まで距離はあるけど、迷うような道じゃない。夜も明かりを持ってれば、そんなに危ない道じゃない筈だ。落石にだけ気を付けてな」

「…………」


 フウガが口ごもる。


「でも……その、もし、もしよければなんだけど、俺と一緒に来てくれないかな。マイアにもやることがあるのは分かってる。でも、マイアと一緒なら、探しものがきっと見つかると思う。いや、俺だけだと、見つからないような気がするんだ。それが済んだら、ちゃんと北の街まで送ってくから……駄目か?」


 不安、焦り、マイアをおもんぱかる気持ち……色々な感情に翻弄されているのか、フウガの手は、よく見れば小さく震えている。

 マイアは少し考え、頷いた。


「私も、出来れば貴方と一緒に行きたいと思います。このまま別の道を行けば、きっと気になって、仕事どころではなくなってしまうわ。それに……」

「それに?」

「いえ、気にしないで。とにかく、貴方の探しものを見付けるお手伝いをしたいと思います」

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