第14話

 翌日の日が少し傾き出した頃、子供が姿を現した。今日は何やら深いへりのある板をいている。


「遅くなって悪い。水、まだあるか?」


 子供は板に積んでいた荷から干し肉を取り出し、既に空になっていた器に水を足すと、黒犬がそれらを平らげている間に日除けを片付け始めた。

 黒犬が食事を済ませ、満足気に口の周りを舌で拭っていると、子供は器や日除けの布を板に積み込み始め、やがて板の上をポンと叩き、


「はい、乗って」

「ばう?」


 黒犬は、にっこりと笑う子供と板を交互に見て首を傾げた。


「俺の自作の砂橇すなぞり。ここじゃゆっくり休めないだろ? 俺が休憩に使ってるところがあるから、そこまで移動しよう。人なんて来ないから、安心して。はい、乗って」


 黒犬は胡散臭そうにそりを眺めた。

 子供は、「こうするんだよ」と言いながら、自らそこに乗り込んでみせた。それを何度か繰り返し、次に黒犬の背後に周り尻を押し始めた。

 ようやく、黒犬は子供の言わんとしていることを悟った……が、怪我をしていない脚全てで突っ張り、断固拒否の構えを取る。そんなへんてこな物に乗る理由が解らない。どうにも嫌な予感しかしなかった。

 頑として動こうとしない犬、その尻を押す子供。互いに譲らず、やがて息を切らした子供が力を抜くと、黒犬も力を抜いてその場に伏せた。


 子供は作戦を変えた。黒犬をちらりと見て、


「……俺、信用されてないんだな……そうだよな、俺達、出会ったばっかりだもんな……けど、今日だって、仕事終わってから急いで来たんだけどな。この橇だってさ、岩場でも引きやすいように改造してきたんだ。干し肉、美味しかったか? 街で一番美味しい店のだもん、美味しかったよな? いや、別に、恩を売ろうとかいう訳じゃないんだけど……」


 そう言って、これ見よがしに肩を落とす。


 どういう訳か、子供の言っていることは黒犬にほぼ正確に伝わった。黒犬は鼻から吐息とも唸りともつかない「ぼふ」という音を出すと、あからさまに渋々と橇に乗り込んだ。

 橇の上は、枯草と布が敷いてあり、一見快適そうに設えてある。溜息を吐いた黒犬が布に身を伏せると、子供はにこにこと橇にかけた縄を手に取り、


「この辺は岩場だから、一寸……まぁ、大分揺れるかもしれないけど、暫く我慢して」


 ゆるゆると牽きだした。


 本来なら砂場を行くための橇は、底に木の輪を取り付けてはあるものの、大きな岩の塊を踏む度に上下左右に酷く揺れた。その度に黒犬は身体を低く伏せ、橇から放り出されないように、無事な脚で必死に布にしがみついた。


 沈み始めていた太陽が地平線に完全に顔を隠す直前、ようやく子供は足を止めた。


「着いたぞ。大丈夫か?」

「……おふ……」


 まったく大丈夫ではなかった。

 黒犬はすっかり参っていた。まだそれほど長くない犬生とはいえ、こんなに気持ち悪くなったのは初めてだ。目は廻るし、頭もがんがんする。傷の痛みすら薄れて感じる程だ。


 子供はよろめく黒犬に手を貸し橇から降ろしてやると、その奥に積んでいた布や枯草をせっせと降ろし始めた。

 宵闇が、すぐそこまで迫っている。子供は手際よく作業を終えると、急ぎ火を熾した。その明かりのすぐ後ろに、岩室の大きな影が浮かび上がる。


 橇の脇でうずくまっていた黒犬は、幾分か吐き気が治まると、岩室を覗き込んだ。

 天井と三方を岩の壁に囲われた岩室は、黒犬と子供がもう一組寝そべることが出来る程の奥行があった。入り口は北に向かって開き、日中の強い日差しや風をしのぐのに具合が良さそうだ。その奥には、さっき子供が運び込んだ干し草や固形燃料が、焚火の明かりにぼんやりと照らされている。

 黒犬は検分を止め、焚火の前に座る子供の隣に身を伏せた。


 成程、悪くない。こんな場所があるとは知らなかった。


 過ごしやすそうな割に、岩室から目の前の子供以外の生き物の匂いは殆ど感じられないのは不思議だったが、その理由はすぐに分かった。

 子供が突然腰に差した短刀を抜き、岩室の入り口に素早く移動すると、目の前の地面でそれを振った。

 子供は、首を落とした蛇を手にして、


「この辺は結構居るんだよな。毒の無い奴でよかった。食べる?」


 まだ動いている胴体から器用に皮を剥ぎ、ぶつ切りにして黒犬に投げて寄越す。

 黒犬の「お前は食べないのか?」と問いかける様な視線に、子供は「俺はルビアの実の方が好き」と言って、荷袋から赤い実を取り出して齧った。

 骨に辟易しながら蛇を食む黒犬の隣で、黙って砂の海を眺め、ルビアの実を齧っている子供。

 ちらりと窺い見たその横顔に、黒犬は唐突に理解した。この子供は一匹で生きているのだ、と。


 どんな事情があるのか、黒犬には知るよしもなかった。きっと、真の孤独ではないだろう。仲間のたすけもあるのだろう。それを知っているからこそ、彼は歯を食いしばり、強くあろうとしている。


 黒犬はもう、彼をただのニンゲンの子供だと思わなかった。彼の口元を一舐めし、まだ華奢なその身体に己の身をもたれる。


「なんだよ、もう。重たいってば」


 そう言いながらも、彼は嬉しそうに黒犬の首筋を撫でた。


「ばう」

「え? なんて?」

「ばう」

「うーん、分からない! まあいいや。俺、一仕事してくる。西の山の夜光花を採って、宿屋に届けなきゃいけないんだ。沢山見つかるよう祈ってて、フウガ」


 立ち上がった彼を黒犬が見上げると、照れたように、


「名前が無いと不便だから。俺は『クウガ』。だから、お前は『フウガ』。また明日な、フウガ」


 からの橇を牽きながら、クウガは去って行った。


  *

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る