第8話

 翌日、彼等は夜が明けきる前に岩室を出発した。


「ねえ、貴方は全然寝ていないんじゃないの? 大丈夫?」

「慣れてるからな。もっと日が昇って一番暑くなる頃合いは、日陰で寝て過ごすよ。ここじゃ、昼間が休息の時間なんだ」


 このまま、砂漠の外縁部沿いから街を目指そうと言いながら、フウガは身支度を整えた。

 砂漠を突っ切る方が近道なのだが、外縁部なら砂嵐が起きた時に身を隠せる場所が多い。マイアも思いの外岩場を歩けていたので、こちらを通る方がかえって早く着くかもしれないと判断したのだ。


「それに、岩場の方が小動物が結構いるからいいんだ。マイアが腹減ったら獲ってやるからな」

「そういえば、砂地の時より色々な子を見かけるわね」


 丁度、岩陰に潜り込もうとしていた蛇を見付けてマイアは微笑んだ。


「蛇、好きなのか? そいつ、毒があるぞ」

「例え毒があっても、それはそうやって生まれただけですもの。私が生まれた処にも毒蛇や毒虫も居たけど、それが嫌いになる理由にはならないし、どんな子だって可愛いと思うわ。貴方は蛇が嫌いなの?」


 フウガは顔を顰め、


「嫌いじゃないけど、捕まえる時に注意しないといけないから苦手だ。あんまり美味しくないしな。ネズミの方が、よっぽど美味しいぞ」


 そこまで言ってから、はたとマイアを見た。


「そういえば、昨夜はルビアの実と干し肉を食べてたけど、嫌じゃなかったか?」

「大丈夫よ。ただ、変な感じではあったけれど。何というか、口が重くなったというか……」

「はは。固い肉だったから顎が疲れたんだな」

「そういえば、脚も重かったわ。成程、あれが『疲れる』と言う感覚なのね」

「街ならそれなりに食い物があるから、楽しみにしてるといいぞ。服や装飾品の屋台なんかもあるし、カームも貸し出したりしてるんだ……あ、カームって分かるか? 乗って良し食べて良しのでかい動物でさ……」


 やがて、日が高く昇り、足元の影が短くなった頃、フウガが遠くに小さく見えて来た人工物らしいものを指差した。


「見えるか? あそこが目指す街だ。日も高くなってきたことだし、ここらで休憩しよう……はい、水」


 それぞれ岩陰に落ち着くと、フウガが水袋を差し出した。受け取ろうと伸ばしたマイアの手が止まる。


「どうしたのですか?」

「……ん、ごめん、ぼんやりしてた。なんて?」

「疲れたの? 何だか、顔が冴えないわよ」

「その言い回しは軽く傷付くなあ……」


 はは……と力なく笑うフウガに、マイアはおろおろと、


「具合でも悪いのですか? どうしましょう。やはり、昨夜眠っていないのが良くなかったのかしら。水は飲める? 少し眠った方がいいのじゃなくて?」

「大丈夫だ、具合が悪いわけじゃない。ただ、街を見たら何か変な感じがしたんだ」

「変な感じ?」


 もどかし気なフウガの右手が、左手首の青い布を握り、


「懐かしいような、近寄ったらいけないような、とにかく、落ち着かない気持ちになってさ……」

「貴方はあの街の生まれなのでしょう? 自分で地元民だと言っていたし、街中にも詳しそうだったわ」


 フウガは暫く考え込んでから答えた。


「……そう、だと思ってたけど。もしかしたら、そうじゃないのかもしれない。何となく街中の記憶はあるけど、遠くの景色を眺めるみたいだ。あまり近寄るなって言われていたしな」

「一体、誰にそんな事を言われたの?」

「? 俺、何か言った?」

「『あまり近寄るなって言われた』って」


 そんな事言ったかなと呟いたきり、フウガは黙り込んだ。


(人間のことはよく分からないけれど……これは、不安……怯え?)


 きっと、彼の無くしてしまった記憶に関係しているのだろう。マイアはフウガに頷いて見せた。


「貴方には大事な探しものがあるのでしょう? ここからなら、私だけでも街まで辿りつけると思います。貴方は、貴方の為すべき事に戻って下さい。ここまで送っていただいたこと、感謝しています。さあ、今度は私が見張っていますから、貴方は少し休んで。そうしたら、お別れしましょう」

「……気を使わせて悪いな。でも、一緒に行くよ。そうしなきゃいけないって感じるんだ。街に行けば記憶も戻るかもしれない」


 そして、悪戯っぽい顔で付け加えた。


「それに、マイアだけで街に行っても、金も物々交換できる物も持ってないだろ? それじゃ、何にも食べられないぞ。街には人間だっていっぱい居るんだ。また『ギャーッ』って叫ぶ羽目になるぞ」

「あれは油断していただけです! いいでしょう、修行の成果を見せつけてあげますから!」

「ソレハ楽シミデスネー」


 横目で睨み合い……どちらからともなく笑い出した。

 フウガの笑顔に、マイアは安堵した。曇った顔は、この青年には似合わない。楽しそうに、飄々としていて欲しい。

 彼を守らなくては。力不足どころか、今はその力すら無くしているけれど、私は神様なのですもの。


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