第105話 勝利と敗北2
それは誰が見たとしても異様に映る光景だった。
首が切断された死体が転がるその場所でまるで愛しい子を見守る母親のように優し気な笑みを浮かべたシスター服の女…リムシラと一切の隙なく全身に黒のフルプレートの鎧を纏った女…うさタンクが向かい合っているのだ。
説明しろと言われて正しくそうなっている理由を口にできる者など一人もいないだろう。
「うふふっ」
「…」
二人は向かい合ったまま動かない。
いや、正確に言うのならリムシラは姿勢を変えてみたり指を頬にあてたりと意味のない…人間であるのなら無意識に行うであろう動作は行っていた。
対するうさタンクはまさに不動…身じろぎ一つすら見せてはいない。
しかし時折カチャ…カチャ…と鎧が擦れる音が風に乗り聞こえてくる。
それはその鎧の下の殺気が伝わってきている故なのか…。
そんな膠着状態を先に破ったのはリムシラだった。
「はぁ…」と艶を帯びた吐息を漏らし、恍惚とした表情で口を開く。
「あぁ…なんと私は幸福な女でしょう。このようにたくさんの穢れた魂が救われる現場に居合わせるだけでなく、あなたのような醜悪な魂すらも救うことができるなんて…!」
くるくると丈の長いシスター服を翻しながら楽し気にリムシラは笑う。
その容姿も、声色も、表情も、何もかもが邪気のないまさに聖母のように優し気なものだと言うのに、周囲で事の成り行きを見守っている者たちにはその姿が恐ろしいとしか感じられなかった。
理解できない恐怖…それがリムシラにはあった。
「…」
が、やはりうさタンクはやはり動きを見せなかった。
精神的同様すら感じさせず、実は鎧はただの飾り物で生きてなどはいないのではないかとさえ思えるほどに。
しかし、時折聞こえてくる鎧の擦れる音がそれを否定していた。
「えーと…あなた名前はなんとおしゃっていましたかね~?」
「二度名乗るつもりはない」
「うふふ…それは残念。いえ、思い出しました。ねずみバルカンさんでしたっけ?あぁよかった!後ほどお墓に刻む名前をちゃんと思い出せました」
「墓…」
「ええお墓です。私は敬虔なる神の使徒…すべての命に慈悲と慈愛を与える者です。ですから例えどれだけ穢れた魂でもその行く末が良きものとなるように…私自身が救いを与えた者たちにはお墓を作ってあげるのです。ですからあなたも安心して私の救いを受け入れてくださいな」
「笑止。貴様に手をかけられた我が主の信徒たちは貴様の命を持ってしか慰められぬ」
鎧の奥からのくぐもった声にリムシラは楽しそうな笑い声をあげた。
「あははははは!うふふふふふ!よりにもよって私にそのようなことを言うだなんて…あぁ本当にあなたの魂は穢れきっているのですね。しかし安心してください。罪を憎んで人を憎まず…私があなたのすべてを赦しましょう。悪いのは穢れであって人に罪はないのです…故に神の使徒である私が穢れを払い、哀れな魂に慈愛と言う名の救済を授けましょう」
湖から水を掬うようにリムシラが両の手のひらを掲げる。
その中心には黒い石のようなものが置かれていて、不気味な黒い靄のようなものを吐き出していた。
「私の頬に傷をつけたこの地で最も穢れし魂を持つあなたには教えておきましょう。私の齎す救いを。知れば安心できるでしょうから」
「…」
「我らが神から授かりし祝福、呪骸の持つ救いの力は「斬首」。罪人の思考を司る頭と穢れた魂の源である身体…心臓を切り離すことで罪人の赦しとする。古来より数多くの穢れし魂が救いが救われてきた由緒正しき方法です。さぁ受け入れなさい…そうすれば赦され救われるのです。穢れし魂から解放され安息の中で眠りにつくことができるのですよ」
呪骸から不規則に流れ出ていた黒い靄が一点に集まり、うさタンクに向かって殺到した。
その瞬間、漆黒の鎧の首元がガチャガチャと激しい音をたてはじめる。
「おや…耐えますか。それほどまでに魂が穢れているのですね…なんとお労しい事でしょうか…ええ!ええ!いま理解しました!私はこの場所にあなたを救うために来たのですね…その悍ましい穢れを祓い、哀れな魂を救いたまえと天上の主からのお告げだったのです…!」
両手を組み合わせ、うっとりとした表情でリムシラが天を仰ぐ。
燦燦と輝く日の光が、その顔を照らし…リムシラにはその光が神からの肯定にさえ見えた。
しかしその思考を遮るように「ガシャ」と無機質な音がすぐ近くで聞こえてきて現実に引き戻される。
「え?」
瞬間、目に飛び込んできたのは漆黒の手甲…鎧に覆われた握り拳だ。
それはリムシラの顔面を打ち抜き、衝撃に押し出された風と共に吹き飛ばされて後方にそびえたっていた大木に激突した。
「な、なんで…」
血に滲むリムシラの視界の先には今しがた正拳突きを放ったうさタンクの姿が映っていて…その首には漆黒のヘルムがそのまま鎮座していた。
「貴様の主が言う救いとやらよりも、我が主のもたらす祝福のほうが上だっただけの事。我らが穢れた魂と言うのならば、この地にいる間は貴様の方こそが異端だと理解しろ。我々は許される側ではなく、貴様を断罪する側なのだと」
ガシャガシャとうさタンクが吹っ飛んだリムシラに近づいていく。
「っぐ!救いを…穢れし魂よ!私の救いを受け入れなさい!」
再度呪骸の力を解き放ち、うさタンクに向かわせるが靄に纏わりつかれてもうさタンクは鬱陶しい羽虫に絡まれている程度と言わんばかりに片手で払いのけ、再び拳を握りしめてリムシラの顔面に向かって突きを放つ。
転がるようにしてリムシラがなんとか拳を躱した結果、背後にあった大木にうさタンクの拳がめり込み、粉砕された。
「なんて力…!あぁ悍ましい…!それに救いを受け入れないだなんてなんと罪深い…!」
「我に罪があるとすれば貴様のような小物に主が羽を休めし地を、そして主の信徒が害されたこと。そしてその罪をあがなう方法はただ一つ…貴様に死をもたらすことのみ」
「その傲慢さが罪深さだと言うのです!」
リムシラが手を翳し、そこに灼熱の炎が生まれ巨大な球体へと姿を変える。
本来はあり得ないことだが呪骸が効かないのであればと瞬時にリムシラは手段を魔法へと切り替えた。
「炎とは浄化の象徴…その罪と穢れごと燃え尽きなさい!」
投げられた業火の玉は解き放たれればうさタンクごと周囲を飲み込み、周囲一帯を草木が燃え尽きた不毛の地へと変えてしまうだろう。
それほどの力を秘めた魔法をしかしうさタンクは片手で払いのけ…どうしてと疑問を覚えるよりも早くリムシラの首を掴み、持ち上げた。
「うっ…ぐぅ…!なんでこんな…あ、アナタは一体…!」
「二度は名乗らないと言った」
「名を聞いてなど…いません…!こんな強大な力を持った存在がなぜ今まで知らされずに…いたのかと…聞いているのです…!」
「そんなものを貴様に説明してやる義理はない。何も知らぬまま、我が主の膝元を踏み荒らした罪を購い散るがいい」
リムシラの首を掴んだ手に異常な力が加えられる。
あと十秒もしないうちにその首はへし折られ、リムシラはその生涯を終えるだろう。
呪骸は効かず、魔法も効果がなかった。
この状況を脱する手段は…リムシラにはない。
しかし首が握りつぶされていく中でリムシラは…笑っていた。
「何がおかしい」
「うふっ…ふふふふ…!聞きなさい…穢れし魂よ…たとえ肉体が終わりを迎えようとも…神の使徒たる私の慈愛と慈悲までもは消せはしません…必ずやあなた方を救いましょう…それこそが…私の…!」
ゴキリ――
言い切る前にリムシラの胴体が釣り糸の切れた人形のように地面に落ちた。
うさタンクの手には胴体のつながっていない首が掴まれたままで…こうして枢機卿の一人、リムシラはその命を摘み取られた。
「う、うおおおおおおおおお!!!うさタンク様だ!うさタンク様がやってくれたぞ!」
戦いを見守っていた信徒の一人がそう声をあげた。
それが引き金となり、他の者たちも次々と歓声を上げていき、その中心にいたうさタンクに捧げられていく。
当の本人はそれに応えることはなく、手の中の首をじっと見つめていた。
「うさタンク様…助かりました…ありがとうございます」
全員を代表してシルモグが前に出てうさタンクに頭を下げた。
「礼はいらない。我は主の居着く地を守ったのみ…その礼は主に捧げよ」
そう声を変えたにもかかわらずシルモグは頭をあげない。
ただただじっと…頭を下げているだけだ。
「…」
なにか…なにか言葉にはできない不穏なものをうさタンクは感じ取った。
それは勘のようなものだった。
しかし確かな予感となって漆黒の鎧を揺らす。
「…頭をあげよ。そしてすぐにこの場所から――」
ずるりとうさタンクの目の前でシルモグの下げられていた頭が胴体から離れ、地面に落ちた。
木になった果実は熟れすぎると木から切り離され、地面に落ちて潰れる。
それの再現を見せられたかのように…それが当然なのだとばかりにシルモグの首は落ちた。
いや、シルモグだけではない。
周囲にいた信徒たちの首も気が付けば次々に地面に落ちていく。
「これは…まさか!」
うさタンクは手にしていた首を投げ捨て走り出す。
無造作に地面に転がったリムシラの首は…笑っているように見えた。
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