第4話 「姿なき足音」 03 夜。見えない足音の跳梁跋扈。
夕食の席だった。
今日は初日だからということで政代さんが特別に作ってくれた田舎料理を食べていた。
ぼくたちはたたみの上で浴衣姿だった。
屋敷にはさっぱりとのりの効いた浴衣が用意されていたのでぼくたちはそれに着替えていた。
まるで旅館みたいだった。
でも雰囲気は最悪で、女の子たちはあれからひとことも口をきいてくれない。
「あらあら、そんなに怒ることかしら?」
政代さんが楽しそうに笑う。
「そうだぜ。
俺たちだってわざとじゃないんだから」
「まさか入り口は別なんだから中でつながっているなんて思わないよ」
ぼくたちは力なく弁明する。
こんな気分だから、せっかくの料理なのに味が全然わからなかった。
「そう?
ホントはのぞいてみたい?、って気持ちがあったんじゃないかしら?」
辛辣な口調で彩音ちゃんが言う。
「うーん。ま、正直言うと俺も男だから……」
「……塀が見当たらない時点で気がつくべきでした」
穴があったら入りたい心境だった。
「で、これからどうするの? 対応策を教えてちょうだい」
彩音ちゃんが訊く。
「うーん。風呂は順番制にします。
そしてふすまからのぞきません」
「同じです」
ぼくたちは頭を下げた。
「彩音ちゃん、もういいんじゃない?
だってわざとじゃないんだし……」
ほのかちゃんが彩音ちゃんを諭す。
「そうね。ほのかがそう言うんならいいわ。
じゃあ許してあげる」
ぼくたちはやっと人心地がついた気分だった。
「ただし、今夜の洗い物だけじゃなくて明日の料理当番と掃除当番もあなたたちがしてね」
明日の当番は女の子ふたりだったはずだ。
「な、なんでだよ!」
カズキが口をとがらせた。
「見物料よ。安いもんじゃない」
「仕方ないわね。
あんたたちの方がいい思いしちゃったんだから、これくらいは我慢なさい」
政代さんが笑ってそう判決を下した。
「それでは私はもう帰るから」
「帰る?
政代さんはここに住んでいるんじゃないの?」
ほのかちゃんが尋ねた。
「あら違うわよ。私にとってここは仕事場なの。
ちゃんと帰るべき家と家族があるんだから」
そう言った政代さんは帰り支度を始めた。
そのときだった。
廊下をばたばたと走る足音が聞こえてきたのだ。
ぼくたちは顔を見合わせた。
今ここにいるのはぼくとカズキ、彩音ちゃん、ほのかちゃん、そして政代さん。
……つまり全員ここにいるのだ。
「誰だっ!?」
カズキが廊下へ飛び出した。
だがすぐに首を振って戻ってきた。
「……いない」
ぼくは政代さんを見た。
意外なことに政代さんはにこにこしている。
「いったいなにがあったのかしら?」
「ど、どうしたもこうしたも……。
おばさん、聞こえなかったのか?」
「なんのこと?」
政代さんは満面の笑みだ。
「マナツ……」
カズキがぼくを見た。
ぼくはうなずく。そして彩音ちゃんもほのかちゃんも……。
「ほ、本当に政代さんは今の聞かなかったのかしら?」
彩音ちゃんが念を押すように尋ねる。
「あらあら、いやあねえ。そんな怖い顔をして」
「でも……」
政代さんはぼくたちの不安などあっさり無視すると、白いかっぽう着を脱いで風呂敷包みを手に持った。
「きっと長旅で疲れているのよ。
こんな夜はさっさと寝るに限るわ。夜遊びしたくても都会と違ってここはどこに行っても真っ暗だし」
やがて迎えの車が来て政代さんは去って行った。
門の外までそれを見送ったぼくたちは背後にそびえる黒々とした屋敷に言いしれぬ不安を感じていた。
夜の闇で互いの顔は見えなかったが笑顔を浮かべているのはきっと誰もいないに違いなかった。
「ねえ、見て」
ふいにほのかちゃんが話しかけてきた。
「すごい星ね……」
彩音ちゃんが感嘆の声を漏らす。
本当にすごい星空だった。
白く光る砂粒をぶちまけたみたいに数え切れない星たちが真っ暗な大空いっぱいに瞬いていた。
あまりの星の数で空の闇が青く感じるほどだ。
天の川はわかったけど夏の星座はまったくわからない。星が多すぎてまぎれてしまっているのだ。
「まるで……、プラネタリウムみたいだな」
カズキがボソッとつぶやく。
「あっちは偽物でしょ?
こっちが本物なんじゃない」
あきれたように彩音ちゃんが言う。
だけどこの本物の星空を初めて見たぼくにはカズキの形容がいちばんぴったりに思えた。
「これで足りるか?」
カズキが桶にくんできた水を足下に置いた。
水に濡れないように袖まくりした浴衣姿のカズキが言う。
「たぶん」
なみなみと注がれた桶の水は冷蔵庫で冷やしたみたいに冷たい。
これが冬だと暖かく感じると言うのだから井戸水は不思議だ。
ぼくたちは彩音ちゃんの言う「安すぎる見物料」の代償として裸電球の明かりひとつの台所で洗い物をしている。
この屋敷には水道がなくて外にある井戸から水を用意しなくちゃならなかったので、カズキが水くみをしてぼくが食器を洗うことにしたのだ。
皿や茶碗のほとんどを洗い終えたときだった。
カズキが拭き終えた皿を持ってあちこち歩き回っていたときだ。
「あら、ちゃんとお仕事してるのね?」
のれんを分けて彩音ちゃんが顔を出した。
どうやら着替えたらしい。
男物みたいに飾りっ気のない薄い黄色のパジャマ姿だった。でもよく似合っていた。
「おお、いいとこに来た。
この皿どこにしまうんだ?」
「仕方ないわね。
あっちに戸棚があるじゃない」
そう言って彩音ちゃんはスリッパでぱたぱた歩き出す。
おう、と応じてパジャマ姿の後ろを皿を持った大男がついて行くのはどこかおかしかった。
「お前、浴衣を着ないのか?」
皿をしまい終えたカズキが彩音ちゃんに尋ねた。
「うーん。着た感じとか鏡で見ると悪くないな、って思っていたんだけど、胸元とか裾がはだけるから嫌なのよね」
「ふーん。そんなもんかな」
そう言ってカズキはじーっと彩音ちゃんを見ていた。
「な、なによ!」
彩音ちゃんが怒ったような口調で言う。
「いや……お前のその姿。かわいいな」
「……バ、バカね」
彩音ちゃんはフンと鼻で笑った。
でもその言い方には照れがあるように見えた。
「彩音ちゃん、いる?」
ほのかちゃんが顔を出した。
その姿もやはりパジャマだった。ただし色は薄ピンクだった。
襟や裾にひらひらな飾りがついている女の子用だった。
そして良く似合っていた。
着替えた理由は彩音ちゃんと同じなんだろうけど、どおりで女の子たちの荷物が多かったのか、その理由のひとつがわかった気がした。
「どうしたの?」
「うん、ちょっと……いっしょに行って欲しいところがあるの」
消え入りそうな声でほのかちゃんがつぶやいた。
「な、なんだ? 便所か?」
カズキがからかうとほのかちゃんの顔が真っ赤になった。
どうやらそうらしい。
「ちょっと!」
彩音ちゃんがにらんだのでカズキは黙った。
そしてほのかちゃんの肩に手をやって彩音ちゃんは出て行った。
のれんの奥の暗い廊下からふたりが去る足音が聞こえて、そして静かになった。
「しかし便所なんて廊下を真っ直ぐ歩いた先だろう?
……まったく女ってやつは」
「そうもいかないんじゃない?
あのトイレはドアを閉めたら真っ暗だよ」
「そうだっけ?」
「うん。トイレの中には電球がないんだ」
トイレはいったん外に出なければ行けなかった。
瓦屋根の吹きさらしの通路をつっかけを履いて歩いた先にトイレがある。
そして明かりは通路にしかないのでドアを閉めたら真っ暗闇になってしまうのだ。
「ドアを開けときゃいいだろう?
そうすりゃ外の光が入って少しは明るいだろ?」
「うん……。
でも女の子としては、それはやっぱり嫌でしょう?」
「ふーん。まさか俺がのぞくとでも思っているのかな?」
カズキが心外だと言わんばかりの顔になる。
「さすがにもうそうは思っていないと思うよ。
でも、……やっぱりあれは怖いよ」
トイレは水洗ではないのだ。
真下に開いた排泄物が落ちる真っ暗な穴の恐怖は、男のぼくでもためらうほどだった。
しばらくしたときだった。
ぼくたちは最後の大物のしまい場所を探していた。
それはスイカを盛った大皿で一抱えもあるサイズだった。
ぼくとカズキはそれをふたりで運びながら広い台所を右に行ったり左に行ったりしていたのだ。
「そこらへ置いとけばいいんじゃねえか?」
「そうもいかないよ。後でなんか言われたら嫌だし」
そのとき足音がした。
女の子たちだと思った。
「おお、ちょうどよかった。これどこにしまうんだ?」
カズキがそう尋ねた。
でも……振り返った先に誰もいなかった。
「あれ……?」
気のせいかな?
そう思ったときだった。
――だだだっ、と足音がした。
背筋がぞぞっと冷たくなった。
板張りの床をぼくたちを囲むようにぐるぐると走る回る音がしたのだ。
……ただし姿はない。
「な、なんだ……?
昼間、玄関にいた足音だけのガキか……?」
カズキがうろたえた。
最初に震えたのはどちらが先だったのか、とにかくふたりが持った皿はぶるぶる震えていた。
ぼくは言葉が出なかった。
そして動くこともできなかった。腰が抜けているのかもしれない。
そして、きゃきゃきゃっとした声も聞こえてきた。
遊ばれている……。
そう思った。
「アッタマに来た!」
カズキはそう言ってぼくに皿を押しつけると姿なき足音を追いかけた。
だだだっ、と走る音がふたつ。
でもぼくにはカズキがひとりで走り回っているようにしか見えない。
だが……ぼくは気がついた。
裸電球のほの暗い黄色い明かりに照らされて動く影がふたつあった。
ひとつはカズキ。そしてもうひとつはその前方を走るちいさな影――三歳くらいのこどもの影だった。
着物姿で腰に帯をしていた。
「うわっと……!」
カズキが足をすべらせて転んだ。
派手な音をさせて二回転ほど回った後ようやく止まる。
すると足音はぼくの前を通ってのれんも揺らさずの奥の廊下へと去って行った。
「痛え……」
カズキがよろよろと立ち上がる。
でも怪我はないようだった。
「いったいなにしてるのよ!」
声がするとのれんを分けて彩音ちゃんとほのかちゃんが現れた。
「どうしたの?」
ほのかちゃんが尋ねる。
「うん。……出たんだ」
「足音が出たんだ」
ぼくとカズキが口をそろえて言う。
……考えたら足音が出るっていうのは少しおかしいけれど、それがいちばんぴったりの説明だと思った。
「え……?」
女の子たちが怪訝な顔になって辺りをうかがう。
「追い回したんだが、逃げられちまった」
「それでどっちに行ったの?」
「そっちだよ。お前たちが今通ってきた廊下に行った」
「……嘘」
彩音ちゃんが絶句する。
「……わ、私たちそんなの見なかったよ」
ほのかちゃんが無言で廊下を振り返った。
そしてその顔は青ざめていた。
夜になって気温が下がり始めていたのは事実だけど、素足からはい登ってくるひんやりとしたものはそれとは明らかに別のものだった。
「やっぱり、この屋敷……なにかいるんだよ。
そして政代さんはそれを知っていると思うんだ」
ぼくは言った。
「おばさんが?」
カズキがぼくを見た。
「うん。間違いないと思う」
「言われてみれば思わせぶりな態度ではあったわね」
彩音ちゃんがうなずいてつづける。
「政代さん、言ってたわね『口じゃ説明できないものが不思議と残されている』って」
「うん、まさにそれだと思うよ。
だからみんな怖くなって翌朝にはリタイアしちゃんじゃないのかな?」
「なるほどなあ」
カズキが腕を組んだ。
「でも、おばさん言ってたよな。『命まで奪われることはない』って」
「そだね」
「だとしたら気にすることねえんじゃねえか?
だって足音だけだぜ?」
「そうね。
気持ち悪いには違いないけど足音だけなら大丈夫ね」
ぼくたちの間に結論が出そうだった。
確かに怖いけど足音だけなら大丈夫だと思った。
そのときだった。
「……わ、私、帰りたい」
ほのかちゃんがちいさな声でつぶやいた。
「ほのか……」
彩音ちゃんが肩を抱いた。
「……ごめんね。ごめんね。
私が棄権したら彩音ちゃん単位落としちゃうよね?」
「……」
「……でもね。怖いの。我慢できないの」
「……」
「……私って弱虫だよね。でももう嫌なの」
ほのかちゃんは泣いていた。
顔を覆って細い肩を振るわせている。
ぼくはほのかちゃんのその姿を初めて見た。
彩音ちゃんと違ってケンカをしたりする性格じゃないけど、いつもにこにこ笑っているその態度には落ち着きみたいなものを感じていたからだ。
……ほのかちゃんは女の子だったんだ。
そんな当たり前のことに今更気がついた。
「……
カズキが言った。
「今夜は我慢しろ。
俺たちがついているから大丈夫だ」
「俺たち? 珍しいこともあるのね?
私たちが棄権したら『だから女は!』って笑い飛ばすのだとばかり思ってたわ」
彩音ちゃんが意外そうな顔をした。
「茶化すな彩音。俺にだって妥協の心はある」
「ありがと……でもそれを言うなら義侠の心だわ」
「そうか?」
「そうだと思う」
ぼくはうなずいた。
「と、とにかくだ。
俺たちがいるんだからなにも怖くないってことだ」
「ほのかちゃん?」
ぼくが問いかけると顔をあげた。
その目は真っ赤だ。
「あのさ……、朝までがんばれる?
例え帰りたくても今すぐに帰れる訳じゃないんだし」
「うん。
……ごめんね。私みんなに迷惑かけちゃったね」
「迷惑なんかじゃないよ」
ぼくは言った。
「これはぼくたち全員の問題なんだよ。
ここでリタイアしたらきっと後悔すると思うんだ」
「そうだな。
こうなったら俺たち全員で研修を乗り切ろう。学校に帰ったらみんなびっくりするぜ」
「そうね。
とりあえずは明日政代さんに吠え面をかかせてみるのも悪くないわね」
ほのかちゃんに笑顔が戻った。
「ありがとう。
そうよね? だって足音だけなんだもんね?」
ぼくたちはうなずいた。
だが甘すぎた。……そのときぼくたちは敵は足音だけじゃないことをまだ知らなかったのだ。
ここにはテレビはない。
ゲーム機もなければ、パソコンもない。
もちろんスマホもまったく使えない。
就寝時間は夜の九時と決められていたので、ぼくたちは床に就くことにした。
夜は冷えるのでタオルケットではなくて掛け布団を使うことにした。
「おばさんいねえんだから、別に時間を守らなくても平気なんだけどな」
「でも……他にすることもないし、早く寝ればそれだけ朝が早く来る気もするし」
「そうだな」
照明のスイッチを切るとふすまの隙間から隣の部屋の明かりが漏れてきた。
しばらく小声で話す女の子たちの会話が聞こえてきたが、やがて真っ暗になり静かになった。
「マナツはどこでも眠れるタイプか?」
寝息を立てていたのでてっきり眠ったと思ったカズキが話しかけてきた。
「うーん。実は枕が変わると眠れないタイプ。
カズキは?」
「うん。俺はいつでもどこでも眠れるタイプだな」
「そう言えば授業中にもときどき居眠りしてるしね」
「おう。……だけど今夜は眠れそうにないな」
屋敷の中には部分部分に常夜灯があって、たいして明るくはない。
それでも闇に目が慣れてくると、そんな明かりでも廊下を隔てる障子をぼんやり照らしているのがわかった。
静かだった。
しばらくするとカズキの寝息が聞こえてきた。
眠れないなんて言っておきながら今度はホントに眠ったようだった。
……大した神経だな。
そんな風に思っていたら、いつのまにかぼくも眠りに落ちていた。
物音に目が覚めた。
「悪い、起きちまったか?」
カズキだった。
布団から起きあがっていた。
「うん……今何時?」
「夜中の十二時だ」
「そう。トイレ行くの?」
「ああ、なんか急に行きたくなって目が覚めた」
「大丈夫? いっしょに行こうか?」
「やめてくれ。彩音たちに笑われちまう」
こう言ってカズキは障子を開けて廊下に出た。
歩くカズキの影がぼんやりと障子に写った。
部屋にあった目覚まし時計を見ると確かに十二時だった。
寝たのが九時だからあれから三時間、なにごともなく過ぎた。
夜明けまであと四、五時間くらいだろうか?
ぼくは寝返りを打つと少しの間まどろんだ。
なにか音がしていた。
とんとんとん、と軽くなにかを叩く音だ。
――ぼくは総毛立って一気に目が覚めた。
そしてがばっと身を起こして様子をうかがった。
隣を見るとカズキはまだ戻ってきていなかった。
とんとんとん。
また音がした。
隣のふすまを誰かが叩いているのだ。
「……だ……誰?」
「……わ……私」
「ほのかちゃん? どうしたの?」
ふすまを開けると真っ青な顔をしたほのかちゃんがいた。
「マナツくん。
……彩音ちゃんが帰って来ないの」
「な、なんだって!」
「トイレに行ったの。だいぶ前に」
「ひとりで?」
「うん。私といっしょだとカズキくんに笑われるから、って」
部屋をのぞくと確かにほのかちゃんひとりだった。
「妙だね。実はカズキもトイレに行ったんだ」
「カズキくんも?」
「うん。だけどまだ帰って来ないんだ」
「なにかあったのかな?」
「そうだね。
でも、例えばトイレで鉢合わせしたのなら、あのふたりだから大騒ぎになっているはずだよね?」
「そ、そうだね」
――そのときだった。
だだだっ、と、走る音が聞こえた。
廊下からだ。
ひっ、っと悲鳴を漏らしてほのかちゃんがぼくに抱きついてきた。
「……大丈夫だよ」
ぼくはそう言ってほのかちゃんの頭をなでる。
もしふだんのぼくなら真っ赤になってしまうに違いないけど、ぼく自身も実は震えそうだったのでそれどころじゃなかったのだ。
やがて廊下を行ったり来たりしていた足音は遠くへと去って行った。
「……彩音ちゃんたち大丈夫かな?」
「……そうだね。いくらなんでも気になるね」
よしっ、と言ってぼくは立ち上がった。
「どうするの?」
「心配だから見てくるよ」
「マナツくんは怖くないの?」
「……怖いさ。
でもパートナーを放って置いたら後悔するし」
ぺたんとたたみに座ったままのほのかちゃんがぼくを見上げていた。
「待って。私も行く」
ぼくたちは最初トイレに行ってみた。
だがそこには風に揺れるドアがきいきい鳴っているだけで、カズキも彩音ちゃんの姿もなかった。
だから仕方がないので戻ってみたら、常夜灯の明かりでぼんやり照らされた部屋にもふたりの姿がなかったのだ。
そして、ほのかちゃんが明かりをつけようとした。
「ほのかちゃん、待って」
「え? どうして?」
「今ぼくたちは暗さに目が慣れてるけど、明るくしたら暗いところが見えなくなっちゃうから」
「あ、そうね。……あ!」
突然ほのかちゃんが自分のバッグの中をごそごそ探し出した。
「これ役に立つかもしれない」
そう言って取り出したのは大きな懐中電灯だった。
「こ、こんなの持って来たの?」
「うん、もしかしたら必要かと思って。
……でも今まで忘れてたけど」
ぼくは差し出されたそれを受け取った。
ずしりと重い金属製のものだった。
そのとき、ずいぶん遠くの部屋でだだだっ、と走る音が聞こえてきたのだ。
足音はときには右の方で、そしてときには左の方へとずいぶん好き勝手に走り回っているように思えた。
きっとあの姿なき足音には壁とかふすまとかそういうものが障害物にはならないんだってことに気がついた。
「……行ってみよう」
「……うん」
板張りの廊下は歩くとぎしぎし音がした。
先頭を歩くのはぼく。ほのかちゃんはぼくの腕にしがみついている。
「あっちだね?」
遠くでだだだっ、と走る音がする。
「彩音ちゃんたち、そっちにいるのかな?」
「わかんない。
でも他に手がかりないし」
「……うん」
はっきり言えばぼくはへっぴり腰だった。
そして泣き出したいくらい怖かった。
そのときだった。
「……待って」
ほのかちゃんがぼくの腕を引っ張った。
「どうしたの?」
「……聞こえない?」
ぼくは耳をすました。
ずるするというたたみの上を布がこすれるような音がかすかに聞こえてきたのだ。
「……なんだろう?」
「わからないけど、あっちみたい」
ぼくたちは廊下を曲がり音のする方向へと進んだのだった。
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