第3話 入学難民ってヤツになった

 オレは改めて女の子の横顔を盗み見る。

 ……やっぱ、すげー美人かも。



 ちょっとこういうタイプは今まで会ったことないぞ。でもやっぱり見たこともない顔なんだよな。年齢はオレと同じくらいか……。



 でも新参者だろうな。やっぱり引っ越して来たんだろうな。オレはこの街に十五年暮らしているのだ。例え名前は知らなくても同い年くらいの女子なら顔くらいはだいたいわかるからな。それに愛想を振りまくこのわんこも初めて見たし。



 オレはムサシの頭をなでる。



「まあ、なんだ。……気をつけろよ。引っ越してきたばかりみたいだから知らないだろうけど、この辺じゃ放し飼いとかイヌのふんとかには異常なくらいうるさいからな」



「あのさ、変態少年のくせにあたしに説教する気?」



 挑戦的な目をしやがった。いや……元々目つきは悪いけど。



  「でも変ね。ムサシはあたしが紹介した人間以外には絶対になつかないのにな。……こんなの初めて。あなたってちょっと変わってるかも」



 それはそれ、オレとイヌとは出会う前から大親友だから。

 ……でもやっぱり早起きは悪くないもんだ。こうしてムサシと知り合えたし、性格はきつそうだけど、この女もかなりの美人だし……。



 ああ、できればもっと会っていろんな話をしてみたいぞ。



「ひょっとして高校生なのか?」



「あたしのことかな?」



 そうだよ。あのな、ムサシが高校生ってことはあり得んだろが。



「今日からね。今日が入学式なのよ」



 ……おいおい。ちょっとラッキーだぞ。……で、オレは、じゃあお前はどの高校に行くんだ?と訊きたかったんだ。



「あ、いけない。そろそろ時間」



 だが、少女はそう口にすると、オレとの別れを惜しんで、くぅーんと鼻声を出すムサシを力の限りむりやり引きずって行っちまったんだ。



 まあ、いいさ。また会えるだろうし。



 ……でも、もしかしちゃったりしたら、同じ高校で同じクラスなんて展開の可能性もゼロじゃない。もしそうだったら最高なんだけどな。





 ……





 オレは女の子の後ろ姿が消えたあとも、かなーりしばらく突っ立っていた。汗はとうに引いて身体が冷えてきてくしゃみを数回繰り返した。そこで我に返ったわけだ。



 げ……。



 とうに七時を過ぎてるじゃねえかよ。やばいぞ。こうしちゃいられないぞ。新入学早々遅刻はさすがにまずいぞ。オレはあわてて自宅へと駆けだした。



 林の向こうなので様子は見えないが朝の通勤ラッシュはとうに始まっていたようだ。通りの方からキキッーという車の急ブレーキの音が響いてきた。



  ■



 ムサシと目つきの悪い女と出会った数時間後の高校の入学式のことである。

 快晴。今日は五月上旬並みにまで気温が上がるらしい。



 サクラの花が散り始めた校門を抜けるとそこは長い月日で角がすっかり丸くなった石畳だった。



 その道は軽い登り坂になっていて、その頂上の正面には百年近い歴史を持つ市立大鷹おおたか高校の校舎がででーんと見えた。右手には体育館のかまぼこ形の屋根があり、その手前には受付用に仮設テントが設けられていた。



 ごった返す新入学生の黒い学ランの群れの中で、拡声器を持ったスーツ姿の中年男性教師が、「まずはクラス割りの案内板を見て自分のクラスを確認してから順序よく並ぶこと」

 と命令調でがなでていた。その声にキーンという耳障りのハウリングが混じる。



「……ない。……ない。……ない」



 同じ言葉を繰り返していた。そう、まるで呪文のようにだ。


 オレは合格発表のときとそっくりに設置された立て看板に模造紙をなんまいも貼り合わせたクラス割り表というやつの前で、もう三十分近くもぼうぜんと立っていたのだ。



 ……異常事態が起きちまった。



 オレはなにがなんだかさっぱりわけがわからなかった。



 自慢じゃないが中学時代の成績が悪くはなかったので、オレは県内でも難関校のひとつと称されるこの市立大鷹おおたか高校になんとか入学できたのだ。



 ……の、はずだ。中学の教室で級友たちが総出で拍手してくれたことも記憶に新しいし。




 ……だがな。校門脇に張られたクラス割りの掲示板の隅々までさがしてもオレの名前がなかったのさ。これはどんなたちの悪い冗談なんだ?



 オレはあわてたぞ。頭の中がもう真っ白だぞ。いわゆるパニック状態だぞ。

 だから、そばを通りかかった大鷹高の教師たちの袖をむんずと引っ張ってこの事態の説明を求めたのも、まあ無理はないだろうぜ。



 ……だがな、そんなオレを見て教師たちは迷惑そうに首を振りやがるばかりだったんだ。



「いるんだよね毎年。現実が見えない子が」



 とか、



「君は別の高校に受かったんじゃないのか?」



 とか、



「おい君。まわりの生徒たちに迷惑だろ」



 とか、だ。



 とにかく、そんな理不尽なセリフを吐きやがったのだ。……信じられるかよ。

 目の前が真っ暗になるってのはきっとこんな感じなんだろうな。



 ……オレの中学時代を返せ。

 ……なんのために彼女も作らず三年間を黙々と受験のために過ごしてきたと思ってんだ? 

 

 いや、それは単にオレがもてなかっただけかもしれないけどな。と、まあ思い返せば恥ずかしくなるくらいの醜態ってヤツをさらしちまったわけだ。



 だがな、オレを見下ろす教師たちの目は冷ややかなままで事態ってやつは一向によくならなかったんだ。

 誰もがオレに関わりたくないってツラでオレを遠巻きに見ているだけだったんだ。



 ……そのときオレは「」って言葉が浮かんじまった。……言い得て妙だと思ったが、とんでもねえ話だ。




 そしてそのときだった。

 オレはたぶん魂が抜けたように、ぼーっと放心して突っ立ってたんだろうな。



 だからきっと目からも耳からも入って来ているはずの周囲の状況なんてやつは脳が理解していなかったんだじゃねえか。

 なにしろこんな状態だったんだからさ。



「ちょっーと、そこの君。……そうだ君だ。飛鳥井あすかいくーん」



 なんだオレのことか? が、その瞬間。



「ぐほっ」



 オレはうめいて踏みとどまった。オレを呼んだ誰かがオレの背中に衝突しやがったんだ。オレはゴホゴホとしこたまむせた。



「なにしやがるんだこのバカ野郎」



 見ると男が植え込みの中に頭から突っこんでいやがった。



 ……な、なんなんだ、このマヌケ野郎は? と、しばし観察していると、……しまったぁ、とか、抜かったぁ、とかいって……なんかもがいていやがった。



「あ、大丈夫ですか」



 オレは植え込み男の下半身を引っ張って救出してやった。



「ああ、すまない。……どうやらケガはないようだ」



 すると長い前髪を掻き上げながら礼をしやがった。



 ふむ……。ちょっとキザだがなかなかさわやかなルックスだった。しかも高身長で女にもてそうなタイプ。ファンクラブがあってもおかしくはない。



 ……だが、ずいぶんそそっかしいやつだ。髪の毛を葉っぱだらけにしてすまし顔しても様にはならんがな。



「む?」



 オレはその男を凝視した。

 だっておかしいだろ? この大鷹おおたか高校の男子生徒の制服は昔ながらの黒い学ランなのにその男は胸に金糸の校章が入った深緑色のダブルのブレザーの制服を着ていやがったんだ。



「確か……その制服は?」



 この大鷹おおたか高校の隣の私立鷺鳥さぎどり高校の制服じゃねえのか?



「むう。この制服のことですか? いやいやいや、これには深いわけがあるんですよ」



 ブレザー男はしきりに咳払いを繰り返す。……なにあわててんだ、この野郎は。



「あー、君のことを見ていました。うん。確か飛鳥井速人くんですね。とにかく気の毒でしたね。僕はここのとなりの鷺鳥さぎどり高の生徒会長を務める風祭かざまつり幸彦ゆきひこという者なんですよ。はい」



 と穏和な笑顔をオレに突きつけた。



「はあ?」



 ……オレになんのようだ? 妙なスカウトなら遠慮しとくぜ。



 それよりも、オレはなんで私立鷺鳥高校の生徒会長が、この市立大鷹高校の入学式にいるのかに疑問を感じた。

 


 そりゃ当たり前だと思うぞ。

 だがこの生徒会長の風祭の野郎は、おせっかいな性格なのかぺらぺらとよくしゃべった。



 ……あ、いかん。生徒会長ってことは間違いなくオレよりも上級生なんだから、風祭さんというべきだろうな。



「いやいやいや、君が疑問を感じるのは当然ですね、ええ。この市立大鷹高校と我が私立鷺鳥高校は知る人ぞ知るという伝統的な友好関係がありまして、この大鷹高校の生徒会長は鷺鳥高校の卒業式に、そして私が務める鷺鳥高校の生徒会長は、この大鷹高校の入学式でそれぞれ祝いの言葉を贈るのが通例になっているというわけなんですよ。それでこの僕が今ここにいるのは大鷹高校の入学式で祝辞を述べるためということなんですね。はい」



 ……まったくご苦労なこったぜ。



 だがな、そんな話はオレにはぜんぜん関係ないし、あなたがここにいる理由はわかったが、それがオレを呼んだことと、どう結びつくんだ?



「いやいやいや、君を見ていたらあんまりにも気の毒だったんですんでね」



 気の毒気の毒いうな。



「ちょっと待ってくれません? ああ、すぐにわかりますから、ほんのちょっとだけですよ」



 風祭さんはやおらスマホを取り出すとメモリ機能を使ってあちこちに電話をかけまくりやがった。



 ……なんのつもりなんだ、この野郎は?



 そして、このようにいいやがったのだ。



「君が受かった高校がわかりましたよ。……なあに、我々生徒会っていう組織は教師以上に横のつながりが強くってね。こういう情報は我々の方が熟知しているというわけなんですよ」



 どうやらこの男は近隣の高校すべての生徒会と連絡を取り合って、オレのことを調べてくれたらしい。もちろんオレはいちおう礼は述べたさ。あんまり好きそうになれないタイプなのだが、教えてくれたことは事実だからな。



 だがな……、オレの不運はまだ終わっていなかったのだ。



「君が通うべき高校は県立烏沼からすぬま高校みたいだね」



「へ……?」



 ……はあ? 風祭さん、今なんとおっしゃられたのでしょうか?



「烏沼高校」



 烏沼高……。



 今この瞬間、オレの将来は終わりを告げた。



 オレの頭の中では、クイズ番組で間違ったときに「はい残念」と司会者が押すブブーッというブザーの効果音が響いてきやがった。

 よりによって……烏沼高。



 県立烏沼高校とは人生の負け組予備軍たちが通う脳天気なお遊び学校としてオレたちの間では知れ渡っていた高校だったからだ。



「な、なにかの間違いじゃ」



「確かだね」



 即答された。

 オレはその場にへなへなと崩れ落ちた。だが風祭さんはそんなオレに妙なことをつぶやきやがったのだ。



「この近隣の高校で君以外にあと二人、違う制服で他校の入学式に参加した生徒がいるようだね」



 と……。


「……悪夢だ。……これはなにかの間違いだ」



 うわごとのようにつぶやきつづけながらオレが県立烏沼からすぬま高校の一年三組に到着したのは、もうクラスで自己紹介が終わった頃だった。



「遅れてすみません。なにか手違いがあったみたいなんですけど」



 ガラリと教室の扉を開けると、クラスメートたちの異様な視線の束がオレに突き刺さった。



 オレはさっそく教室で浮いていた。

 最初は隣の席のやつとつつき合ってのクスクスと忍び笑いだった。だがその笑いはそのうちクラス中を揺るがす大爆笑になりやがったんだ。



 ……まあ、そりゃそうだろうな。オレが着ている制服は県立烏沼高校の濃紺ブレザーとは違う市立大鷹高校の黒い学ランだったからな。



 だがな、……そして事件はそれだけではなかったんだ。いや、それ以上に複雑になってきやがったんだ。

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