第107話 否定してみる/始まりの分岐点

「うっ…」


黒神領に戻ってきてまず最初に感じたのは異常な吐き気だった。

いつもならここで私はブラックドラゴン的な挨拶から始めるというのに、吐き気が凄すぎてそんな余裕すらない。


一仕事終えて…今の私が一番安心できる場所。

皆がいるその場所に帰ってきたはずなのに、知っている場所じゃない。

黒神領全体に気持ちの悪い物が蔓延していてどうしようもなく気持ち悪い。


「姉さん…?大丈夫?」

「おぇっ…」

「あ!ソードぉ~メアさん戻してしまいましたぁ~!」


「え!?ちょっ!姉さんやっぱり体に異常が出てるんじゃ…!」


我慢できなくて吐いてしまったので妹たちに心配をさせてしまった。


大丈夫だよ、心配ないよって言いたいけれど…嘘でもそんなことを口にできないほどに大丈夫じゃないんだ。

なんでこんなに…気持ち悪いのでいっぱいなの…。


「とにかくぅ~早いところ休ませた方がぁいいんじゃぁ~?」

「だね。抱えるよ姉さん」


少しの浮遊感の後に妹にお姫様抱っこで持ち上げられる。

普段より高くなった私の視線の先に…ノロちゃんの姿が見えた。


「ノロ…ちゃ…ん…」

「っ!?」


近くの木の枝に首を吊られるようにして揺れているノロちゃんの姿を見て妹とエクリプスちゃんが凍ったように動きを止める。

そんな二人の様子なんて目にすら入ってないと言わんばかりにノロちゃんは私だけを見つめていた。


「我が…伴侶、さま…これ以上先に…行ってはなりません…ここからの道は…血を吸った鮮花で…舗装された、紅き路…黒く閉ざされた…空の下で…あなた様は扉に迎え入れられることに、なる…ならば…この先へ進んでは…なりま、せん…」

「…」


ノロちゃんの言葉は爪の先ほども私には理解できなかった。

何かを忠告してくれてるみたいだけど…なぜか逆に進まなくてはいけないって気になった。

私はどれだけ気持ち悪くても、何が待ち構えていたとしても進まなくてはいけない。

ここで引き返したら何か取り返しのつかないことに…大切な何かを失くしてしまうような予感があった。


込み上げてくる吐き気を飲み込んで妹の腕の中から飛び降りる。

そして気にぶら下がってるノロちゃんのもとまで重たい脚を引きずって向かう。


「…ノロちゃん」

「行っては…なりません…」


「うん…でも…行くよ…あとこれ」

「…」


ノロちゃんの手に銀神領で手に入れた呪骸を握らせて…私は走った。

進めば進むほど気持ち悪いのが濃くなっていくけど…それでも脚を止めない。


どん気持ち悪くなって、心臓がバクバクして…不安になって怖い。

でも、でも、でも…それでも。


なにが「でも」なのか、なんで「でも」なのかわからないけど…行動しようと思ったのならとりあえずやれ。

そう母も言っていた。

だから私の行動はきっと正しいはずだから…。


そして私はアザレアの屋敷に…私が帰るはずの場所にたどり着いて、そして見た。


「なに…これ…」

「あ…メアたん…!?ちょ、今は…!」


久しぶりにあったような気さえするアザレアが必死に私からそれを隠そうとしたけれど、もう見てしまった。

お屋敷の庭に並べられたたくさんの死体。


大半は袋の中に収められていたけれど、まだむき出しの状態のそれもあって…どれも首が切れている。

そして不思議なことに私はその死体の山の一人一人が誰なのか正確に把握できた。


袋に入ってるものは顔すら見ていないのに…把握できた。

いつも一緒にご飯を食べていた教徒のみんな…シルモグにカナリの死体もある。


いつも野菜をくれたお婆さんに、家畜の世話が上手なお兄さん。

以前いた場所で大工さんをしていたからと工事を張り切ってたおじさんに…たまに商人さんが持ってきてくれるお菓子をわけあっておいしいねって笑いあったちびっ子たち。


みんなみんな死んでいた。

黒い靄に覆われて…確かに生きていたはずなのに死んでいる。


「め、メアたん!おかえりなさい!疲れたでしょ?ね?ほらお部屋に戻りましょう?一回お昼寝しましょう?ね?」

「アザレア…なにがあったの…?」


「何もなかった…なんて言って納得してくれるわけないわよね…」


そしてアザレアから何があったのかを聞いた。

なんで…なんでよりによって私がいなくなったタイミングでそんなことが起こってしまったのか。


いや…これは私が悪いんだ。

皆を守ると言ったのに…守れなかった。


ふと視線を感じてそちらを見るとリンカちゃんとその腕に抱えられたうさタンクの姿が。

よかった二人は無事だったんだね。

でも…無事でなかった人たちがあまりにも多すぎる。


…どうして私はこんなに動揺しているのだろうか。

死なんて世界にはありふれているというのに。


そう…生きているのなら死ぬのなんて当たり前なんだ。

母だって…あんなに強くて最強だった母でさえ死んでしまったのだから。

だから死ぬのなんて珍しい事じゃない。

今回はたまたま運が悪くて一度に起こってしまっただけ…そう割り切ればいいのにそれが出来ない。


なにより…死体に纏わりついている黒い靄が…それを受け入れさせない。

これはダメなのだ。

この靄による死は…正しくない。


この死達を私は…ありふれたものだと、誰にでも起こるモノだと受け入れられない。

だから私は…これを否定しなくちゃいけないんだ。


その瞬間、私の中から強大な力の奔流のようなものが沸き上がって…爆発した。

まるで今まで閉じていた蓋の鍵が開いたかのような感覚がしていて…。

この力の赴くままに私はその言葉を口にする。


────────────


「きゃあああ!メアたん…!!」


突如としてメアを中心に爆発的な力の流れが構築された。

それは物理的な圧力となって衝撃を起こし、たまらずアザレアは身を守った。


その以上に膨れ上がった力に釣られたのか生き残った人々や、ソード達にブルーとリョウセラフ、そしてセンドウまでもがその場に集い、メアを中心に渦巻く謎の力の奔流に目を奪われた。


爆発的に周囲に流れ出ていた力はやがてその中心にいるメアに収束し始めた。

それと同時にメア本人にも変化が現れる。


力の流れに煽られて舞い上がる漆黒の長髪が別の色へと変わっていくのだ。


その色は燃え盛る炎のようだった。

その色は身体の中で流れる血のようだった。

その色は生命の中心で鼓動を刻むそれのようだった。

その色は…命の色だった。


「やっぱり…銀神領で見たあれは…見間違えなんかじゃなかったんだ…!姉さんの髪が…赤く…!」


やがて力の奔流がすべてメアの中に吸収され…静寂が訪れた場所に静かに、それでいて力強い声が流れた。


「我こそは…「――」」


その時、アザレアたちはようやく呼吸が出来るようになった。

当然今までも呼吸はしていたはずだが、それでもようやく息が出来るようになったと思ったのだ。


黒神領を覆っていた目に見えない邪気のようなものがきれいさっぱりと消え去り、正常な空気が流れ込んできて肺を満たす。

あぁこれほどまでに…空気というものは美味しいのだと誰もが思った。


そして奇跡は起こる。


「死体が…」


それは誰のつぶやきだったのか。

もしかするとその場の全員のつぶやきだったのかもしれない。


それがあまりにも現実離れしていて…まさしく奇跡と呼ぶしかないものだったから。


屋敷の庭に集められていた死体が…首の切れていたすべての死体が元通りの正しい姿を取り戻したのだ。

悍ましい惨殺死体ではなく、綺麗なままの姿を。


「そんな…どうなって…」

「これはすごい…魔法なんてものではないですねぇ…まさに人智を超越した奇跡の執行だ…ひっひ!」


アザレアとセンドウは近くにあった首のつながった死体に手を伸ばす。

そして限界以上に目を見開いて固まった。


死体に触れていたはずの指先に温かさを感じたのだ。

それどころかドクン…ドクン…と生命の鼓動さえ感じる。


その日その場所において小さな龍は世の理に反する奇跡を起こしたのだった。


────────────


もう何日になるだろうか。

赤神領のとある場所にて赤き龍と教皇の戦いは止むことなく続いていた。


「んふふふふ!楽しいねぇ~…ほんとキミは此方の暇つぶし相手に最適だよ」

「どこまでも人を馬鹿にする。いつまでもそうやって有利な位置で見下せるとは思わないことだ!」


龍の爪と教皇の剣がぶつかり、火花を散らす。

鍔迫り合いの中で向かい合っていた二人だったが、その異変は突然起こった。


「んっあ…!?ぐぃぎぃ…ぁ…!!!?」


突如として紅龍が胸を押さえながら崩れ落ちたのだ。

教皇の攻撃によるものではない。

それは教皇自身が一番よくわかっている。

ならばなぜ…?教皇は紅龍に近づき様子を伺った。


相容れない相手ではあるが紅龍と教皇はとある目的のもとで手を取り合った協力者だ。

ここで何かがあれば困るのだと手を伸ばそうとして…教皇の目に異常な光景が飛び込んできた。


「クリムゾン…貴様…その髪は…」

「はぁっ…!はぁっ…!か、み…?」


荒く息を繰り返しながら紅龍は長く伸ばされた髪を一房、指に絡ませ顔の前に持ってくる。

その色は…痛々しいほど鮮明な赤ではなく…全てを飲み込む闇のような黒に変わっていた。


「黒い…」


紅龍はふらふらと立ち上がり力任せに何本か自らの髪をでたらめに引き千切る。

何本抜いてみても抜け落ちるそれは黒い色をしていた。


「あはっ…あはは…あははははははははははははははははははははははっ!うふふふふっ!あーっははははははははははははははは!!ぷくくくくっ…ふはっ!!ははははははははははははははははははははは!あーっはっははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!」


狂ったように、文字通り床に身を投げ出して龍は笑い転げる。


「ねぇ見て!ほら!黒!真っ黒!どう見ても黒いわ!真っ黒よ!あはははははははははははははははっ!!!!!!!!!」

「どういうことだクリムゾン!その髪は一体…お前は何をして…説明しろ!」


「うふふふふ!はははははは!あーっはははははははは!!!!!」


教皇の言葉も聞かず、龍はひたすら笑う。

喉が裂け、血を吐いてもそれでも笑い続ける。

笑いながら暴れ狂っているせいか何度も床を殴りつけ拳は赤く染まっている。

何度も何度も周囲を引掻いたせいで爪も剥げかかっている。

それでも笑うのをやめない。

教皇はコイツは完全に壊れてしまったのかと呆然とその狂った光景を眺めていた。


しかし不意にその笑い狂いは終幕を迎える。

気が付けばその髪は再び赤色に戻っていたのだ。

それと同時にぴたりと紅龍は笑うのをやめた。


「あらま残念。戻っちゃった」

「お前…今のはなんだ!何を隠している!」


「いやん怒鳴らないでよ。せっかく気分がよかったのに水を差さないで欲しいなぁ全くぅ~」

「いい加減ふざけるなよ貴様…先ほどの光景を何も説明せず済ませるつもりか」


「んふふふふ!まぁまぁそう怒らないでよ。もう此方とあなたが喧嘩する必要もなくなったことだし」

「…なんだと?」


紅龍は真っ赤な髪をくるくると舞わせながら可憐な少女の顔で美しく笑う。

親にずっとほしかったプレゼントを買ってもらえたような…そんな心からの笑みだ。


「長い間待ってたかいがあったね。ようやく時が来たよ。私とあなたの壮大な悪だくみの最後のひとかけらが揃った…ほんとに…ほんとうにずっと待ってたよ「―――――」」

「…そうか。ならもう始められるのだな?」


「うん。この時ここからようやくね!さぁ始めましょう誰もが夢見た楽しい楽しい茶番劇を!うふふふふふふふ!!楽しくなってきたね!此方も柄にもなくテンションがあがってきたよぉ!とりあえずまずは「あの子」に声をかけて~…いいやその前に――会いに行ってみようかな?ようやくだ、ようやくだもんねぇ!一目だけ会いに行こう!そうしよう!うふふふふふふ!!あ!そうだそうだ今日から本格的に黒神領に手を出すことは一切禁止だから。今までは少し甘くしてたけど今日からは破ったら枢機卿でも殺す。私が直々にね。それを徹底しておいてね?戦力を減らしたくはないでしょ?でしょ?んふふふふふふふ!」


――あぁ楽しい!

そう言いながら紅龍はしばらく一人っきりで闇の中…踊り続けていたのだった。

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