第114話 覗いてみる

「は…はぁ…?なんですって…?」


アザレアの顔の眼鏡がずるりとズレてその瞳が露わになる。

握っていたペンは指から滑り落ち、積まれていた書類の山の上に落ちてわずかにバウンドした。


紆余曲折の末に正気に戻ったアザレアは今までの遅れと狂乱を取り戻すかのように仕事に打ち込んでいた。

大量の書類をそう仕組まれたカラクリのようにひたすら処理し、群がる敵をばっさばっさと薙ぎ払い、そんな様子にセラフィムも今までにない安堵を見せ、アザレアを心配するあまり取り寄せた白神領の高級菓子屋のスイーツを土産として置いて去って行った。


余談だがセラフィムの手土産はその8割がメアの胃に収まった。


そんな本来の姿を取り戻したはずのアザレアが、その瞬間世にも間抜けな彼女らしからぬ表情のまま固まっていた。

落としたペンの先からインクが書類に滲んでいるがそれを気にする様子もなくただひたすらと呆然と正面に立っている…いや、正面に立ち頭を下げている男を見つめている。


「だから…その…今まで…悪かったって…。――すみませんでした!!…って…」


大声で謝罪を口にした男…ウツギの声量にアザレアはビクッと肩を震わせる。

何らかの企みか…?と部屋のドアに目を向けるが、除き穴のようなものが開けられてる様子も隙間から誰かが覗いている様子もない。


そもそも人一倍気配には敏感であるという自負を持っているアザレアをして近くには誰の気配も感じていないのでここにいるのは正真正銘ウツギ一人だ。


しかしそうなれば余計に意味が分からない。

その行動に何のメリットがあり、どんな狙いがあるのか…どれだけ考えても答えが出ない。


「…いくらせびろうって言うの?」


なので一番可能性が高いであろう事柄に対する質問を下げられたままの頭部にむかって投げかけてみた。


「…センドウのおっさんにも同じような事言われた。改めて俺についてるイメージというか…今までやってきたことに対する評価ってのを思い知ってる。だから…信用してくれとは言えねぇし、するに値する人間だとも思ってない…それでもこれは…本当にただの謝罪だ。これまでのこと全部の…」

「なに…?どういう風の吹き回しよアンタ…正攻法じゃあ私に言い任されるからって絡めて?な、なんてズルい男なのよ。だからクズって言われんのよ!」


「…」

「ね、ねぇちょっと…何とか言いなさいよ…!アンタの狙いなんて全部わかってんのよ!?下手な演技なんか…あーもう!とにかく頭をあげろ!話し辛いのよ!」


「わりぃ…」


ゆっくりと頭をあげるウツギの表情はアザレアを嘲笑ってやろうという感情は一切浮かんでおらず、それがさらにアザレアを困惑させる。


「ていうかあんた誰よ。あのクズのふりしてどういうつもり?」

「いや…ふりも何も本人だが…」


「あのクズが頭を下げて謝罪なんかするわけないでしょ!?それになんか体つきも違うじゃない!あの男はもう少しひょろっとしてんのよ!変装するならそこらへんも調査しておきなさい!中途半端なのよ!」

「これは…その…最近いろいろやってっから筋肉がついたってか…とにかく俺だし騙そうともしてない…金の無心でもなくて…本当に謝りたかっただけなんだ」


いくら仲が悪かったと言っても10年以上もの間同じ屋敷で暮らしてきたのだ。アザレアにも正面に立っている男がウツギ本人だという事は分かっていた。


でもだからこそ受け入れられない。


「ならなに…?本当に謝罪を口にしたとして私にどうしてほしいわけ?謝ったんだから受け入れろって言うの?これまでの全部を忘れて?」

「いや!ちが…っ!」


「ならなんなのよ。いまさらそれを口にされてどうにかなると思ってるの?笑顔で仲直りをしましょうと私が言うとでも?関係の改善が図れるとでも?」

「思ってない。許されるとも…でも押しつけになるかもしれねぇって言われもしたけど…でもやっぱ何にもならないからって謝りもしないのは違ぇって…思ったから。これまでを取り返そうとは思ってない…でもこれからは…少しはマシな奴になりてぇって思ったんだ。ただそれだけで…俺なりの筋を通しに来たってだけなんだ」


「そんな自分勝手な…ほんとに自分本位なやつね。なにも変わらないわアンタは」

「ほんとにな」


ウツギは思わず自嘲気味の笑みを漏らし、アザレアがメガネの位置を直す。

しばらく無言で見つめあった後に…ウツギはアザレアの前に積まれている書類に目を向けた。


「なぁそれ…領の仕事…」

「なによ?」


「俺にも…なんか出来ることはないか。重要な機密とかのやつはもちろん見ない。でも本来なら俺もやらないといけねぇことだったろ…?だから雑用とか…力仕事でもいい。お前に押し付けてたものをいくつかあらためて俺にもやらせてもらえないか」

「…無理に決まってるでしょ」


「…だよなわりぃ」

「そうじゃなくて…仕事ってのは一人が二人になったからって楽に回ったりはしないの。一人で回るようになっていた仕事を、まずは二人に分配、調整してそこからさらに試行錯誤を繰り返して二人で回るようシステムを構築してようやく一人の時よりも楽になるのよ。だから突然任せろと言われてもすぐには回せない」


「それってつまり…しばらくすれば俺にも何かやらせてもらえるって事か…?」

「はぁ…アンタも自分で言ってたけど、アンタがやらないといけないことも私が負担してたのよ。調子に乗るな」


「悪い…」

「ぐっ…調子が狂うわね…まぁいいわ。時期がきたらそっちにも仕事を回すから…嘘じゃないっていうのなら行動で示して」


そう言うとアザレアはウツギから視線を外し、落ちたペンを拾った。

インクが滲んでしまった書類はそれほど重要ではなかったのかそのまま丸めて捨ててしまった。


「俺…一切は無理かもしれねぇけど…なるべく邪魔にならねぇようにすっから…その…体のいい使いっぱしりがほしくなったら呼んでくれ。あと…謝罪を聞いてくれてありがとな」

「気持ち悪いのよ。聞いただけで受け入れはしないし、今後関係が改善されるとは私は思わない。ただ…私もアンタを一方的に糾弾できるほど大した人間じゃないってだけよ。アンタの父親を殺したのも私だしね。お互いさ――」


「いや。悪いのは俺でこの家だった。お互い様なんかじゃねぇよ」

「…そう。話が済んだのなら戻ってくれる?仕事の邪魔だから」


「あぁ悪かった。さっきの使いっぱしりって話…マジだから。やれることは何でもするからさ…よろしく頼む」


その言葉にアザレアは何も返さなかった。

ウツギが部屋を出ていったのちにしばらく書類と向き合い…不意に椅子に背を預けて…。


「はぁ…」


と一人大きなため息をつくのだった。


────────────


「ほーらうさタンク―。やーれーうさタンクー」


じゃれついてくるうさタンクをつついてかまってあげている私こそブラックドラゴン界でも屈指の面倒見の良さを誇ると話題沸騰中のメアでございます。

なんとブラックドラゴン界隈でも面倒見の良さでトップ2に入るほどだ。


「うさうさうさうさうさタンクーとうしてそんなにおめめが赤いのかー」


歌を口ずさみながら遊んであげていると機嫌がよさそうに甘えてくるので可愛い奴である。

しかしこのうさタンク…最近成長が著しく、このままでは私をすぐに追い抜いてしまうほど大きくなるのではないかとさえ思ってしまう。

そう遠くない未来でこんなふうにじゃれ合うのは体格的に難しくなるかもしれない。


そう思うと嬉しくもあり、すこし寂しくもある。

ネムの時もにも感じた親ならではの哀愁と言ったところでしょうかねっ!


「それにしても今日のご飯は美味しかったな―。妹がいっぱいお肉持ってきてくれたからいっぱい食べちゃったねぇうさタンクー」

「――」


たまにだけど妹は大量の獣肉を持ってくることがあって、そのときはみんなで焼肉パーティーを楽しんでいる。

焼肉…いいひびきだよねぇ~…この普段はおしとやかな私でさえ、無限に飲むように食べてしまう。

なんなら待てなさ過ぎて生で食べようとしてしまい怒られる始末だ。

生でも美味しいのに…まぁ人間は生でお肉を食べちゃいけないらしいし仕方がないね…ドラゴンだけど仕方ないよね…うん…。


でも焼肉でテンションが上がるのは私だけではないようで、みんなこの日ばかりはたくさん食べる。

うさタンクでさえもしゃもしゃと飲むように食べていた。


でも凄いのは妹だ。

あの子は当然私ほどではないけれどそれでもいっぱいお肉を食べる。

焼肉パーティーで最後の最後まで食べているのは私と妹だ。


たくさん食べているからあんなにいろいろなところにお肉がついてぶるんぶるんしているのだろうか?

…ならば私にももう少し膨らみができてもいいのではないだろか。

お胸とかお胸とかお胸とか。


山に住んでいたイルメア時代の時でも私の胸はぺったんこだったことで有名だ。

いや…ぺったんことまでは言わないけど、ネムに抜かれた時はさすがに謎の敗北感を感じたものだ。


「むー…ねーうさタンクーなんで妹はあんなにないすぼでーなのかな~?」

「――」


しゅたっとうさタンクが私から離れて部屋の外に走り出した。

どうしたんだろう?と思っていたらすぐに戻ってきて私にこっちにこいとばかりに手招きしてくる。


最近はアザレアとノロちゃんがなにやら話し合った結果、私にも一人で暇な時間が生まれたし、今は特にやることもないのでうさタンクの後についていく。


てくてくと歩いていくと妹の部屋の前にたどり着き…耳を扉に当てた。

何をしているのかと思っていると何やら声が聞こえてくる。


どうやらそれは扉の向こう側から聞こえてくるのだけど、それにしてはやけにはっきりと聞こえてくる。

うさタンクが何かをしているのだろうか。


「お肉――いっぱい――た?」

「うん…――でも――れ以上――は」


聞こえ来る声は二人分。

最初に聞こえたほうがエクリプスちゃんで次が妹だろうか?


「うふふふふ…――じゃあ――も――ほ――脱いで――今日は胸と…あと太ももも――」

「まってエクリプス――これ以上――されると――邪魔に――」


「大丈夫ですよぉ――ちゃぁんと計算――すからぁ――」

「んっ…――…あっ…――」


なんというか…会話の内容は聞こえてくるとはいえ、全部は拾えないから理解できないけど、盗み聞きは良くないよね。


「こらーだめだだよーうさタンク。お行儀がわるーでごぜーますよん」

「――」


この子の親としてダメなことはダメだって教えてあげないとね。それが責任というものザマス。

そうして親らしいことをしたのちにちょっとしゅんとしたうさタンクを連れて部屋に戻りましたとさ。

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