第4話

 焚火がマイアとフウガの影をゆらゆらと岩壁に映し出す。

 本格的な夜を迎える前に、彼等は砂地から、西の山に近いごつごつとした岩が転がる場所へと移動を済ませていた。

 その中でもひときわ大きい岩に囲まれ、洞穴のようになったそこは、砂漠の夜を過ごすもの達にとって、数少ない一息つける宿代わりだ。

 

  *


 途方に暮れていたマイアに、一緒に街を目指そうとフウガが提案したのは、まだ日が高いうちだった。


「街に行けば誰かが『死の砂漠』の事を知ってるかもしれないし、医者だっている。そうしたら、マイアが、その……空を飛べなくなった……理由も、分かるかもしれないだろ」


 マイアは少し驚いた。ごく僅かな者を除き、人間に神の姿は見えないのだ。なのに目の前の青年は、神と名乗った自分の言葉を、本心信じたのだろうか――それにしては、少々引っかかる態度ではあるが。


「貴方は街に帰る途中なのですか?」

「いや、俺は『楽園』に行くつもりなんだ」

「それじゃあ、貴方の都合が合わないでしょう」

「街に寄り道したところで、一日二日しか変わらないよ」

「そう……いうものなのですか」


 人間の感覚はよく分からない――マイアは取り敢えず、曖昧に頷く。


 フウガが砂に指で簡単な地図を描く。それによると、現在地は砂漠の中央から西寄りの地点で、街にはこのまま北上すれば到着するようだった。


 街は山脈の切れ目近くだ。ここからそう離れてるわけじゃないが、今からの移動だと途中で夜を迎える事になる。ここからもっと北西寄りに、夜を過ごすにうってつけの場所がある。街まで遠回りになるし、出来れば日の高いうちの移動は避けたいけど、まずはそこを目指そう……そう説明しながら、フウガの指がさらさらと砂をなぞる。


「街はそこだけなのですか?」

「うん。街の北門の先にある渓谷を抜ければ別の街に行けるけど、砂漠の街って言ったらここだけだ。で、街から南東に足を延ばせば『楽園』がある。俺からしたら大した距離じゃない」


 だから、本当についでなんだよ、とフウガは砂を一撫でして地図を消し、手に付いた砂を払った。


 マイアは首を傾げた。

 ここを空からざっと見た景色に、街も水場も見当たらなかったように思うのだが……もっとも、あの時はそこまでしっかりと地形を確認した訳でも無かったし、受肉してからこっちの記憶をどこまで信じていいのか、自信は無かった。

 それに。


(人間なのに、随分と親切なのね)


 見返りも無く自分を救ってくれた相手を疑うなど、マイアは思いも及ばない。

 結局フウガの提案通り、日差しが弱まる頃を見計らって仮の休憩所を発つことになった。


「ほらこれ。ずれない様にちゃんと巻きつけて」


 フウガは支柱から外した砂除けの布をマイアの頭からかぶせ、荷袋から取り出した数枚の布を差し出し、


「これで鼻と口を覆って。残りは足裏から巻いて、それから履物を履くんだ。紐で固定させる履物みたいだから、巻けるだろ? 緩すぎると歩き辛いから、しっかり巻くんだぞ」


 指導しながら、フウガは砂から引き抜いた支柱を手際よく荷袋に括り付けた。そして、自身の頭に巻いた布の余りの部分を使って口元を覆い、腰布に水袋と小さな湾曲刀を挟むと、最後に左手首の布をしっかり結びなおし自身の身支度を終えた。


「案外、荷物は少ないのですね。そういうものなのですか?」 

「身を護るものの重さで身動き取れないなんて、馬鹿らしいだろ? それに、俺には優秀な鼻と耳がある。充分だよ」


 フウガは肩をすくめ袋を背負うと、「さて、行くか」と、促した。


  *


 何度かの休憩を挟み、空の色が赤から薄紫に変わる頃、彼等の行く手にごつごつとした岩影があちらこちらに見え始めた。僅かだが、緑も点在している。

 砂の海では見られなかった不思議な形の植物群を、マイアは興味深そうに眺め、


「なんだか、馴染みのない子達が生えているのですね。こんなに痩せて見える土地なのに健気ね」

「この辺は砂漠のど真ん中よりは水っ気があるからな。ほら、さっきより全然山が近いだろ? あそこも岩だらけの山に見えるけど、貴重な薬草なんかが生えてるんだ。そこ、気を付けろ。岩の隙間は足が嵌りやすい。俺も前に足を挫いたことがある」


 フウガの言う通り、足の裏から伝わる感触は、石まじりの砂地から固いものに変わっていた。足を取られないように注意しながら、マイアは黙々とフウガの後に続く。

 やがて見えて来た一際大きな岩影を指差し、フウガが振り返った。


「思ったより早く着いた。今夜はあそこで休もう」


 辿り付いたそこは、三方を巨大な岩で囲われ、その上に平たい岩が載った、まるで岩で出来た室の様になった場所だった。

 マイアは感心した様に、自分の背丈より大きな岩の塊を見上げた。


「不思議な場所ですね。誰が、どうやって岩を載せたのかしら?」

「どうしてかは知らないけど、自然に出来たらしいぞ。よし、火をおこすか。そしたら、もう少しゆっくり出来る」


 フウガは岩室の入り口で荷を下ろし、その奥から以前から置いていたらしい固形の燃料と枯れ草の束を持ち出してくると火を熾した。燃料の燃える臭いと、暗さに慣れ始めていた目を眩ませる明るさに顔を顰めたマイアだったが、すぐに炎の暖かさに力を抜いた。

 フウガは荷袋から干し肉を取り出し、マイアに渡した。その途端、マイアのお腹がグウと鳴る。


「こんな物しかないけど、食べて。それと、この辺に棘のある肉厚の草が生えてるだろ? 天辺に、赤い丸いのが付いてるやつ。ルビアっていうんだけど、あの赤いのは食べられるぞ。水っ気が多いから、喉も潤う。あ、葉っぱは食べたら駄目だからな。ちょっと齧るくらいなら大丈夫だけど、あんまり食べると気持ち悪くなるぞ」

「わかりました。それにしても、これが『お腹が空く』という感覚なのねえ。消滅するかと思ったわ。ありがとう。いただきます」


 消滅だなんて大げさだな……フウガは苦笑して、焚火に枯草をくべた。


「なあ、嫌だったらいいんだけど、もし良かったら、マイアの事を聞かせてくれ。結局、仕事ってなんなんだ? どうしてそんなにニンゲンが嫌いなんだ?」

「嫌いだなんて、そんな……」


 ばつが悪そうにマイアは口ごもる。フウガが笑った。


「見てれば分かるって。本当は、俺のことも嫌なんだろ?」

「…………」

「嫌いなものはしょうがないけど、理由ぐらいは聞いてみたいじゃん」


 人間に身の上話をするつもりなど無い、と言いかけ、マイアは手の中の干し肉に目を落とした。

 もしフウガに助けてもらわなかったら、自分は砂に埋もれたままだっただろう。見ず知らずの行き倒れを介抱し、こうして水や食料を分け与えることが、この厳しい土地でどれだけ奇特な行いなのかを理解出来ないなら、自分に神を名乗る資格などない。


 マイアは頷くと、干し肉を一齧りし、ここに至った経緯を語り出した。

 かつては精霊であったこと、ひょんなことから、神になったことなど……。


  *

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