幼女ドラゴンは生きてみる

第106話 止まらぬ呪い

　それは病のように爆発的に、そして瞬間的に広がっていく。

「いやぁあああああお父さん！！」

首が落ちた父の亡骸に悲鳴にも似た叫び声をあげながらカナリが近づきその身体に触れようとした刹那…カナリの首も胴体からズレるようにしてゴトリと地面に落ちた。

「うわぁあああああああ！！シルモグ様とカナリ様が！」

教徒たちを取り仕切る二人の死に次々に恐怖からの悲鳴が上がり、耳障りな合唱が出来上がる。

しかしそれも数秒ごとにどんどん小さくなっていく。

なぜなら一人、また一人と首が落ちていくから。

逃げる暇もなく…そして自覚することもなく首と共に命が落ちていく。

始めはリムシラの亡骸のすぐ傍でのみ起こっていたその現象は、次第に円形に広がっていき一連の騒動から逃げ出していた者たちまでもがその被害に晒されていく。

「ひっ…きゃあああああああ！！」

リンカはともに逃げていた教徒の女性の首が突然落ちたその光景に理解するよりも早く叫び声をあげる。

次はその隣の、そして隣…さらに隣。

計四つの首が落ちて、次はリンカの番。

「い、いや…」

首に微かな…本当に微かな違和感を覚え、同時に見えた。

自分に迫ってくる黒く悍ましい靄のようなものが。

その靄がリンカに取り付こうとした瞬間、庇うようにして全身に漆黒の鎧を纏う女騎士が現れ靄を受け止め、そして散らした。

間一髪のところでリンカは女騎士により一命をとりとめたのだ。

「た、助かった…の…？」

「…」

少しだけ冷静になり、どうやら眼前の一切素肌の見えない女騎士が助けてくれたらしいことを理解したリンカは頭を下げてお礼を口にした。

「あ、あの…ありがとうございます…あなたはいったい…」

「…まだ安心はできない。我とて何度もあれを受け止めることはできない。限界が来るまでに対処を…くっ…主からこの地を任されたというのに…」

「主…？もしかしてメア様の…」

「今は会話をしている場合ではない。靄が見えたら我を盾にせよ。そしてこの場を離れつつ呪を放つ石を回収する。見つけたら決して触れずに我に知らせよ」

「石ですか…？」

「あの女との戦いの後、気が付けば奴の手の内から呪石が姿を消していた。必ずどこかにあるはずだ。この騒動を納めるにはそれを何とかするしかない。死にたくなければ協力せよ…安心するがいい。汝は我が守る」

「え…あ、はい！」

鎧の女騎士…うさタンクはリンカの手を引いて再び走り出した。

なぜうさタンクがリンカを守ったのか…その理由をリンカは知らない。

────────────

アザレアとセンドウが現場に駆け付けた時、すでにその場には枢機卿リムシラと、国民たちの死体で溢れかえっているのみだった。

うさタンクが戦闘をしていると聞かされ何の冗談かと思ったものだが、すでに枢機卿が討ち取られていることから何かが起こったのは間違いないらしい。

だがそんな終わったことよりも、進行形で起こっていることの方が問題だ。

「これは…まさか逆適応、ですかねぇ…？」

「逆適応？センドウ知っていることがあるなら話せと言っていたはずよ」

「いえ～…これは知っているというよりも噂と言いますか信憑性が…」

「センドウ！」

「っとぉ失礼。科学者の悪い癖でしたねぇ…今は眉唾でも情報が重要…ですからねぇ。逆適応というのは呪骸がもつ…とされる最も質の悪い性質の事です。枢機卿と呼ばれる方たちは呪骸を自在に使いこなすことができる…そしてそれとは逆に呪骸に対して「逆適応」と呼ばれる現象を引きこしてしまう者がいるそうなのです」

「逆…という事は呪骸を使いこなすのではなく、そのものに振り回されるとでも言うのかしら？」

「ええそうらしいですねぇ…いえ、むしろもっと悪い。呪骸が逆適応する者と接触するとその呪骸が持つ死の力を何倍にも高め、そして無差別に周囲に拡散させてしまうそうです。逆適応者の生命力を媒介として」

「…操るのではなく、喰われながら呪を拡散する苗床とされる…なるほど確かに「逆適応」ね。ということはつまりどこかにこの枢機卿が持っていた呪骸に逆適応した誰かがいるという事よね？ならそいつを探さないと」

歩き出そうとしたアザレアの腕をセンドウが掴んで引き留める。

「なに？まさか止めるつもり？」

「ええさすがに我々の手には余る事態かとぉ。ここまでこれたのは運が良かっただけで次の瞬間には彼らと同じように首が狩り取られるかもしれませぇん。この事態を何とかするには逆適応した者を殺すか呪骸を回収するしかないと思いますがぁ…近づけば死は確実でしょう。出来ることはないかと」

「だからって逃げてもしょうがないでしょう。次の瞬間に首が飛ぶのかもしれないなら逃げ場なんてないわ。なら動くしかない！見つけ出せればそれでいいのよ。特定さえできれば狙撃でも何でもできる」

アザレアが人差し指で近くにあった木を指差し…そこから紫色の何かを発射した。

それは毒の塊であり、指を起点として高速で発射したのだ。

毒の弾が命中した木は瞬く間に着弾地点から溶かされはじめ、１０秒もしないうちに完全に穴が空いて向こう側を見通せるようになってしまった。

「…なるほどぉ貴女の多才さには驚かされるばかりだぁ…しかし…」

「うだうだうるさいわよ。アンタが何を言おうとやるしかないのは変わらな――センドウ！」

アザレアが突如としてセンドウの身体を巻き込んで地面に転がった。

そしてその頭上を黒い靄が通り過ぎていく。

「あれは…」

「嫌な予感がしたから飛んだけど…あれが呪いってことでいいのかしら？」

「ええおそらくは…しかも目視できるほどに力が強まってきていますねぇ…これは本格的にまずいですよぉ…このままではこの国の人間すべてが首を失くすことになる…ひっひ！」

「笑ってる場合じゃないわ！まだ追って来る！走るわよ！逃げながら逆適応した誰かを探すしかない！」

「ひ…ひっひ！まさかここにきて肉体労働とは…！私はインドアなタイプですのにねぇ…！ひっひ！！」

すぐに体勢を立て直し、襲い来る靄から逃げるために二人は走った。

周囲には数えることすら億劫なほど首のない死体が転がっていてセンドウの言った国民が殺し尽くされるという話に信憑性が生まれていた。

「くっ…本当にジリ貧じゃない！何とかできないのセンドウ！」

「出来るのなら…すぐにでも！やっている、と思うのですがねぇ…！ひっひ！ひっひ！」

二人を追う靄は時間と共にその大きさと濃さを増していき、さらには背後からだけではなく上や左右からもやってくる。

一瞬でも気を抜けばすぐに首なし死体へと変えられてしまうだろう。

さらにどれだけ運よく逃げ続けられたとしても、相手は呪いという実体のない何かでアザレアとセンドウはただの人間だ。

やがて体力の限界が来て追いつかれてしまうだろう。

逆適応者を探そうにも、そんな余裕はなく…二人の脳裏に「死」の文字が浮かびかけたその時。

「おーい！お前ら！こっちだ！」

遠くから二人を誰かが手招きしていた。

青い髪の筋骨隆々の大男…ブルーだ。

その後ろにはぬいぐるみを抱えたリョウセラフの姿もあり、騒動を聞きつけどうやら出てきてしまったらしい。

「あの二人！隠れておけって言ったのに！」

「しかぁし…！はぁ…はぁ…！今は彼らに助けを求めるしか…！枢機卿もすでに亡くなられている…ようです！しぃ！この状況で出てくるという事はなにか、対抗手段が！あるの、では」

「…それに賭けるしかない、か…！」

アザレアは体力が限界のセンドウを引きずりながらブルーの背後に向かって滑り込んだ。

「青龍！あなた呪骸に対してなにか対抗手段があるの！？」

「ああこの俺を誰だと思っている。世界の根源たる魔法を司りし龍ぞ」

ブルーはアザレアたちを背後にし、一歩前に出る。

黒い靄はもはや巨体であるブルーさえも飲み込んでしまいそうなほどに肥大化しており、そこに込められた死の力は計りようもない。

そんな絶望を前にもはやブルーを頼るしかないとアザレアとセンドウは希望を託し、見守っていたがブルーは佇み、靄を見据えたまま動こうとはしない。

「ちょっ！もう追いつかれるわ！何をぼさっとしてるの！魔法の力を見せてよ！」

「逸るな。すでに準備は…終わっている！！ふんっ！！！」

ブルーが脇を締め、靄に向かって胸を張る。

引き締められた脇から伝わるように大胸筋が隆起し、ピクッ！ピクッ！とまるでそれ自体が一つの生き物化のように脈動する。

後年…もしくはこことは違う世界ならば何らかの名前が付いたであろう筋肉を見せつける美しいポーズをブルーはとっていた。

「な、なにを…しているの…？」

「見ればわかるだろう。俺は日々この肉体を、筋肉を育て上げてきた。特にこの自慢の大胸筋には心血を注いだものだ。来る日も来る日も苦しいしごきに耐え続け…俺と共に成長してきた筋肉たちならば！呪骸程度弾き飛ばすことなど容易いはずだ！！」

「馬鹿ーーーーーー！！！！！」

「ひっひ…これはさすがの私も予想外だぁ…面白いですねぇ…！ひっひ！」

完全に選択を誤った。もはやこれまでだ。

アザレアはもはや瞳を閉じることしかできなかった。

そして靄がブルーの大胸筋に殺到し…。

「むぅん！！！こ、これはなかなか…！厳しいか！？」

「やる前にわかるでしょうがそんなもん！！」

「いいや！まだだ！思い出せ我が大胸筋よ！あの辛く厳しく…それでいてやり遂げた満足感もあったあの修行の日々を！そうだ！こんなところで倒れる俺とお前ではない！吻ッ！！」

アザレアは目を疑った。

先ほどまで呪骸の靄に飲まれかかっていたブルーが靄を押し返し始めたのだ。

「そうだ！これが俺たちの力だ！そしてまだ限界のその先が残っている！！行くぞ大胸筋よ！破ァーーーーーー！！！！！！！」

完全に靄はブルーの大胸筋に押し返され…霧散して空気の中に溶けて消えてしまった。

筋肉が制した戦いを見届けたアザレアは言葉もなく口をパクパクとさせ、センドウは壊れた道具のように「ひっひ！」と繰り返し笑っていた。

「ふぅ…何とかなったな。さすがに俺の大胸筋もつりかけたが…ふっいい経験を得られた。この痛みが引いた暁には筋肉たちは更なる力を得ていることだろう」

「もうなんでもいいわ…そんなことより貴方たち状況は理解してるかしら？呪骸を持ってるやつを探してるんだけど心当たりとかない？」

「ああこちらもその関係で移動している最中だったのだ。実はリョウセラフのやつがとある気配を感じてな」

「リョーちゃんが？」

大胸筋が靄を弾き飛ばすという大騒動をぼやっとした表情で見守っていた小さな少女にアザレアは視線を向ける。

「まさか呪骸の位置がわかるの…？」

「いいや、リョウセラフにそんな能力はない。詳しくは話せないが察知したのは別のものだ。この子が司っている概念に関係するものだと思ってくれ。正体は明かせないがな…しかしまぁなんだ、そこに呪骸がある可能性はかなり高い。俺の大胸筋が通用することが証明されたわけだし、行ってみる価値はあるだろう」

どこか納得できないものを感じながらも情報がないのも事実…アザレアはブルーたちと共にリョウセラフが感じた気配のもとに急いだ。

────────────

「っ…ァ…あ、に…き…」

「くそ！なんなんだよこれぇ…！！！」

騒動の最中、ウツギのその身にある異変が起こっていた。

左腕から黒い靄を吐き出し続けながら、仲間の男の首を掴んで締め上げていたのだ。

「くそくそ！俺の腕なのに…なんでいう事を聞きやがらねぇ！勝手に動くなぁ！！」

ウツギの周囲にはすでに変な方向に首を曲げて絶命している者たちが数名おり、現在首を掴んでいる男の他にも何とかウツギの腕から男を解放しようと何人かの仲間たちが努力していた。

「うぎぎぎぎ！アニキの手びくともしねぇ！」

「何なんすかこの靄！」

「俺が知るわけねぇだろ！なんか急に変な石が落ちてきたと思ったら急にこんな…！うぐぁああ！！？」

そう、逆適応者はウツギだったのだ。

なぜその斬首の力がウツギの仲間たちに作用していないのかは定かではない。

しかしこのままでは確実に一人残らずウツギの左腕によって首をへし折られて同じ結果となるだろう。

それはまるで…逆適応者に対する悪意のようだった。

「くそがぁ！てめぇら俺から離れろ！このままじゃお前らも…！」

「ンなこと言われてもアニキとこいつを放っていけねぇでしょう！？」

「そうっすよ！俺ら仲間意識だけが取り柄みたいなところあるんすから見捨てられねぇよ！」

「っ…！な、なにが仲間だ！調子に乗るなカスども！！俺様はこの国を統治してるエナノワールだぞ！？てめぇらみてえなゴミカスどもと仲間なわけねぇだろうが！！暇だから…！遊んでやってただけなんだよ！ボケどもが！」

「いやいや！アニキも十分俺らと同じゴミカスっすよ！じゃねぇと俺らもアニキなんて呼ばねぇっす！」

「んだんだ！地位のあるゴミカスっすよ！」

「なんだと！？ざけんなよコラァ！！」

そうこうしている間にもウツギに首を掴まれている男の顔色は青白く変色していき、泡のようなものを吐き出している。

他の仲間たちも逃げようとしない。

ウツギはどうすればと周を見渡し…それを見つけた。

「うぐぐぐぐぐ…！ちくしょうがー！！」

渾身の力でウツギは掴まれている男を蹴り飛ばし、なんとか腕の中から逃がす。

だがウツギのものであってすでに支配を受け付けていない左腕は次の獲物を探して動き始める。

そんな腕を右腕で抑え込みながら…ウツギはその場所に走った。

取っ組み合いになった時に崩れた建物の柱…もともと古くなっていたのか誰も住んでいなかったその建物は面白いように崩れて割れた柱の一部が刃物のように尖っていたのだ。

(そんなこと…出来るわけがねぇ…！わけがねぇけど…)

左腕は関節の動きすら無視して動き始め、ウツギ自身にも激痛を与えてくる。

このままでは体力も消費し、やがて完全に左腕に乗っ取られてしまう。

行動するのはギリギリ動けている今しかない…ウツギは全身に汗をにじませながら尖った柱に向かって腕を構える。

「はぁ！はぁ！はぁ…！はぁ…！」

「アニキ！何をするつもりっすか！」

「やめるっす！アニキ！何か方法があるはずっすよ！」

「うるせぇ！！当り前だ！誰がやるかこんなこと！でも…」

ウツギが一瞬だけ背後に視線を向ける。

そこには自身の左腕が首を折った仲間たちの死体が転がっていて…。

「クソクソクソクソクソ！！！クソがぁああああああーーーーーーーー！！！！！！！！！」

右腕で勢いを付けながらウツギは柱に向かって左腕を叩きつけようとした。

そんなことをすればどうなるか…結果は分かり切っている。

それでもウツギはそれを実行に移した。

覚悟もなければ勇気もない。

それでも…やるしかなかった。

そしてそんな腕を…一回り以上大きな別の腕が横から割り込んできて止めた。

「あ…？」

「よく決断したウツギ。やはりお前は根性がある…誇れよ。お前は確かに漢だ」

「オッサン…なんで…」

ウツギの腕を止めたのはブルーだった。

ブルーはウツギに優し気な視線を向けると拳を握りしめ…ウツギの腹に叩きこんだ。

「あとは任せておけ」

想像を絶する衝撃がウツギの身体の中を駆け巡り、強烈な吐き気と共に意識が途切れた。

その後ブルーの尽力もあり、呪骸はウツギの左腕から取り出された。

それを回収することはできず、その場に放置されたが騒動はなんとか収束を見せた。

数えきれないほどの犠牲を残して。