第7話

 マイアはしょんぼりと肩を落とした。


「……その後、人間と直接関わることの少ない部署から慣らしてゆき、気を張ってさえいれば暴走することも無くなってきました。そこで最終試験として、この『死の砂漠』の幽霊調査の任を頂いたのです。きっと、あまり生きた人間と関わらないで済みそうな案件だったからだと思います」

「…………」

「何故、そんな顔をするのですか」


 ぽかんとしているフウガに、マイアが首を傾げた。


「いや、何か色々と初めて聞くことばっかりだから。『カミサマ』ッテ、タイヘンデスネー」


 顔を顰めるマイアに、フウガは慌てて話題を変えた。


「で、結局、叶えた願いってどんなのだったんだ?」

「それは、その……わざわざ手続きを踏まなくてもよい程度の願いというか……」

「うん」

「余り憶えてはいないのですが、『憧れの彼女と目が合ったらなあ』とか……」

「うん」

「『今日こそは今までの負け分を取り返してやる』とか、『もうすぐ孵る雛が雌ですように』とか……」

「うんうん」

「『肌荒れが治りますように』とか『アイツに料理を褒めさせたい』とか……」

「…………」

「何ですか? 言いたいことでもあるのですか?」

「いや、別に」

「件数が多いと大変なのよ? 本当に大きな街で、沢山の人間が居たのよ? 決して私の能力に問題があるだとか、そういう訳じゃないのよ?」

「何も言ってないよ」


 マイアはしょんぼりと膝に顔を埋めた。


「……自業自得だと分かっています。神でありながら、こんな感情を抱いてはいけないことも。でも、どうしても好きになれないのです……」

「何でいけないんだ?」

「え……」


 顔を上げたマイアの眼に、フウガのきょとんとした顔が映る。


「好き嫌いなんて、どうしようもないことだってあるだろ」

「ですが……」

「もし崖からニンゲンと蛇が落ちそうになってたら、マイアはニンゲンを見捨てるのか?」

「いいえ」


 きっぱりとした答え。


「じゃ、どっちも助けるには、自分が死ぬような目に合わなくちゃいけないとしたら? やっぱり蛇だけ助けるのか?」

「どっちも助けるに決まっているでしょう?」


 何故そんな当たり前のことを聞くの、と不思議がるマイアに、フウガはうんうんと頷いた。


「じゃあいいじゃん、カミサマに好き嫌いがあったって。気持ちは自由だ……まあ、あんまり俺の事を嫌わないでくれたらとは思うけど」


 気持ちは自由……その言葉が、マイアにすうっと染み込む。


(そんな風に考えたこと無かったわ)


 もしかしたら、自分は意固地になっていただけなのかもしれない……宵闇に沈む景色が、薄膜を剥いだように明度を増して感じられた。

 マイアは改めて隣の青年に目を向けた。その視線に気付いているのかいないのか、フウガがにっと笑う。


「まあ俺なら、嫌いなヤツなんて速攻見捨てるけどな」

「えっ、ひど……」

「だって、嫌なヤツに労力を割くより、他に回した方が効率が良いじゃん」

「色々と台無しよ」

「え? なんて?」

「何でもないわ」


 ちょっと感心したのに……と、溜息を吐いたマイアがふと、


「そういえば、貴方、探しものがあると言ってましたね。助けて頂いたお礼に、能力が戻ったらお手伝いしましょうか? 何を探しているのですか?」

「さあ?」

「私の事情は聞いても、自分の事は話せないのですか?」

「そうじゃないんだ。憶えてないんだよ」

「?」


 フウガは肩を竦めた。


「探しているものがあるのは本当だ……と、思う。でも、何を探しているのか思い出せないんだ。どこかで頭でも打ったのかな、やけに記憶が曖昧でさ。正直、何で砂漠ここを探してるのかもよく分からない。でも、凄く大事なものを探してるのは間違いない。見つけさえすれば、絶対にだって判るんだ」


 力強い言葉に、マイアは難しい顔になった。


「……実は、私が受肉したのは、貴方の強い願いに反応してしまったのではと考えていたのです。ここに至るまで、貴方以外誰も見かけなかったから……でも、やはり違う理由なのかもしれませんね。だって、貴方の願いはきっと、『失った記憶を取り戻す事』か『探しものが見つかる事』でしょう? 私が人の身になったところで、それが叶うとは思えないわ」

「うーん、そうなのかな? て言うか、俺の話を信じるの?」

「どうしてそんなことを訊ねるの?」


 フウガは悪戯っぽく、


「心配だなあ。悪い男に引っかからないようにしろよ」

「よく分かりませんが、揶揄われているのよね? 憶えていなさいよ。力が戻ったら神罰下しますから」

「褒めてるんだよ」


 フウガの屈託の無い笑顔につられたマイアの微笑みは、すぐに消えた。


 不思議だった。人間嫌いの筈の自分が、いつの間にか肩から力を抜いて話している。この青年は――どこか他の人間と違う。

 独特の空気感や、記憶を失っているというだけのことではない。ここまでの道中で、度々脳裏をかすめた違和感。それが何なのか、はっきと掴めないのがもどかしい。


 もやもやとした思いを押し込めるように、マイアは自分の肩を抱いた。

 その様子を見たフウガが彼女を気遣う。


「無理に話させて悪かったな。火の番は俺がするから、寝ちゃっていいぞ。寒くないか?」

「確かに、夜になったら随分と冷え込むんですね。砂漠って、みんなこうなのかしら?」

「どうなんだろうな。でもここは、夜でもまだ寒くないほうだ。砂地のど真ん中じゃ、昼から想像もできない位寒くなることだってあるんだぞ。他はどうか知らないけど……って言うか、俺はここしか知らないから、マイアの話を聞いて吃驚した。他にも砂漠ってあるんだな」

「砂漠だけじゃないわ。ここよりも暑い土地だってあるのよ。私の生まれた場所の様に、温暖で緑豊かな土地も、毎日の様に雨が降る土地も、一年中氷に覆われた土地だってあるわ」


 フウガの目が輝く。


「こおり? なんだそれ?」

「水をうんと冷やすと、塊になるの。冷たすぎて、あまり長く触るっていると手足が傷んでしまうこともあるの。でも、透明なものは、日にかざすときらきらとして、とても綺麗よ。今より気温が下がれば、もしかしたらここの水場でも見られるんじゃないかしら」

「見てみたい! けど、今迄見たことないな」

「不純物が多かったり、土や水の状態によっては、中々凍らないこともあるわね」

「そうなのか……」


 いかにも残念そうなフウガに、マイアは言った。


「私の能力が戻ったら、見せてあげるわ」


 見たい、それは固いのか、冷たすぎるってのはどんな感じだろう、と、楽し気なフウガの声を聞くうちに、マイアの瞼が重くなってくる。


 いつしか、マイアは眠りに落ちた。


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