第101話 一瞬の赤

 爆発が起こった。


いや…それはメアと靄の龍の戦いを見守っていたソードには爆発して見えただけで実際には爆発などしていなかったのかもしれない。


メアが龍の巨体に踏みつけられ、そのまま押しつぶされそうになったその刹那…龍の足元から黒い閃光が奔ったのだ。

それは確かに黒かった。

一片の光すらも通さない漆黒…しかしそれは日の光よりも眩しくソードの目を眩ませた。


黒き光の奔流に圧倒され、それが止んだかと思うとソードの視線の先に苦悶の呻き声をあげる靄の龍と…その足元に真っ赤な髪の女の姿を見た。


「あか…?」


その女は脈動を感じるほどの赤を身に纏っていた。

生きているのならばすべてに流れている血の色。

心臓を動かす循環の色。

すなわち…命の色だ。


そんな赤を足元につきそうなほど伸ばした、ソードより少しだけ背が低いように見える女。

それ以上の事は離れた場所で背後から見つめているだけのソードには知ることができない。


それに先ほどの黒い閃光に焼かれたせいか霞んでいて視界が定まらず、女の輪郭がはっきりとしない。

半ば反射的な反応としてソードの目から涙が一筋零れ、たまらず瞬きをした。


乱暴に目を拭い、再び開くと視界は先ほどよりも安定していて…視線の先にいた女の髪は黒に変わっていた。


(黒…なぜ…いや、見間違えだったのか…?)


ぼんやりとした視界で赤を認識していた時間は一秒にも満たない短い間だった。

故にソードは目を閉じる前の光景を見間違えだと確定し、振り払う。


どちらにせよ先ほどまではいなかったはずの女が靄の龍と対峙している事実は変わらない。

そして今にも踏みつぶされそうになっていたはずの姉(メア)の姿は煙のように消えてしまっていた。


「姉、さん…どこに…」


その時、雪を舞い上げながら一陣の風が吹いた。

女の息を呑むほど美しい長い黒髪がふわりと持ち上がり…それを見てソードはそこに姉を感じた。


「姉さんと同じ…純粋な黒…まさか…姉さん…?」

「…」

「ゴギャアアアアアアアアアアア!!!」


黒髪の女の正体を確かめようと手を伸ばしたソードの行動を制するように靄の龍が咆哮をあげる。

そして先ほどまでと同じようにその巨大な前足を持ち上げ…勢いをつけて黒髪の女に振り下ろす。


それに対し女は迫りくる前足に向かって右腕を伸ばす。


「まさか…受け止めるつもりなのか!?無茶だ…!!」


未だ周囲には魔素が戻っていない。

そうなれば勝敗を決めるのは純粋な力のみ…その圧倒的な体格差から放たれる巨大な質量に、どう見ても細身の女が対処できるはずがないのだ。


それはソードにも言えることで、助けに入ろうとしてもいまだ呼吸は完全には戻っておらず、魔素がない現状では動けたとしても碌な戦力にはならないだろう。

だから無力に苛まれながらもただ見守ることしかできなかった。


しかし女は違った。

伸ばした腕ごと踏みつぶされるはずだったのに、靄の龍の足が寸前で何かに弾かれたかのように不自然に引き戻されたのだ。


まるで攻撃が「反射」されたようにソードには見えた。


女が何かをしたのは間違いない…しかし魔素がないこの状況でどうやって…?

その疑問に答えを出すよりも早く、女は動いた。


空に向かって翳されたままの女の手に雪ではない白が集まっていき、細く長い何かの形を取り始めた。

やがて出来上がったのは白い光を纏う剣のようで…それは見間違えようのないソードの龍としての能力だった。


龍が司る概念。

それは龍と言う存在自体を形作っている根幹そのものだ。

それを他者が振るうことなど出来るはずがない…だがソードはそれが出来た人物を身をもって一人知っている。


ならばやはり靄の龍と戦っている女の正体は…。


「グォォォオオオオオオ!!!」

「っ!」


思考の中に溺れそうになったソードは重たいものが地面に激突する轟音と、靄の龍の悲鳴によって引き戻された。

女が白の剣で龍の脚を一本、斬り落としたのだ。


続けてさらにもう一本…両方の前脚を失った靄の龍は、その巨体を支えることができなくなり長い首が重力に従い落ちてくる。


いや…龍はそれを狙っていた。

自身の首…ないし頭という巨大な質量の重力による自然落下。

それにより龍は今度こそ女を踏みつぶそうと試みたのだ。


ソードは知らぬことだが女が先ほど見せた反射は銀龍が使っていた能力と同様のものだ。

つまりはメアが実証したように反射できる攻撃には限度がある。


そして女は本来の力の行使者ではない、周囲に魔素が存在していない等の様々な要因により龍の一撃は反射の限度を超えていた。

たとえ手に持った白の剣で首を斬り落とせたとしても落下を止めることはできない。

つまりは今度こそ正真正銘の絶命の一撃だった。


「…」


女は動揺を見せなかった。

ただ静かに…漆黒の髪を揺らしながら白の剣を手放し…攻撃を反射した時と同じように墜ちてくる首に手を翳す。


再び白い光がの手の中に集まりだしたが、今度は何かの形をとることはなく、ただただ手の中に光が集まっていく。

そして龍の首が落ちてくる寸前でその光が弾け、白き光の奔流によって生まれた柱が首を消し飛ばした。


「あれは…母さんの…!」


そう、女はソードの母であるセラフィムのもつ「分断」の力を放ったのだ。

様々な龍の力を使いこなす、女に恐怖すら覚えながらソードは龍というこの世界の絶対的存在さえも凌駕している理不尽をその目に焼き付けた。


そして靄の龍も普通ではない。

首を完全に消し飛ばされたというのに、一層激しく暴れだしたのだ。


それもそのはず…龍を動かしているのは頭ではなく、胸に埋め込まれている呪骸なのだから。


女は両手に剣を生み出し、走り出す。

その周囲には氷柱が無数に生成され、龍に打ち込まれていきその動きを鈍らせていく。


そうして靄の龍に肉薄した女は剣で龍の身体を削ぎ落し、残った胸に向かって剣を突き刺そうとして…。


「こ…殺さないで!!」

「私たちの…ママ…なの…!」


ソードに庇われていた姉妹が声をあげた。


「…」


声もむなしく女は剣を差し込み、胸を切り裂いた。

黒い靄を吐き出しながら、抉り出された呪骸が空を舞う。


そして龍を構成していた靄が霧散をはじめ、みるみる身体は縮んでいき、最後には銀髪の女…銀龍の形を取り戻して雪の中に倒れ…女はそれを見届けた後に落ちてきた呪骸をキャッチした。


「終わった…?」


あまりにも…あまりにもあっけなかった。

行われた攻防は激しく、そして常識を逸脱しているものだったが、それでも呆気がなかった。

それほどに簡単に女は靄の龍を倒し、銀龍を解放してしまったのだ。


いつの間にか息苦しさは完全に消えており、呼吸を整えながらソードはゆっくりと立ち上がる。


「姉さん…だよね…?」


そして恐る恐ると女の背に声をかけた。

女は黒髪を揺らしながらゆっくりと振り向いて…。


ぽんっと軽い音と共に黒い光が一瞬だけ瞬いたかと思うと、そこには見慣れた姿の黒髪幼女の姿があった。


「…およ?あれ?いま私寝てた?」

「姉さん…」


「む?おー妹~無事なのかい?っていうかあの大きなドラゴンはどこに行ったのん?…というか…あー!なんで私こんなもの持ってるの!?ひぃぃいいい!!」


黒髪幼女…メアは先ほどまでの雰囲気などまるでない、いつもの調子で手の中にある黒い靄を吐き出し続けている小さな石…呪骸をみて騒ぎ始めた。


「っ!?姉さん!それから手を放して!早く!」


呪骸は先ほど銀龍を飲み込み、靄の龍へと変貌させた。

決して触れてはいけない…母からずっと言い聞かされてきた忠告を思い出し、メアにそれを手放させようとしたのだ。しかし…。


「いや!だってまた誰かが拾ったら探さないといけなくなるじゃん。これは持って帰ってノロちゃんに返さないとー」


メアは渋い顔をしながらも呪骸を懐にしまってしまった。


「ちょっ!姉さん!!」

「なに?」


けろっとした表情のメアにソードはまたしても呆気にとられた。

無理をしているとかではなく、本当に平気そうだったから。


「な、なんともないの…?平気なのかい…?」

「なんともあるよ!平気じゃないよ!」


「え!?」

「持ってるだけでむかむかするよ!こんなものが手元にあるって考えるだけで口の中にまずい味が広がる気がして最悪だよ!」


んべーと嫌そうな顔で舌を出すメアは…どう見てもいつも通りのメアだった。

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