序幕弐 吹き溜まり
『ねぇ、知ってる? 二月下旬ぐらいから噂になってるあれの話』
『知ってる知ってる。なんか突然どことなく現れるんでしょ?』
『知らずに通ったり、触ったりしたら呪われちゃうんだってさぁ』
ひそひそ、ひそひそ。
部室内の隅で後輩の女子生徒達が、囁くような声でそう話すのが深雪の耳に入る。
三月下旬のとある夕方。
窓から差し込むオレンジ色の光が、室内にいる人間の影を長く伸ばす。
時刻はそろそろ逢魔が時。春休み期間に突入したこの時期。校舎に、人は少ない。
あまりこの手の話には関わらない方が身のためだと、深雪はよく知っていた。
「……ねぇ」
荷物を持って部室を出ようとした深雪が、扉の前で立ち止まって振り返る。
突然先輩である深雪が声をあげたもんだから、後輩達はびくりとして声を止めた。
深雪は一度ため息を吐くと、ゆっくりとした口調で続ける。
「もうすぐ暗くなるし、あんまりそういう話はしない方がいいわよ」
「あ、すみません。でも……」
何か言いたそうに後輩たちはお互いにの顔を見合わせた。
「でも、何?」
どことなく香った不穏な気配に、深雪が思わず追撃をする。
「吹き溜まり……何処にでも現れるって言うし、目に見えないっていうから尚更怖くて……」
「……吹き溜まり?」
なによそれと言わんばかりに復唱すれば、後輩が「えっと……」と少し言葉を選びながら続ける。
「
「でも目に見えないから、実際遭遇してもわからない。回避できないから厄介だって……」
「…………」
顔を見合わせる後輩を前に、深雪は言葉を失った。
数か月前……夏の出来事が頭に思い起こされる。あの時は百五十年に一度訪れるとされる
(まさか、また閻魔の目が?)
いや、そんなはずはないと深雪は一人で小さく首を振る。閻魔の目は確かにロクロウが道連れに地獄へ押し返し、封印したのだ。その証拠に、印をつけられていた妹の満春の背中にはもう何も残っていない。七獄の年も、閻魔の目も、確かに終焉している。
では、後輩達が話す吹き溜まりとは、何なのか――。
「それって、誰か実害を受けた人がいるんじゃないの?」
「え?」
だから噂になっているんでしょ、と言えば、後輩はきょとんとした顔をした。食いついてくると思っていなかったのか、話をふられたことに対して少しばかり嬉しそうな顔をする。
「あ、えっと。います」
「というか先輩、校内では割と有名ですよ、吹き溜まりの噂。もう何人も被害にあってて……私の幼馴染もそうだし、隣のクラスの子だって……」
尻すぼみになっていく声に、後輩達が抱えている不安が偽りではないと認識する。
とどのつまり、深雪の知らないところで何かの怪奇現象が始まっているのだ。
夏から数か月、平穏な春が来るかと思っていたが、どうにも、そうは問屋が卸さないらしい。
「…………」
ふぅ、と小さくため息を吐く。
このことを、あの除けの血筋の男子は認識しているのだろうかとぼんやり考える。
深雪は扉から踵を返し、近くのテーブルに鞄を再び置くと、後輩達の方を向き直って窓の外で傾きつつある太陽を見ながら促した。
「知ってること、詳しく教えて?」
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